23 カナン、常識外れの遠足へ行く
「ふわぁー」
眼下に広がるあまりにも透き通った青い海に心を奪われ、俺は思わず感嘆の声を上げた。
青といっても色んな色合いがあるけど眼下に見えるそれはライトブルーというかアクアブルーというか……、とにかくそれはもう、とても綺麗で……。
「くすっ、カナンさん、赤い瞳をキラキラさせてお口ぽかーんってなってます。そんなに大きく目を開けちゃうとこぼれ落ちてしまいますよ?」
「ほんとっ、カナンちゃんかわい~! お星さまいっぱいだねっ」
そんな俺の様子を前の席に座ってた二人が背もたれ越しに覗き込んできて言う。それにしても三島。お星さまはないだろ、お星さまは。つか俺ってそんなに目をキラキラさせてたのか? くぅ、不覚。
「ちょっと三島さん、それに夏目さんまで……、座席の上で膝立ちするなんてはしたない。淑女を目指すものとして恥ずかしいとは思わないのですか?」
俺の隣に座ってる西園寺がそんな二人に突っ込みを入れる。
「もうこんな時までうるさいなぁ、委員長は。ちょっとカナンちゃんの隣に座れたからって浮かれちゃってさ。それに私、淑女なんて別に目指してないしー。そんな面倒なことするわけないしー。そういうのはれーな、あなたとかあすみんに任すわ、よろしくね」
「なっ、しょ、翔子さん! し、失礼な。それに私、浮かれてなど……」
「ポーン。……当機は間もなく着陸体勢に入ります。背もたれとテーブルが元の位置にあるかご確認いただき、シートベルトをしっかりお締め頂きますようよろしくお願いします……」
委員長が三島に言い返している最中、軽い電子音と共に機内放送が入りその言葉が遮られる。
「あーもう、いいからいいから。ほら、アナウンス聞いたでしょ? もう着陸だよ。シートベルト締めなきゃ」
俺と夏目を置き去りにして委員長と三島がそんな掛け合いをしていたが、機内放送をこれ幸いにとばかりに三島が話をバッサリ切り、前に向き直るとさっさと席に座り込んでしまった。夏目も微妙な笑顔を浮かべながらそれに追従する。ほんと調子いいよな、三島って。
「ああもう、ほんとにあなたって人は……、小憎らしい方ですわねぇ。
ああ、カナンさん。シートベルト着用、大丈夫ですか? 私、お手伝いしましょうか?」
委員長も最後に一言愚痴を垂れると、あっさり気持ちを入れ替え俺の方を向き、さっきまでと打って変わった優しい笑顔を浮かべ、そんな心配をしてくれる。
「へっ? あ、ありがとう。でもいいです。もう着用しましたから」
ったく、シートベルトくらい自分で着けられるつーの。つうか離陸の時もしてたでしょうが。ほんと、俺の周りのやつって過保護なやつばっかだな。
「あら、そうですの……、わかりましたわ。
ですが、何か困ったことがおありでしたらいつでもおっしゃってくださいね? 些細ことでも協力は惜しみませんわ」
露骨に残念そうな表情を浮かべつつ、尚も食い下がって来る委員長。
あんたも案外三島と似たり寄ったりだよな。俺は心の中でそんなことを思い、ほくそ笑んだ。
しかしまぁ……、俺にとっても久しぶりの宇宙行きだが、ほんとみんな忙しないよな。なんだかんだ言ってこいつら……、宇宙に上がるのが楽しみで仕方ないんだろうな。
――俺たちは今、インド洋に浮かぶ島国、モルディブのガン島目指して学園の専用機で空の上だ。何というか、中型機とはいえ、専用の旅客機を所有してるとか、大概だと思うけど……、まぁ今はそれは置いておこう。
その目的はというと……、要は学園の遠足(社会見学と言ってもいいけど……雰囲気的には遠足で間違いない)である。遠足でモルディブとか呆れて物も言えない。つうか、モルディブ自体出発点であって本当の目的地はそれすら霞んじまう、庶民には一生に一度だって行けないかもしれない場所。……さすが日本有数の金持ち学校、神坂学園の遠足だけあって半端ない……マジで呆れ果ててしまう場所だ。
もったいぶるのはそろそろよそう。
目指すはがん島沖に建造された軌道エレベータのアースポート、海上に建設された宇宙空間に向けての発着拠点である。そしてそこから更に人類の作った恐るべき巨大な建造物……軌道エレベータ、そのシャフト内を通っているクライマーと呼ばれるリニア駆動列車を使って約三百キロ先の上空に存在している低軌道ステーションを目指す手筈である。
その先にはまだ静止軌道ステーションや高軌道ステーションも存在しているが一般的に解放されているのは低軌道ステーションのみである。いや神坂の力を使えばそこに行くことも十分可能だろうけど……、そもそも静止軌道までの距離ときたら約三万六千キロもあり低軌道ステーションまでの距離の優に百二十倍、高軌道ステーションに至っては五万キロ、百六十七倍。もう遠すぎて遠足で行くようなところでは決してない。リニア使って時速五百キロでぶっ通しで走っても七十二時間かかる計算だ。まる三日列車に乗ってるだけだなんてバカバカしすぎだろ?
