18 戸惑いのカナン
姉さんに撫でられつつ眠り込んでしまい、次に目が覚めてみれば……今や住み慣れた自分の部屋に寝かされていた。
時間は朝の七時。そういや腹も減って――、
いや、それは今はおいとこう俺。
そんなことよりもだ。
なんか最近、自分の知らない間にひょいひょい居場所が変わってることが多い。何というか、どうも俺は幼女よろしく抱きかかえて移動させられてるみたいで……、非常に不本意だ。
お姫様だっこなんてその最たるものだ。くぅ、今思い起こしても恥ずかしい。
まったく。
いくら俺がちみっこいからと言ってだ、俺の意思を無視して勝手に持ち歩くな!と、声を大にして言いたい。言い聞かせたい。
俺は子供じゃない、俺は元男で、40越えの分別ある大人だと、懇切丁寧に言い含めてやりたい。
それでもって、耳元で目一杯大きな声でがなりつけてやりたい。
主に摩耶姉さんに。姉さんの耳元に、だ。
切実に……、いやマジで。
ま、……不毛な妄想はさておいてだ。
なんかシャレにならねぇな――、俺。
なんなんだよ、一体。何であんな目に合わなきゃなんないんだ?
俺は一体どうなっちまうんだ?
銀髪赤目のエルフ女になっちまっただけでも相当きついものがあるのに、化けもんに襲われるはエニグマは吸血臓器だわ……。
もう最悪だよな。
どうするよ、俺。
このまま引きこもって、姉さんに養われて籠の鳥で一生過ごすか?
毛色の変わった研究用モルモットで満足かよ?
違うだろ。
……やっぱ、人任せは俺の性に合わない。
俺の灰色の脳細胞をこんなとこで腐らせてたまるか。
伊達や酔狂で醜男ながら、あの研究施設のプロジェクトチームのチーフエンジニアにまで成り上がったわけじゃない。あの時は姉さんに言われるがまま頷いてしまったが……、このまま引き下がったら男がすたるってもんだ! いや女だけどさ。
見てやがれ俺を襲ったやつらめ。
俺はエニグマを極めて、そんでもってちょっかいかけて来る訳の分からんやつらもぶっ潰す!
おおぉ、盛り上がってき……「おはよう! カナン。もう起きてる?」
ひぐっ! な、なんだぁ?
俺が朝っぱらからベッドの中でぬくぬくしながらも盛り上がってたら、ノックしたのかどうかも分からないくらいの勢いで摩耶姉さんがいきなり部屋に突入して来た。
「は、ひゃいぃ!」
俺は急だったというより、考えに夢中だったことから気配にも全く気付かず、まじでビックリし、毎度ながら変な声を出してしまった。
俺の盛り上がった気持ちを返せ。さっきまでのシリアス気分を返せー!
もうやだー。
*
「だーめ」
「な、なんでさ? なんでだめなの?」
俺はベッドの中で考えてた思いを摩耶姉さんに伝え、協力して欲しいと願った。
で――、速攻却下くらった。
今さっき決意したばかりなのに早々に挫折かよ!
理由? もちろんすぐ聞いたさ。
「聞きたいの? ほんとに分からないの?」
「うう……」
問いただしてきた摩耶姉さんに俺はぐうの音も出ない。
ああそうさ、……わかってる。
しゃくだけど、今の俺には何の力もない。雫石河南で無くなった俺には何の力もない。まぁ雫石のときも大したものでもなかったが……、少なくとも今よりはマシだった。
小学生並の……小さい女の子の体は余りに無力だ。この体には以前のような地位は当然なく、付いて来てくれる部下もいない。金は……まぁ、あると言うか、使おうと思えば使えるだろうが……、なんだかなぁ。
そう、わかってたさ。今の俺に出来ることなど何もないってことは――。
「今のあなたは雫石チーフじゃない。もう研究施設に入る資格もない。それにそもそも検証しようにもサンプルも盗られて、今更もうどうすることも出来ない。
あきらめなさい?」
むむむぅ。
な、なんでそこまで俺の言うこと否定するんだよ、何で少しくらい言うこと聞いてくれないんだよ……。
俺は悲しくなり、そんな自分の無力さが情けなくなり……急激に目の奥が熱くなってきた。
ちょ、ちょっと待て俺。
これはまずい。これはおかしい。俺は男だ。40越えの男なんだ。
こんなことで、こんなことくらいで……、泣いてたまるか!
