兆し
「巨大岩蟹? いや、俺が見たのは岩蟹の群れだけだな」
タタク村に戻ったユーリたちはミーアに依頼完了の報告を行っていた。
一階の酒場で腹ごしらえをしている中に、ガーランドの姿もあった。
岩蟹を見た本人であるガーランドからも話を聞こうとセシリーが言い出した事である。
ガーランドはユーリたちが戦闘し、討伐した巨大岩蟹の話を聞いて訝るように首を傾いだ。
逆に本当にそんなもんいたのか? と疑いの目を向けられる事に、セシリーは頭を悩ませた。
帝国か魔法都市絡みかと思って警戒したが、豪快に喉を鳴らしてエールを飲み干す、気の良いおじさんのような雰囲気のガーランドからはそう言ったものは感じ取れない。
セシリーはガーランドが仕組んだ罠かと疑っていたのだが、どうもこの様子だと本当に知らなかったらしい。
その事を確認し、ほっと胸を撫で下ろす。その僅かに弛緩した様子を、クレインは黙って横目を向けていた。
「岩蟹が森にいるってだけでも変な話なのに、巨大な岩蟹ねぇ。気味悪いったらありゃしない」
「いや、岩蟹が巨大化した理由は分からんでもないぞ」
背後の厨房から運ばれてくる料理をカウンターにどんどん置いていきながら、ミーアが嘆くようにため息を吐く。
追加のエールを飲みながら、少し赤い顔のガーランドがぶへぇ、と酒精を帯びた息を吐いて言葉を続ける。
「今は使われてないみたいだが、どうもあそこは鉱山だったようだな。しかも結構な濃度の魔素が残ってたから、それを食ってでかくなったんじゃないか?」
残りのエールを一気に飲み干し、ぐへぇ、と大きく息を吐くガーランド。
ガーランドの言葉にユーリたちは目を丸くした。
こんな近くに鉱山があったとは聞いたことがない。これは歴史について詳しい筈のセシリーも驚いていた。
魔物が魔素を吸収して異質な形へと変化するなど、世界各地を旅する冒険者からも報告が上がっていない程だ。
確かに魔物は魔素の濃い場所に生息するものほど、強大な力を持っている個体が多いことは事実だが、あれでは変化と言うより一種の進化。
一個体が急成長し、尚且つ討伐レートすらも大幅に跳ね上がってしまう現象など頻繁に起きて欲しくない。
あんなものが世に跋扈するようになればまさしく地獄絵図と化す。
今回は運良く討伐出来たが、あれ以上の魔物が存在するとなれば今の戦力で太刀打ちできるかどうか危うい。
「しかし、岩蟹がそれ欲しさに対岸沿いから移動するとは考えにくいがなぁ」
「なんにせよもういなくなったんだろ?なら元通りって事でいいじゃないか」
「そうそう。おばさんのフォドゥが食べられればいいんだよ」
今こうしてられるから良いだろうと、楽観視している三人に、セシリーは曖昧に笑って会話を聞き流す。
確かに巨大岩蟹は倒した。だが、他にもああいった独自の進化を遂げた魔物がいないとは断言出来ない。
迷宮には主と呼ばれる強い力を持った魔物が存在する事もある。それは多くの冒険者が経験し、ギルドを通じて情報として世界に配信されている。
今回の魔物はそうではない。既存の魔物が迷宮の主と変わらぬ強さを持つまでに変化を遂げた、言わば新種の魔物だ。
表面上で会話に相槌を打ち、何でもないように振る舞いながら考え込むセシリーを、クレインは何も言わずにただ横目で眺め続けていた。
そして、依頼達成の宴が終わり、全員が寝静まった頃。
ユーリはベッドの上でもぞりと寝返りを打つ。
寝付けない。あの魔石に触れてからどうにも調子がおかしい。
明日は朝に出発し、夕方にはミライアに到着する段取りだ。
早く寝なければ、と目を閉じて力を抜くが、どうにも睡魔がやってこない。
と、そこで視線を感じる。
顔だけそちらに向けると、両手を頭の後ろで組んだ状態で横になっているクレインが目の端でこちらを見つめていた。
「悪い。起こしたか?」
「いや、俺も寝付けなくてな」
暫し無言の状態が続く。
何か話さなくては、と言った感情はお互いに無い。
黙って目を閉じていればやがて眠りに就くだろう。
しかしユーリはクレインが起きていると言う事で、巨大岩蟹の魔石を触れた時に感じた違和感を話し始めた。
「魔物の生態に詳しいのって、確かセラフィムだよな」
「ああ、それがどうした」
