31 ある日の結晶研
いつも遅くてごめんなさい。
短めですが投稿します。
「しっかしですねぇ、見れば見るほど……、いつ見てもおっそろしい姿してますよね、これ」
ちょっと硬い、若干緊張気味の声が俺の頭の上から聞こえて来る。さすがの鈴宮もこれを目にすればいつもの調子というわけにはいかない……はずなのだが、そこはやっぱ鈴宮なのである。
今鈴宮は俺の背中にべったりと貼り付き、その腕は俺の胸の前で交差され、要はを抱きすくめた体勢になっていて、だからこそ俺の頭上から彼女の声がするわけだ。この部屋は年中空調が寒いほどに効いてるからまだいいが、残暑が厳しい中、暑苦しいことこの上ない。
とは言うもののそんな鈴宮のやたらスキンシップの激しい鬱陶しい態度に関してはもう俺はあきらめてる。鈴宮のやること全てに反発や抵抗してたら疲れるだけである。そりゃ最初のうちはやられる都度、やめてといって逃げ回っていたのだがもう、きりがない。俺のくたびれ損で終わるだけだ。
「鈴宮さん? 私これでも一応あなたの上司ってことになってるんだけど……、上司にその態度はないんじゃないかなぁ?」
そう鈴宮に言ってみたことがある。返って来た返事は想像の上をいく不可解さ、あきれるしかなかった。
「えー、何言ってるんですかー! チーフは上司の前に美幼女でしょ? リアル銀髪赤目の天才幼女を目の前にしてですよ? そんな全世界の紳士たちが泣いて喜びそうな美幼女を前にしてですよ? この私が湧き上がり、萌えたぎるリビドーを抑えることが出来ると思います?
いや、出来ない! 今まさに天変地異が起きようとも、それだけは決して譲れない!
世の常識が許さなくても私が許す!
ぶっちゃけ、結晶研でなら万事OKなのです!
だからぁ、さあチーフ、諦めて私にめいーっぱい、はぐされちゃってくださーい!」
あの時の鈴宮の目は正直怖かった。どこかにぶっとんだ目をしていた。
アイドルみたいな可愛い顔してそれはない。ちょっと、ちょっとちびった……かもしれない。
そもそも俺はさすがに幼女って歳でもないんだが……。こいつには何を言っても無駄。そんな思いが俺の心を支配した。いや、してしまった。
だから開き直って受け入れた。
受け入れれば楽になる。
基本、可愛がりが過剰なだけで俺がホントに嫌がることなんて絶対しないし、更に本音を言えば、彼女は細身の体の割には出る所は出て、特に胸が大きく……もう女性特有の柔らかさもバッチリ備わっている。まじ抱かれ心地が最高に気持ちいいのである。それに後ろから抱き込まれてると彼女からのいい匂いもしっかり感じられて、受け入れて見ればまじ今のポジションは居心地がいい。(もちろん摩耶姉さんには負けるけどな)
要はなんだかの言いつつ、いつの間にか俺は彼女にそうされることを嫌ってはなく……、いやむしろ自らそれに甘んじてると言って過言ではないほどになっていた。
はっ。
ど、どうでもいいことに話しがそれた。
で、俺たちが今、目の前にしているのは村野さん……だった異形の化け物。
俺が氷漬けにした状態からはすでに解放され……その巨体、半分人間、半分うろこと羽毛に覆われた得体の知れない異形の姿を俺たちに余すことなく見せつけている。
もちろんそれに意思などとうになく……、大きな体を置いてもなお余裕のある、透明な強化ガラスのカバーで覆われた、がっしりした台の上に横たえられ保存されているわけである。中はマイナス温度の世界、うかつに触るとこっちまで凍り付いちまうんじゃないかって代物だ。
いつもながらとは言え、鈴宮の化け物を見るような視線がちょっと悲しい……。
村野さんとはたいした交流があったわけでも、友だちになったわけでもなかったが……、それでも一時、同じ時間を共有し、なにより動けないときから色々お世話になってたから……、正直こんな結果になってしまったのは不本意すぎてたまらない。何も出来ず、こうなってしまったことに対して自分の無力感を実感し、なんとも言えない感情にさいなまれる。
ま、今更言っても仕方ないことだが……。
これを見せるに当たっては、鈴宮のみならず結晶研みなに外部への情報漏えいを防ぐため、事前に守秘契約を結んでもらったらしい。それが雇用契約を結ぶ上での最重要項目だといっても過言ではなかったそうだ。
もしその契約を反故にし、外へ洩らしたとわかれば……、
神坂の力をもってその人物にはそれ相応の対応がなされる――、とほのめかされた(もちろん契約書にはそんなことの記載はない)らしく、鈴宮が唇を尖らせながら俺にぶちぶち愚痴ってきたことは記憶に新しい。ったく、俺は釘宮の上司であって同僚じゃないんだけどな……。
「それにしてもほんと不思議だよねぇ……、私今でも覚えてるよ。これがここに運び込まれてきたときのこと。
すっごく大きな氷の塊の状態でね。え、なんでこんな大きな氷の塊、結晶研に入れるの? とか思っちゃった。
なにしろ細かい空気の泡で真っ白になった氷だったから中が何も見えなかったでしょ? だから何コレって……」
当時のことを思い出しながらも鈴宮は俺の頭を撫でだした。俺はつい気持ちよさから目を細める。器用にヘッドフォンのフレームを避けながらのその"撫で技術"には年季とこだわりすら感じる。これも、ま、どうでもいいことだけど。
「詳しいことは言えないの、その、企業秘密ってやつで。でも、この状態のこの異形の生物の構造を調べ、人間と比較してどこがどう違ってるのか解明したいの。
今言えることはこの子は、今はその、こんなだけど……宇宙から持ち込んだ物質によって変化した、変化させられたものだということ。要は元々地球上の普通の生物だったものが変化し、こんな姿になっちゃったってことなの。
こうなった一因には神坂も絡んでるから……、なんとか糸口をつかみたいの。
だから、その……、これからも協力してくれる?」
俺はあえて生物と言ったが……、目の前のそれはどう見ても元は人間だっていうのは分る。とんでもない訳アリだっていうのは結晶研全員が言わずもがなで認識していることだろう。こっちが説明しなくても頭のいい皆の事だ、おおよその事情は検討がついてることだろう。
そこを言わない、追求しないのが賢い大人の分別ってやつだと……、俺は都合よくとらえたい。
俺は体をひねり、頭上にある鈴宮の顔を見上げてじっと見つめた。
「ずっきゅーーーーん! 美幼女のお願いキター!
