3 邂逅
「神坂チーフ、観測対象がまた意識を取り戻しました」
私の助手をしてくれてる村野さんがそう報告してきた。
ふふっ、順調だわ。
「あら、そう。……これでもう十度目くらいになるかしら。目覚めるサイクルが早くなってきたし……、そろそろ本人も状況が飲み込めるくらいには体も安定してきてると思うし……会ってみようかしら?」
私がそう言うと村野さんがちょっと眉根を寄せ困った風な表情を見せる。
ああ、そんな表情もかわいいわ。多少ぽっちゃりしてるけどそれも魅力ね。こんな職場にはちょっと不釣り合いなくらい素朴で優しい子だし、そのうちいい男紹介してあげなきゃ。ここに居たらひからびちゃいますからね。
「お会いになるのですか? そ、その、大丈夫でしょうか」
「ふふっ、大丈夫よ。
あの事件から早三ヶ月。想定できるあらゆる調査、検査をし、動物実験も繰り返し、結局、雫石の体から感染源となるものの存在は認められなかったんだもの。これ以上の隔離は無意味と判断します。
だから今回は睡眠導入剤を投与しなくていいわ」
そんな私の言葉では納得できないのか、村野さんが食い下がる。
「で、ですがもしあの現象が……。絶対危険です! もしどうしても会う必要があるというのでしたらわざわざチーフが行かなくても。最初はまず私か部下たちに……」
「はいはいストップ。こんな面白いことに私が行かないなんてことはありえま、せん!それに万が一の危険性を危惧しているのなら……それこそ大事な部下にそんなことさせられません。もちろんあなたも含めてね」
私はそう言いながら村野さんの頬をやさしく撫でる。あらら、赤くなっちゃって、うぶなんだから。
「ってことで、さあ、お姫様と対面としゃれこみましょうか。
――ああ、とは言っても、お姫様のご機嫌が必ずしもいいとは限りませんからね、その辺の用心についてはお願いね? 村野さん。私だって自殺願望あるわけじゃないですからね」
「は、はい。わかりました。その……、くれぐれもお気をつけて。
バックアップは任せてください。チーフの身の安全は私が責任もって預からせてもらいますから!」
あらあら気合入れちゃって。それ、空回りしないといいんだけど……。ま、大丈夫と思いましょう。……ああ、部下思いだなぁ私って、ふふっ。
私は多少の不安はあるものの、それ以上は心配してもどうしようもないことと割り切り、初コンタクトにはやる気分を抑えつつ、お姫様が収容されている隔離室へと向かうのだった。
*
「まぶしい……」
もう何度目の目覚めか覚えてないが……、今回は今までの中で一番体調が良く感じる。今となってはもう天井の染みの数すら数えられるくらいにまで視力も回復した。いや、回復っていうより数段良くなってやしないか? こうなる前ってここまで良く見えてたかどうか……、残念ながらその辺の記憶がまだ曖昧だ。声だって普通に出せるようになった。
「あーあー」
まるで小さな女の子のような……、変な声になってしまったが。
俺はあの実験で大怪我でも負ったのは間違いなさそうで、ここはたぶんあのプロジェクトでの医療施設のどこかなのだろう。俺が参加していたプロジェクトにはそれなりにリスクが高いものも多かったからこんな設備があるのもまぁ頷ける。さすがにここまで厳重な隔離施設まであるとは思わなかったが……。
きっと俺の体は相当やられて喉とかもそのせいでこんな塩梅になってしまったんだろう。
体にしたって最近ようやく多少動かせるようになってはきたものの、一体何日この状態なのかすらわからない……。このまま寝込んでいては筋肉が衰えていく一方で歩くことすら出来なくなりそうだ。っていうか今でもすでに歩ける自信はまったくないが。
顔とか、髭も全然当たってないから伸び放題なはずだし、俺って今は相当みっともない格好になっているんじゃなかろうか?
人に世話をされている気配も全く感じないしな。どうやら俺の体には色々医療機器が接続されてはいるようだから栄養補給や排泄とかは問題ないようではあるが……、いっぱしの男としては情けない限りだ。しかし俺の面でこの声って、あんまりだ。改善を要求する!
ふ、虚しいな。
それにしても今回は余り眠くならないな。それだけ体力も回復してきたってことなのかな? いい加減人の声を聞きたいし、何より現状がどうなっているか知りたい。あの後実験室がどうなったのか。部下たちがどうなったのか?