「俺、一個思い出したんだ」
それに触れた時、真っ白な布にじわりと広がっていく染みのように、記憶が浮かび上がった。
それが何を意味するかはユーリ自身も分かっていない。
だが、それはユウトが残したメッセージでもあった。
唐突に投げかけられた質問に、クレインは若干戸惑いながらもそれに答える。
「魔素を吸収して変化する魔物の事。親父はネームドモンスターって呼んでた」
初めて聞く単語に、クレインが僅かに動く気配を見せる。
体勢は変わらずだが、真剣に話を聞こうと聞き耳を立てていた。
「迷宮の主とは違う特異な存在。それを倒すのも仕事だってのも言ってた」
今まで表立った情報が無かったのは、ユウト直々に火消しに回っていたからか、と納得する。
それと同時に疑問を覚える。何故隠れて討伐する必要があったのかと。
「多分、あの巨大岩蟹は意図的にあそこに置かれたんだと思う。そして魔素を吸収して、ネームドモンスターに変化した。そして……ネームドモンスターは〝根源の匣〟の影響を受けた魔物じゃないか?」
「ちょっと待て、じゃあセラフィムが〝根源の匣〟を持ってるってのか?」
「持ってたら俺を欲しがらないだろ。それにセラフィムが怪しいってだけで、明確な証拠は何一つ無い。気になっただけだよ」
ユーリの言葉に、クレインは弾かれたようにがばっと体を起こす。
どういうことだ、と訴えるクレインに、ユーリは困ったように視線を宙に彷徨わせる。
どこに〝根源の匣〟があるか、〝根源の匣〟が何なのかはユーリもまだ分からない。
ただ、いつものように横になり、楽しそうに話すユウトの記憶がぼんやりと浮かび上がってきただけなのだ。
「あとひとつ、〝根源の匣〟への扉を開けるにはジン・コードって言う鍵が必要なんだ」
「お前、なんでそんな重要な事黙ってたんだよ⁉」
「馬鹿声がでかい! 皆寝てるだろ!」
クレインが張り上げた大声に、ユーリは慌てて小声で怒鳴る。
今は深夜だ。いくら防音性が高いと言えど、静まり返った空間では今の声が聞こえないとも限らない。
「多分あの岩蟹はジン・コードの影響でああなったんだと思う。でなきゃ魔素が濃い迷宮でうじゃうじゃ発生してるはずだし」
ユーリの説明に、クレインは確かにそうだな、と納得する。
しかし解せない。仮にそのジン・コードを使って成長させたとすれば、いつ、どこで、誰が、何の目的で地元の人間しか立ち寄らないあの森に岩蟹を放ったと言うのか。
ユーリにそのジン・コードが何なのかを尋ねてみても、名前だけしか分からないと言う。
クレインはベッドの上で腕を組み、胡座をかいたまま小さく唸る。
何かが起きている。だが、その何かが分からない。胸の中にへばりつくヘドロのような蟠りは考えるほどに大きくなっていく。
そんな中、ぎしっ、とベッドの軋む音で我に返った。
音のした方へと目を向けると、ユーリが片手を天井に向けて伸ばし、ぼうっとそれを眺めていた。
「俺、〝根源の匣〟を追う。親父が何をしていたかも知りたい。今まではチビたちを食わす為に精一杯だったけど、親父が何で俺にこんな事話してくれたのか、知りたいんだ」
「じゃあまずは親父さんの足取りを追わないとな」
多くは語らず、笑みを浮かべる事によって答えるクレイン。
ユウトを追うと言う事は、英雄に近付くと言うこと。
それによってどんな困難が引き起こるか分からない。
だが、それでも兄としてしてやれることをやるだけだ。
覚悟はとうの昔に決まっている。
「うん。もうどこにあるか覚えてないけど……多分、親父のナイフが教えてくれると思う」
「―――なるほどな。確かにあのナイフは変わった金属で出来てるし、調べれば自然と近付くか。で、どうするんだ? このままミライアに向かうか?」
「変更はなしかな。ミライアには確か大聖堂があったよな?」
「ああ、そこに何かあるのか?」
「親父の話に大聖堂も出てた。もしかしたら何か見つかるかもしれない」
「分かった。―――この事は話すのか?」
「勿論。仲間だしな」
「了解だ。じゃ、寝るか」
「おやすみ、クレイン」
「おう」
方向性が固められた事により、二人は背を向けて目を閉じる。
漸く訪れた睡魔に身を委ね、二人は微睡みに落ちていった。