もちの、ろん! この英里ちゃん、チーフ立っての願いを断るなんて微塵も考えたことないですよー!
もう目一杯協力しちゃいますから、どどーんと、大船に乗ったつもりでいてくださいよー」
俺のけっこうマジな問いかけに返ってきた返事がこれだ。
なんか頭痛くなってきた。けど……、俺の表情はゆるゆるだ。
「あ、チーフ、その表情いい! ここ最近の思いつめた、貼り付いたような表情を思えばとってもいい! まじ天使です、チーフ~」
す、鈴宮、おまえ……。
「はわっ、ちょ、ちょっと鈴宮さん、何を。うう、むぎゅ、も、もーー、調子に乗りすぎです! く、苦しい、苦しいからもうちょっと腕の力ゆるめてー」
鈴宮のちょっとした言葉に感じ入ってた俺に変態淑女鈴宮が目一杯はぐしてきやがった。膝を落とし俺の体を軽い調子でくるりと自分に向かせ、しっかり向き合ったそれは俺にとってはもう殺人行為に等しかった。主に胸が。これはもう抱き心地がいいとかいう次元の話ではない。まじ死にそう!
窒息死で。
俺の抵抗もむなしくその行為は永遠に続くかと思い、俺の二度目の人生は短かったなと半ば気も遠くなりかけながら考えてたところで……、
「ぎゃふっ!」
鈴宮のそんな仮にも大人の女性とは思えない声を聞いたかと思ったら、俺の顔を覆っていた柔らかい凶器がすうっと離れた。
「このバカ、鈴宮! おまえチーフを殺す気か? 程度をわきまえろ、程度を!
ち、チーフ、大丈夫ですか? お気を確かに」
「ちょっと佐山さん、ひどいですぅ。乙女の頭をそんなポカすか叩かないでくださいよー」
俺のまだ幼い?命を救ってくれたのは、結晶研一の苦労人、佐山だった。頭をかかえて唸ってる鈴宮から俺を奪いとり、苦言を呈している姿はマジ日ごろの苦労がうかがわれ、しがないサラリーマンを連想させ、萎える。いや、すまん、せっかく助けてくれたものにそんな言い方はないな。
「あ、ありがと佐山さん。おかげで助かった、けほっ、けほっ」
「ち、チーフ、こ、これでどうですか?」
むせて咳き込む俺に佐山が背中を撫でてくれた。おお、気が利くな、さすがサラリーマン。
「ああー、佐山さん、やーらしい。幼女の背中を撫でまわしちゃってー、いけないんだー。
おーい、おまわりさーん、こっちでーす」
な、なんだ? こいつ、わけのわからないこと言い出した。俺はもう鈴宮に付いていく自信がない。
「ちょ、こら、鈴宮、お前何を、俺はだな、別にそんなつもりじゃなくだな、チーフが苦しそうにしてたから……」
「はいはいはいはい、最初はみんなそう言うんです。ほら、観念してお縄に付くといいですよ。ね、だからカナンちゃんは私に預けて、佐山さんはお勤めにいってください、ほらほらっ」
な、何をやってるんだ? この二人は……。俺はそんな二人のやりとりに巻き込まれ、また鈴宮に腕をとられ佐山から引き離されようとした。
「あいたっ!」
鈴宮の頭からさっきとは比べ物にならない大きな音がしたと同時に、再びその鈴宮が悲痛な声を上げた。
「お前、鈴宮、いい加減にしろ! もう茶番は終わりにしろ。チーフがここにおられる時間は少ないんだ。仕事に入るぞ、仕事にー!」
「あー、佐山さんがまたぶったー! おやじにも殴られたことないのにー」
「うるさい、もうしゃべるなっ。つかお前、普段はパパ、ママだろう、なんで今だけおやじなんだ?」
「えー、このネタわからない? そりゃダメだわ、終わってるよ、佐山さん」
「…………。」
佐山……、大変だな、お前。
俺はどつき?漫才を続ける二人をそっとしておき、さっさと仕事に入ることとした。
がんばれよ、佐山。
さっきのネタ、知ってなくても全然OKなんだからな? むしろ知ってる方がおかしいんだから……。
俺はひっそり佐山を応援し、ヘッドフォンを調整し外部の音を遮断して仕事に集中するのだった。
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