みんな無事なのか……。
爆心地? とも言える場所にいた俺すらこうして生き恥さらしてるんだし……、他の奴らが無事でいる可能性は高いと思いたいが。みな俺より若い奴らだったし……、
「ん?」
そんなことをつらつら考えてたら遠くの方で、かすかだが何やら音がした。
かなり広そうである部屋の壁の向こうからだ。寝かされた状態の俺ではそこを直接目視することは出来ないが、部屋のたたずまいから想像するにきっとそこには扉があるのだろう。そんな離れた場所の音が耳に付くなど……、どうにも耳の感度が鋭敏になった感じがして落ち着かない。
間を置かず今度はモーターが回るような音と共に重いものがずれる音がし、部屋の中にこことは違う空気が流れ込んで来る気配がした。なんだよこの感覚。ケガしてどこかおかしくなったのか?
妙な感覚に戸惑ってる俺を尻目にその空気の流れの元、要は重ったるいドアを開けたってことのようだが、そこから俺にとってはすごく久しい……人の入って来る気配を感じた。もう感覚がどうのって問題ではなくはっきりと感じた。
そいつはどんどん俺が寝ている寝台に近づいて来る。女なのか履いてるヒールの音がいやに耳に付く。
ちぇ、なぜ女。髭伸び放題の不細工な面なんか見せたくないのに。誰がここの担当か知らないがもっと気を利かせろ、髭くらい剃ってくれ。俺はちょっと八つ当たり的な考えを頭の片隅に浮かべながらも、それでも久しぶりに会う人だ。気分が高ぶってきていた。
「こんにちはお姫様。ご気分はいかが?」
そのヒール女は俺のすぐ横に来たと思ったら、そんな訳の分からないことを言いやがった。
「は、はぁ~?」
だから思わずそんな気の抜けた声が出たのは仕方ないことだと思うぞ。
た、ったく、言うに事欠いてお姫様って……、嫌味か? 醜男な俺に対する、い、嫌味なのか?
四十年の人生の中でここまで面と向かってバカにされたのは初めてだ。そんな俺の気分が顔に出ていたのだろう、ヒール女が続けてとんでもないこと言い出した。
「残念、初めて聞かせてもらう声がそれ? ご機嫌斜めのようね。そんな表情浮かべてちゃ可愛いお顔が台無しよ。あ、もちろんそんなお顔も素敵なんだけど、やっぱり笑顔が一番でしょ? ほーら、笑って~」
な、なんなんだこの女、慣れ慣れしい。
仮にも一プロジェクトのリーダーをしている(いや、既にしていた……なのかもしれんが)俺に対し、し、失礼にもほどがある! ここは一発、ガツンと言ってやらないと気が済まない。
「あ、あのなぁ! 俺は男だ。それも四十に足を突っ込んだいい年こいたおっさんだ。だいたい立場だってあるんだ。
バカにするのもたいがいにしてくれ!
君は誰だ? そもそも俺は今どうなってるんだ!
と、とっとと状況説明して欲しいものなのだが!」
はぁはぁ。
さ、酸素が足りない。
さすがに寝たきりだった体で、いきなりあれだけまくし立てるのは堪えた……、自重しよう。でもすっきりしたぜ、どうよヒール女。
そんな勝ち誇った表情を浮かべていたであろう俺の目の前に黒い影が覆いかぶさって来た。
「ひゃ」
思わず情けない声が口から飛び出た。
くそ、いい年した男が情けない。
それはなんのことはない……、ヒール女が俺の顔を覗き込んできただけのこと。
悔しいことにすごい美人だった。今まで見た中でも三本の指に入るくらいには美人だ。肩にかかるかかかららないかくらいのボブカットの綺麗な黒髪、細面のしゅっとした顔に切れ長の大きめの目、すらりと伸びた小ぶりな鼻に多少厚めの柔らかそうな唇。派手さのない自然な化粧がその顔を更に引き立てて、もう男なら誰でも振り向くだろう美人だ。
その悔しいけど美人なヒール女がちょっと怪しげな笑顔と共に俺の顔の前に何かを差し出した。
な、なんだ?
ん、手鏡?
俺はつい反射的にそこに映り込んだものを見た。
鏡は俺に向けられてる。
当然そこに映ってるのは俺だ。この世の物理法則が変わってない限りそのはずだ。
それなのになんだ。
なんでこんなものが映り込んでる?
俺は映り込んだ俺自身の姿を見て愕然とした。
そこに映っていたのは女の子。
俺とは似ても似つかない、俺の面影のかけらなんて一つもない。
年端もいかない少女の姿だった。