なんて俺の心の葛藤など関係ないとばかりに、小さい顔のくせにそこに占める割合がやたら大きな赤い目、その両の目からじわり涙が滲みだし、そしてこぼれ落ちる。
「えっ、ちょっとカナンちゃん。な、泣かないで? うそうそ、ちゃんと考える。カナンちゃんにもやってもらえることないか……、ちゃんと考えるから。だから泣かないで―」
すでにぽろぽろと涙が止まらない状態になってる俺を見てアタフタする摩耶姉さん。ベッドの横で膝立ちになるとそのまま俺を抱きしめた。つうかさ、抱けばいいだなんて思うなよ、摩耶姉さん。俺はそんな安っぽい女の子じゃないぜ。
……って、また、俺何考えてんだよ。
そんな思いとは裏腹にしっかり俺の涙は収まり出し、抱きしめられ、背中をさすられるとしゃくりあげつつも安心感に包まれる。
うう、もう穴があったら入りたい気分だ……。自分の心が儘ならない。
「ちゃんと考えてるから。だからとりあえずは、ね。学園に行って? 普通に子供らしい生活を送って、女の子の友達と遊んだり、お買い物したり、おいしい物食べたり……。
せっかく拾った命なのよ。生き延びて……、なによりそんな可愛らしい体でやり直せたんだもの、楽しまなきゃ。難しいことは今は大人に任せて……ね」
「で、でも……」
「ね? お・ね・が・い」
ううっ、姉さん、目が笑ってない。本気だ。こ、ここで下手に反論なんてすれば……、きっと今より状況悪くなる。そんな予感、つうか確信をビシバシ感じた。
結局俺はなんだかんだと摩耶姉さんに言いくるめられ、渋々ながら数日ぶりかになる学園へと登校することになった。
行ったって何も得ることもない、無駄な時間なのに……。だいたい、40男の俺に中学生の友だちなんか……絶対無理だ。そうに違いない。
などと思いつつも俺の脳裏には俺の髪をツインテールにした(そして今や俺の普段の髪型も、姉さんが気に入ってしまってツインテだ)三島翔子とそのツレ、夏目さんのことが頭に浮かぶ。
……くすっ、ついでに西園寺も仲間にいれてやるか。そんな考えがつい表情に出てしまったのか、姉さんに突っ込まれる。
「あら、いい笑顔。それよ、それ。カナンちゃんには笑顔が似合うわ。よしその調子で食事にしましょう。用意出来てるわ」
「う、うん……、わかった」
俺にもう抵抗する気力は残ってなかった。
ちなみについでに言っておくと、摩耶姉さんに料理はぜーったいの無理ゲーだ。
一度食べさせられたことがあるが、即吐き出さなかったあの時の俺を褒めてやりたい。「私の口に合わないからもう二度と作らないでいい」と、優しく言ってやった。泣きそうな顔してたけど、こっちも命かかってるからな、甘い顔はしない。
ってことで、ウチの食事は全て専属の料理人が調理したものが届けられたものである。朝めしから一流シェフが腕を振るった逸品なのである。頭痛い。いやいいんだけどな、うまいから。
けどなんか……、ほんと、釈然としないぜ。やっぱ根が小市民だよな……俺。
更についでに言えば、食事はそれ専用の小型エレベータで階下から届けられるという、どこまでも庶民を舐めたシステムになっている。つかこのマンション、どの部屋もこんななのだろうか? ……んなわけないよな。きっとこの階のここだけのことに決まってる、決まってる……よな? ま、いいんだけどっ。
そう言えばと、施設の話もあったし……ちょっと気になってたことを食事がてら姉さんに聞いてみた。
「姉さん、最近あっちで村野さん見かけないけど、配置変更でもあったの? 散々お世話になったのにあそこ出るときも挨拶出来なかったし……、もう会えないのかな?」
俺のこの問いかけに姉さんにしては珍しく、返答に間が空いた。その表情はどう見ても困ったような、戸惑ったような……、要はだ、いかにして誤魔化そうかって考えてる表情だ。伊達に40年生きてない。そんな時の顔を見破るなんて部下でも慣れてる。
「そ、そうね、カナンの言う通り、あの子は配置転換になっちゃってね。
……急な辞令だったからカナンちゃんにも挨拶に行けないからって、よろしく伝えてくださいって――、頼まれてたのに言うの忘れてたわ。私ったらだめね。
ごめんなさいね、カナン」
微妙な表情はすぐに消え、その後はいつも通りの姉さんに戻り、俺の頭を撫でながらそんなことを伝えてくれた。
「ふーん、そうなんだ。残念だなぁ、ほんとにお世話になったからキチンとお礼言いたかったのに」
明らかに怪しい姉さんの言動だったけど、俺はその場で突っ込むことはせず、何事も無かったかのように食事を続けた。
誤魔化したのは間違いない。
けど俺は事実を知り得る立場に居ないから確認するすべは当然ない。
それに姉さんが黙ってるってことは俺は知らなくていい、あるいは知らせたくない――って思ってるってことだ。
ま、気になるけど……姉さんの思いを尊重しよう。
俺は未だ俺の頭を撫で続けてる姉さんを上目でひと睨みし、やめさせる。
さっきのことなんてすでに忘れたかのようにほっぺを膨らませてぶーたれる姉さん。マジ歳考えろってば。
俺は無視して残ってる食事を摂ることに専念するのだった。
うん、美味しい!
