19 カナンの悟り
「うわぁん、カナンちゃん心配したよー」
俺はただいま自席にて絶賛ハグられまくりだったりする。
そんなことしてくる奴はこのクラスには一人しかいない。そう三島翔子だ。こいつはもう少し遠慮とか、控えめな行動とか、力加減とか……、色々自重しろと声を大にしていいたい!
「ふみゅ、ふにゃ、み、み、三島しゃん、く、くりゅ、くりゅし……い」
俺の顔面はこいつの胸に埋め込まれ、息をすることすら満足に出来ないくらいに抱き込まれてしまってる。おかげで俺の言葉は息も絶え絶え、ろくに意思を伝えることすら出来ない。
なんとか自由を確保してる両手で三島の体をパンパン叩いても、それが逆に三島を煽り立てでもしてしまってるかのようで、更にハグが強烈になるなんていう……訳の分からない悪循環に陥っている。
ああ、やり直しの俺の人生もこれでお終いか……。気が遠くなりかけた俺はそんなことすら考えてしまった。
「ちょ、ちょっと三島さん、あなた一体何をされてますの! 神坂さんを絞め落とすおつもりですか? ほらっ、早くカナンちゃんをお離しなさい!」
見かねた委員長が三島にようやく注意しに来た。お、遅せえよ、い……いんちょ……。
「へ? あ、あれ? カナンちゃん?」
委員長の言葉に我に返った三島が腕の中の俺を見た。
俺はもうぐったりして意識朦朧って感じだ。ま、まじ死ぬかと思った……。つか委員長、今とっさに俺のことカナンちゃんって言いやがったな。
「ううぅ、みし……まさん、ひ、ひどいよぉ」
「あらあら、翔子さんったら、カナンさんをいじめちゃダメじゃない」
俺が息も絶え絶え三島に文句を言えば、そばでずっと俺たちの様子を微笑みながら見てただけの夏目がおっとりとそんなことを言う。な、夏目ぇ、お前、ほんと見てただけで何にも助けてくれなかったくせにぃ……。俺は三島と夏目を交互に恨みがましい目つきで見てやった。
「ふふっ、そんな熱っぽい目で見つめられたら照れちゃいます。カナンさんったらおませさん!」
「なっ、誰が熱っぽい目で見てるんですかっ、これは苦しかったから頭に血が上ったからであって、そんな意味はこれっぽっちもありませんー!
つか誰がおませさんですかっ、私とあなたは同級生なんですからね? 子供扱いしないでっ」
どこまでも人を食ったセリフをはく夏目にちょっとばかりイラッときた俺。ついついそんな言葉を返した。どやっ、なんて思ってたらまた三島が抱き付いてきた。
「あーん、カナンちゃーん、こめんよー! 苦しかった? わざとじゃないんだからねー?
っていうか、三島さんなんて他人行儀な呼び方やめてさ、翔子ちゃんとか、しょこたんとか呼んでいいんだよー」
さっきよりはマシとは言え、抱き付きながらそんなことを言う三島。
う、うぜー。
「あら、それじゃ私のことも亜須美ちゃんとか、あすみん? とか呼んでいただかないと困りますねぇ」
こ、こいつら……、絶対遊んでるだろ。つか夏目……、こいつ三島よりよっぽどタチ悪いんじゃね?
ああもう、どーでもいいや。
「……もう、わかった、わかりましたから。翔子ちゃんに亜須美ちゃん。こ、これでいいでしょ? だからもう解放してー」
俺の悲鳴にも似た声が教室中に響き渡った。
「きゃー、可愛いい。うれしー! もう一度言ってー」
解放どころか……、
何度も名前を呼ばされ、三度、三島……いや、翔子ちゃんの抱擁攻撃にあったのは言うまでもない。夏目はしたり顔で微笑んでやがるし……、こ、こええよ夏目。いや亜須美ちゃん。
で、そんな俺のそばで委員長がポツリと言った。
「私……、礼奈ですわ。礼奈ちゃん……とか、れいちゃんとか呼んでいただいてもよろしいのですわ」
その顔は照れからかほんのり朱に染まってた。
委員長、おまえもか!
そんなこんなで三日ぶりに学園に出た俺はクラスのみんなからやたら心配され、撫でられまくり、帰るころには心身共に疲れ切った状態になっていた。
山崎をして「お嬢さま、いかがなされたのですか?」などと心配されるほどには憔悴しきっていて、ここでも三度、お姫様だっこされて車に乗せられたのはもうどーでもいいことだ。
体力つけよう、俺。
*
「カナンちゃん、ちょっとリビングに来てくれるー」
夕食後、昼間の疲れからベッドの上で大の字になってだらけてたら摩耶姉さんが呼びに来た。
めんどくさいなぁ、疲れてるし、動きたくない……。
そんなことを考えつつも、行かないと余計面倒なことになるのは目に見えてるから、「よっこいしょ」と子供らしからぬ掛け声と共に体を起こし、ベッドから降りる。
「なんなの姉さん? 私今日疲れてるからゆっくりしたいんだけど……」
気だるげな声で軽く文句を交えながら用件を聞く。
「カナンちゃん、子供が何年寄りじみたこと言ってるの? あなたに耳よりのお話なんだからしっかりなさいな」
摩耶ねえ、年寄りじみたって……、俺は実際40越えだっつうの。見た目は子供だけど中身は擦れ擦れのおっさんだっつーの! ま、ちょっと最近、その辺自信無くなってきてるけど……。
「はいはい、わかりましたよー。で、何? 耳よりのお話って」
「ふふっ、どうしようかなー。やっぱ、見せるのやめようかなぁ。あんまり乗り気じゃないみたいだしなー」
う、うぜぇ。
なんで俺の周りはこんなのばっかなんだ。
「ああもう。見たいです、見てみたいです。ぜひ見せてくださいー」
「あら、そう? そんなに言うのなら……見せちゃう。
はい、じゃーん!」
じゃーんって、姉さん、ほんと……幾つだよ?