宇宙気分を味わうだけなら低軌道ステーションで上等だ。三百キロ程度ならそれこそ一時間もかからずステーションまで着いちまうんだからな。
そもそも国際宇宙ステーションがあるのだって低軌道上なんだからな。
十分すぎるだろ?
それにしたってこの遠足ときたらほんと庶民なめまくりだよな。
宇宙から帰ってきたら来たで、ガン島でリゾート気分で一泊も織り込み済みなんだぜ? 一泊二日の遠足ってなんなんだっての。もはや修学旅行だろ? これ。
ここまで庶民との格差がはっきりしてるともう笑うことすら出来ないって。いつもながら釈然としないものを感じるけど、こうやって文句言ってる俺も結局その一員だし。
も、申し訳ない――。
ちなみに俺たちのクラスで生徒は三十人いるわけだが、当然のごとく欠員なしの全員参加。しかも中学部は他に四クラスあって、さすがに同日にこの大人数で動くのは難があるので日をずらしてすべてのクラスで行うんだと……。
理不尽にも程があるって!
俺はそんな訳の分からない憤りを心に秘めつつ、しかしその気持ちとは裏腹に、窓から目を離すことなく移り行く魅惑的な海の景色に見入っていた。
だ、だって、仕方ないじゃないか。け、景色がきれいすぎるのがいけないんだ。み、見なきゃ損ってもんだろ、うん。
そんな窓にへばりついて離れない俺を見て、周りの生徒や先生たちが温かい目で見ていたことに俺は気付くことなく……、終始ご機嫌な笑顔を浮かべ、窓から見える美しい景色に魅入られていたのだった。
*
国際宇宙輸送機関(International Space Transportation Organization;ISTO)軌道エレベータガン島アースポート。
ガン島の沖、十五キロほどの位置に作られた軌道エレベータの発着ポイントである。モルディブ共和国内にあるがその管理運営はその名前からもわかる通り国際連合に連なる組織が担っていて、モルディブにはそこから出た収益のおおよそ十五%が配分される。高いか安いかよくわからない割合だが、この施設は世界中の国々が使う極めて公共性の高いものであり、二百近くある国連加盟国を押さえそこまでの配分を得られるのだからそれはもう相当優遇されていると言っていい。土地持ってると強いってことだな。
モルディブ一国だけではとてもこんな規模の施設を維持することなど出来るはずもないのだから、まさに軌道エレベータさまさまであり、これによって得た資金のおかげでモルディブは海面上昇による国土消滅から逃れられたと言っても過言ではない。
「はい皆さーん、ちゃんと二列に並んで慌てず騒がずですよー」
ガン島の国際空港からチャーターした小型の水中翼船に乗り換え約一時間。きれいな海の景色と別れようやく目的地への出発点であるアースポートに着いた俺たちは、アースポートの威容に驚きつつ、やたら張り切る担任の咲川やその他引率の教師たちの元、全員無事チェックインカウンターでの搭乗手続きを済ませ、リニア駆動列車乗り場へと向かっていた。
「あはっ、咲川先生、張り切りまくっちゃって、まるで子供みたいだよねー」
「そうね、同じ子供のカナンさんがこんなに大人しいのに……、大人げないとしか言えませんね」
むぅ、そこで俺を引き合いに出すなっての。つうか、夏目ひどい……。毒舌入りまくりだ。
「もう亜須美ちゃん、ひどいです。私子供じゃないです。先生と一緒にしないでください」
くすっ、俺も夏目のこと言えないか。
「ちょっとそこの二人。神坂さんに夏目さん。私語は謹んで。っていうかなんだかひどいわ。ううっ……先生の給料じゃこんなとこ新婚旅行ですら来れそうにないんですもの。浮かれちゃうのも仕方ないじゃない……。ぐすっ、どうせ先生なんて、この歳で決まった人も居ない行き遅れですよー」
うわっ、うぜえ。生徒相手に何愚図ってるんだって。つうか話それてってないか? 俺はあんたの人生相談なんか聞く趣味ないっつうの。
「先生!大丈夫ですよ。きっといい人見つかりますって。
例えばー、そう。カナンちゃんの運転手さんていいんじゃないですか? かっこいーですよー、あの人。体も大きくてがっしりしてて……、すっごく頼りになりそう。
それに何よりイケメン! まじポイント高いんだよねー。
ね、カナンちゃん。あの人まだ独身だよね? 歳はいくつなのかなぁ。
みんなで二人をくっつけ……」
「だめっ!」
三島が悪ノリして話を膨らませ、俺にもそう問いかけて来た。
俺は……、俺は思わず大きな声でそう叫び……、三島の言葉を遮ってしまった。
「あらー? あらあら、あらあら」
夏目の目が怪しく光った気がする。ふるっ、なんだか寒気が……。つか俺……何言ってんだろ。
「か、カナンちゃん?」
三島が戸惑いの声をあげ、俺を見て来る。
「あ、あれ。そ、その、えーと。
ああうん、私の運転手は私だけじゃなくって摩耶姉さんの運転手さんでもあるから……、わ、私の一存じゃ勝手出来ないの。
うん、そうなの!
