29 それぞれの事後
遅くなりました、投稿します。
「ん……」
俺はまだま朦朧とする意識のなか、目を覚ました。
病院特有の匂いと柔らかいシーツの感触……、どうやら俺、ベッドに寝かされてるみたいだ。
体の様子を見ようと目線を下げればシーツから出された右腕に点滴の管が繋がってるのが確認出来た。点滴のパックの横には輸血もされたようで血液のパックも目に付いたけど、それはもう腕には繋がれてない。そしてもう一つ。なんとも言えない違和感が下半身……つか股間からする。こ、この感覚には覚えがある。ちょっとチクチク、ヒリヒリした感覚……。
ずっと寝てたみたいだし……、これってやっぱあれか、あれなのか?
ううっ、恥ずかしすぎるぅ。
「……ううん……、ひぐっ!」
嫌な予感に包まれ、体の状況確認しようと少し身じろぎした時。
全身を凄まじいばかりの痛みが駆け巡った。
「い、いひゃい……」
俺はもう痛みで涙目だ。
そ、そういえば山崎の腕から放り出されて固い床の上転がりまわったんだった。
――あ、村野さん! 彼女、あの後どうなった? 俺は気を失っちまったみたいだし、氷漬けにしたあと……あれがどう扱われたのかわからない。
「あらカナンちゃん、目が覚めた? 気分はどう」
朦朧とした気分から現実に戻ってきつつある俺に聞き覚えのある声が耳に入る。
摩耶姉さんだ。
「う、うん……。もう全身痛くてだるくて仕方ないけど……、まぁ大丈夫……かな」
俺はそう言いつつ体を起こそうと体に力を込める。
「あうっ!」
途端、またもや激痛が走り、しかもそこまでしたというのに体を起こす力も出ない。
くぅ、予想以上に体力が削がれちまってる。
やっぱ力……、使いすぎたかな。
ちょっと動いただけなのに頭が少しくらくらする。
「ちょ、ちょっとカナンちゃん、無理しちゃだめよ。あなた、全身打撲はもちろんだけど、すごい貧血で……、倒れた時は真っ青で体も冷たくなって身動き一つしなかったんだから。すぐフォスのメディカルセンターに運び込んで輸血したけど……、一時は心拍数もすごく落ちて危険な状態になったのよ!」
摩耶姉さんが俺の顔を覗き込みながら、珍しく疲れた表情を見せてそう言った。やっぱ輸血してもらったみたいだ。
「えっ、そうなの? ご、ごめん。お、私……、迷惑かけちゃったね。
そ、それで……さ、私が気を失ったあとって……、
どうなったのか……な?」
俺はなんとか動かせる頭と目を使って周囲を見回しながら聞く。個室の病室らしい殺風景な部屋には俺以外には摩耶姉さんしか見当たらず、一緒に行動していたクラスのみんな、助けてくれた山崎とか……、それに他にも色々気になることが多い。
「そうね……。今は体を休めることに専念しなさいって言っても、気になるわよね。
うーん、じゃあ簡単に説明しておくか……。
まずは今の状況だけど――、カナンちゃんのクラス、学園の子供たちは一足先に下に降りたわ。カナンちゃんは二日の間目覚めなかったからもう一昨日のことになるけどね。
三島さんや夏目さん、それに西園寺さんだっけ? みんな心配してたわよ。担任の未希(咲川先生です)にもちゃんと言っといたから……その辺はまぁ心配しなくてもいいわ」
姉さんが俺の前髪を撫で上げておでこ出し、冷たい手を当てながら言う。それがなんとも気持ちよく、俺は思わず目を閉じてその感覚を楽しんだ。気持ちいい。つかそれで気付いたけど……、どうやら俺は少し熱もあるみたいだ。
「ふ、二日もっ? 私そんなに寝てたんだ。
あ、あの、それで山崎……は? そ、それにさ、私、その、山崎に……、あの」
俺は村野さんが過去の、雫石河南だったことの話を大きな声で言い放ったことを思い出し、それを山崎にも聞かれたことが気になって……それとなく摩耶姉さんに確認してしまう。
「ふふっ、カナンちゃん、山崎に雫石のことを聞かれて心配? あなた山崎に相当懐いてるものね。そりゃ心配か?