そんなことは兎も角、俺は姉さんが差し出したものをじーっと見つめた。
それは……、そいつは俺にとっては見覚えのある、いや、長年身に付けていたなじみの品だった。クレジットカードより一回りほど大きい、薄っぺらなプラスチック製のそれ。表面には顔写真と名前、それに所属が特殊な製法により印刷されている。
そう、それはあの研究施設に入るためのIDカード……だった。
「ね、ねえさ……ん。こ、これって?」
そのカードには俺の……、紛れもなく俺の顔と名前が印刷されていた。(よりによって顔写真、ツインテールになってからのやつかよ。いつの間に……)
『神坂カナン/Kamisaka kanan』
『宇宙資源応用研究開発機構』
『客員研究員』
「ふふっ、約束したでしょ? カナンちゃんが出来ることを考えてあげるって。
どう? ばっちりでしょう。
気に入ってくれた?」
ふ、ふふ、ふふふっ、ふひ、ふひひ、ひひひぃ。
き、気に入ったも何も。
くく、くひひっ。
「ね、姉さん、大好きー!」
「きゃ、か、カナンちゃん。あ、危ないわよっ」
俺はソファーに座ってこっちを見ていた姉さんに向かって思いっきり飛び込み、抱き付いた。
そう、もう恥ずかしいだの何だの、考えることすらすっ飛ばし、反射的にやってしまった。
「ふふっ、うれしいわ。カナンから私に抱き付いてくるだなんて。何気に初めてじゃないかな、これって」
俺は喜びの余り、無意識に姉さんの胸に顔をうずめ、腕を背中にまわしぎゅーっと抱きしめていた。姉さんは俺の勢いに押されてソファーで横倒しになってて、小さな俺の体がその上に乗ってるって様相だ。
うわぁ、なんか俺が姉さん押し倒したみたいになってる。(つか実際そうなんだけど)
「あ、あうっ、こ。これはちが、違うんだ。その、つい嬉しくて。その。ごめん、摩耶姉さん。すぐどくから」
俺はすぐ我に返り、慌てて姉さんの上から降りようとするも……、
「ちょ、姉さん、離してよ。動けないから。降りられないからー!」
「だめー! せっかくカナンちゃんから熱い抱擁してくれたんだもの。十分堪能させてもらわなきゃ。うーん、小っちゃくって、柔らかくって、かーわいい。
ふふっ、なんだか生きたお人形さんみたいねー。それにとってもいい匂い……するし。
ほんと可愛らしい私の天使。
ずっとこのままでいてねー!」
ううっ。な、なんだよそれ。俺は姉さんの人形じゃねぇっての。
だいたいずっとこのままであってたまるか。とっとと大きくなって、さっさと大人にならなきゃなんにも出来やしない。
「もういい加減離してっ。じゃないとー」
俺はもういい加減、我慢の限界とばかりに集中を高めだす。
「わわっ、ちょっとカナンちゃん? 何しようとしてるのかなぁ?
あはは。わかった、わかりましたから。だからね、体悪くするし……、やめようねー?
はい、よいしょっと」
そう言いながら俺を床に下ろす姉さん。
だけど。離してくれるのはいいんだけど!
俺の脇に手を差し入れて抱え下ろすのはやめてくれー!
「もう姉さん、ほんといい加減にしてよね? そりゃ私も飛びついたのは悪かったけど……、調子乗りすぎなんだからね、ったくう。
――けど。
あ、ありがとう! 大好きだよ、姉さん」
俺はもらったばかりのIDカードを胸に抱き、もう一度姉さんに心からのお礼を言った。ちょっと恥ずかしかったけど……、
これが今の俺の本心なんだから仕方ないじゃないか。
顔を赤くしてそう言った俺の頭を姉さんが優しく撫でてくれた。
それがとてつもなく心地よくて……、暖かい気持ちが湧き上がって来ることを抑えることが出来ない。
俺はもう……、自分が自分で分からない――。
俺の存在って何なのか?
今の俺は一体……、子供なのか大人なのか。
いや見た目は間違いなく子供だってことは分ってはいる。
けど……。
ああもう、まじ何が何だか分からなくなってきた。
だから――。
だからもう、無理に大人だ子供だなんて考えるのはよそうと思う。
今更過去を……、もう地球上のどこにも存在しない雫石河南であったってことを……、今の自分に押し付けることはよそうと思う。
っていうか、もうかなり前から子供としての意識が強くなり、大人だった頃の意識も、意図して強く意識しなきゃ保てなくなってきている。もちろん、男だったって意識はそう簡単に捨て去ることは出来ないし、俺が俺だってことは変わらない。
けど、それはそれだとして、実際問題。
今の13歳で通ってる年齢さえ……、そもそも俺が小学生になんて絶対にならないってダダをこね、せめてもの抵抗として無理矢理中学に入るためにそうなっただけで……、本来なら10歳にも満たない程度の体なのだ。そんな現実の前では大人の精神状態を維持するのにも限界があるってものだ。
そう、俺の精神はすでにこの体に引きづりまくられてる。
今でさえこれだ。
この先、第二次性徴でも始まったりなんかしたら更に俺の精神はどう変わってしまうやら……ちょっと怖い気がする。
けどそれもまた一興かもしれない。
俺は俺自身の研究をしてやるさ。おあつらえ向きに俺の体は研究材料で一杯だ。
姉さんが用意してくれた身分はそれを十分可能にしてくれる。
――うん。
これからを楽しみにしておくとしよう。
ちょっとこじつけっぽいかな?