*
「お、おはよう……山崎」
「おはようございます、お嬢様」
食事を終え、身だしなみを整え(てもらい)、姉さんに送られつつ(出がけにしっかりヘッドフォンをつけさせられた。ちっ、部屋にほっぽり出しといたのに……)、いつも通りポーチで待ってくれていた山崎に朝の挨拶をした俺。リムジンは壊れたはずだけど、目の前にあるのはいつものと寸分変わらないリムジンだった。何台同じのあるんだよ、これ?
山崎は先日のことなどまるで無かったかのように平常運転だ。俺のことお姫様だっこしたくせに……、少しはなんらかのリアクション見せてもいいんじゃないのか?……って俺は一体何を期待してるんだ。あ、ありえん。
そんなことを思いつつも……やっぱ、き、気まずい。
とは言うものの、俺は山崎の姿をまじまじと見つめる。特にある一点を。
じーーーーーっと。
「あれ? うーん……」
「お嬢様、いかがなさいました? そのような難しいお顔をなされて。体調がすぐれないようでしたら本日の登校、お止めになられますか?」
「へっ? あ、いや、別に大丈夫だから。い、い、行ってください」
俺は慌てて両手を胸の前に突き出し、手のひらをふるふるさせながら言った。
けど、なんだよ山崎。怪我、ほんとに大丈夫なんだ?
普通に右腕動かしてるよな。あんなに血を流してたんだ。てっきり相当の重傷負ったんじゃないかって……心配してたのに。
俺が尚も釈然としない表情を浮かべつつ山崎を見てるので、それと察したのか……、おもむろに右腕の制服の裾を捲り上げだす山崎。
「お嬢様、ご心配いただいたようで申し訳ありません。しかし本当に大丈夫なのです。
お見苦しくて申し訳ありませんが、論より証拠と申します。ご覧ください」
そう言いいながら、更に露出した腕の皮を肘の上辺りからずるりと引き下ろしてしまった。
「ちょ、山崎何を!
って、えっ、ええっ?」
俺は両の目をこれでもかっていうくらいに見開きそれを見た。もう目ん玉こぼれ落ちちゃうんじゃないかってくらいにだ。
ま、まじか……よ。
俺の赤い目に映っているのは皮と骨と筋肉、それに少しばかりの脂肪で構成され、血の流れで生かされている生きた人間の腕、では決して……ない。
そう、それはメカというには生々しい。けど生身というには無理がある。機械と肉体が混じり合ったもの――。
「ご覧のとおり、私の右腕、それとこの際ですからお伝えしておきますと、右目もですが――。
これらは皆、サイボーグ技術で造られた、まあ分かりやすくいえば義手であり義眼です。先日お嬢様が目にされた、右腕からの出血のようなものは実は私の血ではなく、アクチュエータやサーボ、微細な回路を動かすために用いられている特殊なオイルが衝撃による破壊で滲みだしてしまったものなのです。オイルの色が……その、赤い色をしておりまして。
その、ご心配させてしまったようで申し訳ありません。
……ただ、進んで言うようなことでもありませんでしたので」
俺はもう愕然とした。
開いた口が塞がらないとは正にこんなことを言うのだろう。
そりゃそんな技術があるのは十分承知していたし、宇宙に出てる人達の中にはそれこそ全身がそれだって人間が居ると聞いたこともある。きっと軍人なんかも職業がらそんな奴が多いかも知れない。
けど、それでも一般人がそれを見る機会なんてまず無い。軌道エレベータとハブステーションが完成し、とうとう本格的に人々が宇宙に乗り出し始めた今でもだ。
それほど高価で、特別なものなのだ。それは。
や、山崎。お前って一体……。
ぼう然としたまま、リムジンの前で動かない俺。もう完全、固まっちまった。
山崎がそんな俺を見てやれやれとゼスチャーを交えながら言い、またも驚きべき行動に出た。
「摩耶様の許可も出ておりますので失礼します」
そんな言葉と共に俺は再び……あれをやられた。
いつの間にか腕は元の状態になってる。
「ふぇ?」
空中を浮遊する、不安定な感覚に思わず山崎の首周りに腕を回す。
暖かい体温を感じる。不思議と嫌な気分じゃない。つか安心感すら感じる。
その状態は長く続かず、あっさりリムジンの後席にそっと差し入れられ、シートにポスンと優しく座らされた。
「はぇ?」
「失礼いたしました。ではよろしければ出させていただきます」
「……は、はい。よ、よろし、く?」
な、何が起こったんだ? 一体。
とりあえず全身真っ赤になってるのは間違いない。
――現実逃避した俺は、学園に着くまでずっと山崎に座らされた体勢のまま、呆けていたのだった。
なんだかいつもより増量。
でもいつも通りあまり進んでない……。