でもそれは取り越し苦労という物よ。あいつは過去がどうとか元がどうだったとか細かいことを気にする奴じゃない。
それになにより、今のカナンちゃんは小さくてか弱い、可愛らしい女の子なんだから。それがすべてよ。
ま、そもそも運転手兼護衛であるあいつには、私の方からカナンちゃんにかかわる話は初めに全て聞かせてあるから何の問題もないわよ?」
「へっ? そ、そうなのっ?
き、聞いてない、私そんなの聞いてないしー!」
な、何だよそれ。
俺の今までのもやもやして悩んでた気持ちを返せ!
そりゃあ、しっかり確認しなかった俺も悪いけど……。
もーーーー!
やっぱ摩耶姉意地悪すぎっ。
「あら、そうだったかしら?
ふふっ、ふくれっ面したカナンちゃんも可愛いわ。
でもほら、まだ熱もあるみたいだし回復にはほど遠いんだから、もう少し眠りなさい? トイレの心配も不要なのよ。ふふっ、カナンちゃん、相変わらずツルツルさんだったわ。もうほんと何もかもが可愛くって、お姉さん困っちゃう」
「なっ!」
摩耶姉さんはそう言いながら最後にとんでもないことを口にした。当然抗議しようと、恥ずかしさで顔を赤くしながら起き上がろうとした俺。が、もちろんそんな俺はあっさり姉さんに押さえつけ、ベッドに横にならされた。
「もう、姉さんのばかー! 変態! そ、それにまだ肝心なこと聞いてないっ」
村野さん、どうなったの? リリヤさんと姉さんってどういう関係なの? とか俺はいっぱい聞きたいことあるのに。俺はそう思いながら寝かしつけようとする姉さんの顔を睨み付ける。
「ふふ、くりくりした目で睨みつけてきちゃって、もう、可愛すぎっ。でも体は正直ね。もう眠くってしかたないってお顔してるわ。体が治ったらちゃんと説明してあげるから……、今はお休みなさい? ね、カナンちゃん」
そ、そんなことはないっ! 俺はそう言い返そうとしたものの実際俺の脳は眠れ眠れと俺に命令してきているのか、やたら瞼が重くなってきた。更に姉さんがまたも俺の頭を優しく撫でてくれるし、熱があることも手伝ってか……もう抵抗することも難しい。
「お休み、カナンちゃん。
今度起きたらお家だからね……、ゆっくり眠りなさいな」
「……ううぅ、ぜったい……教えて……よ、ね……」
俺は片言を返すのが精一杯で……、摩耶姉さんのそんな言葉を耳にしながら、睡魔に勝てず眠りに落ちてしまったのだった。
*
「山崎、カナンちゃんを下ろす手筈は出来てるでしょうね?」
「はい、摩耶様。リニアの車両を一つ、この後より本日の終便に至るまで全てのクライマーにおいて貸し切る手筈は整えております。あれの梱包も終わりましたし、アースポート側の迎え入れ体勢についても万時滞りなく済ませております。
後はお嬢様のご様子次第でいつでも出発することは可能です。いかがなさいますか?」
私の問いによどみなくすらすらと答える山崎。
顔色一つ変えずにこいつったら、ほんと憎らしい。昔から可愛げの一つもないんだから……。リリヤもカナンちゃんも……こいつの一体どこがいいのやら?
カナンちゃん……、カナンの心理状態は一体どうなっているのかすごく興味がある。元40越えの男性だったあの子が、今山崎に持ってる感情が何なのか? 私は知りたくて仕方ない。
BL漫画は読んだことあるけど……、今のカナンは女の子なんだから別にBLってわけじゃないんだよね。とは言っても元の男の意識を持つとされているカナンの態度としてはちょっと疑問に思う訳だ。
40年以上男として過ごしてきた人間がああもあっさり元同性に懐くものなのか? そりゃ子供の姿になってるから自分を守ってくれてる山崎に保護者として親しみを覚えるのは確かだろうけど……、あの甘えっぷりを見てるとちょっとね……。
別の視点で考えてみると、そもそもあのカナンの脳の中身にしてもほんとに雫石河南のままであるという確証を得ることも出来ないとも言える。あれだけ外見に変化があったのだから、脳にその影響が及ぼされていないなどと、誰が言えよう!