だから、ごめんね、力になれそうになくて……。
ほんとごめんなさい」
な、なんだよ俺。何言ってんだよ。
何あたふたしながらそんなこと言ってんだよ。おかしいだろ。
「うふふふっ、そう、そうなのね? カナンさんたら……」
なんか夏目が怖い、つか怪しい。な、何考えてんだろ……こいつ。
「そうなんだー、じゃダメかー。先生、残念だったね。そうだ、なんなら摩耶様に尋ねてみるー?」
「神坂さんの運転手さん……、どんな方だったかしら……? むふふ……、
はっ!
ちょ、ちょっと三島さん! 私は、べ、別にお相手なんて……。っていうか、どうしてそんな話に……」
三島や夏目に遊ばれているのにようやく気付いた咲川先生。その顔は恥ずかしさに真っ赤になってる。で、俺も先生のことを言える状態ではなく……、俺自身の顔も相当赤くなってる気がする。
ああもう、勘弁してくれー! 今度山崎の顔がまともに見れないじゃないか。
などとバカをやってるうちに神坂学園7-A御一行様はリニア列車乗り場へと到着した。列車乗り場とは言うものの、そこは普通の電車のホームとはまったく違った景色が広がっている。そりゃそうだ、ここは軌道エレベータ。空に向かって上がっていく乗り物なんだからな。違って当たり前だよな。
かといってエレベータともまた違う乗り物なのも確か。列車は乗り場においてはまさしく列車のように水平な状態で乗客を飲み込み、けど車内は列車というよりは飛行機の機内に似た装いで、個別にしっかり用意された座席に座り、シートベルトでがっちり拘束される。
発車後はスペースの都合もあり急角度で水平から垂直へと移り変わり、上昇運動へと変化していく。変わっているのはその変化の中で座席もまた回転し、そこに座っている乗客は常に頭が上に来るようになっているということだ。冷静に考えてみればちょっと恐ろしい構図となる。上と下で列車の長さの分だけ高低差が発生しているわけで、上の席からもし落ちたりなんかしたらマジしゃれにならない。シートベルトはしっかりしなきゃな。ま、高度を上げて行けば重力の束縛から多少は解放されていくけど……それも微々たるものだ。要は余計なことはしない、それが一番だ。(もっともそんな余計なことをする余地は与えられてないけどな)
そんな列車のうんちくはさておき、生徒集団は咲川先生以外の先生たちによって滞りなくまとめられ、整然とした様子で乗り場の待合所に集合した。俺たちも何とか集団行動を乱さない程度で収まってると思われる。
なんか咲川先生いらなくない? なんて思ったのは内緒だ。
くそう、変なことに巻き込まれてたせいで景色見る余裕全然無かった。アースポートから見る海の景色もまた格別のものがあったはずなのに……。
俺は意識してそんなことを考え、さっきのことは無かったことにすることにする。うん、あれはきっと気の迷い、つうか、話の流れからついそんな風になっただけ。俺は別に何もない。うん、何にもないさ――。
そんなこんなで微妙な騒ぎを巻き起こしつつ、俺たちは無事、軌道エレベータのリニア駆動列車の住人となったのだった。
 