「摩耶さま?」
はっ、いけない。つい考え込んでしまった。
「そうね、カナンちゃんの熱はまだ当分下がりそうにないし……、かといっていつまでもここに居ても良いことはなさそうだし。下りちゃいましょ。
それより山崎、あなたの方はいいの? 久しぶりでしょ。少しくらいなら時間あげるから……会ってきたら?」
ふふ、ちょっと意地悪してやった。
鉄面皮の山崎め、少しは動揺しちゃいなさい。
「そのようなお気使いは無用でございます。
――それではお嬢様の搬送は私のほうで手配いたしますので、摩耶様は増えました荷物の最終チェックとセキュリティチェックへの対応の方、ご確認いただきますようよろしくお願いいたします」
へっ、それだけ?
ちっ、つまらないやつー。
ほんとこんなやつのどこがいいんだか? 私にはわかりませんよーだ。
「ええわかってるわ。じゃ、出発は一時間後、それでよろしくね」
「はい、摩耶様」
山崎の淡々とした返事を聞きつつ、私は軽くため息をつく。
香澄……。
あなた馬鹿よ。大馬鹿よ――。
ろくでもない奴らに操られ、化け物に成り果てた元部下を思い、でもそんな気持ちを慌てて心の片隅に封じ込め……、私はこれからのことについて考えようと、頭を切り替えるのだった。
*
「村野香澄は失敗しました。
まぁもとより捨て駒ですからそれはどうでも良いのですが……。やはり神坂カナン、唯一の完成体の能力は素晴らしいの一言です。
フォスの監視カメラをハッキングして得た映像と、村野香澄に埋め込んであったナノマシンから得た情報という限定したものでしかありませんが、やはりあの力、そしてその原理。どんな手段を用いても手に入れるべきものであると考えます。
それにしてもあの時、フォスのスタッフマネージャーのロシア女、確かパルネラとか言いましたか……、あの女があのタイミングで照明を戻さなければ、忌々しい護衛の男の息の根を留め、うまくすればあの少女の身柄を確保できたかもしれないと思うと残念です」
冷たい壁に覆われた4畳半ほどの薄暗い部屋でピシリとしたビジネススーツに身を包んだ三十代後半程度に見える男が、通信用コンソールに向かい報告する姿があった。
画面の光に照らされて見える男の顔はやや女性的ではあるものの端正で、言葉を発したその薄い唇はゆるく孤を描いていて冷たい雰囲気を漂わせている。綺麗に整えた髪を整髪料で撫でつけ、いわゆるオールバックでまとめてあげている彼はどこぞの高級官僚もかくやといった風体である。その姿そのままに男の声はどこか冷たく感情に乏しい。
「まあ良い。サンプルを手に入れられなかったのは残念だが、失敗作を処理する手間が省けたと思えば悪くは無い。それにそれなりに成果もあがっているではないか。
ご苦労だったな。
君は得られた情報を早急に持ち帰り、下で待機しているこちらのスタッフに渡してくれたまえ。
それ以降は……、そうだな、ふふっ、なんならガン島で休暇をとってもらってもかまわんのだぞ? 次の策もまだ決まっておらんし何よりほれ、君はほとんど休暇をとらんだろう、羽を伸ばしてくれば良い」
コンソールの向こうから、男のしゃがれ気味の低め声がそう告げる。最後は報告者を少しからかうような言葉すらかける。
「……ご冗談を。速やかに報告資料をまとめ、提出いたします。それに次の手もきっちり考案しております。戻り次第手を打たなければいけません。……では、時間もありませんのでこれで失礼いたします」
男はかすかなため息をつきつつそう返答し、コンソールの電源をすかさず落とす。
「ちっ、愚図め」
何も写さない真っ黒な画面に向かい男は小さな声で悪態をつく。
冷静で冷たく見える男の表情。
しかし、その時だけは男に感情の火が灯ったかのように見えたのだった――。
やっと宇宙編終了。
次回からは日常に戻ります、たぶん。




