16 襲撃(後編)
出る前に外の様子をしっかり確認する。
いくらエニグマによる力が使えるったってまだ全然使い慣れてない。用心するに越したことはないのだ。(だから決してビビってる訳じゃないんだからな)
やはり山崎は相当苦労してるようで、両手で持っていたはずの警棒はすでに左手の一本だけになっていた。
利き腕であろう右手はだらりと下げられ、上着は脱いだのか白いシャツの袖口から肘にかけては赤く染まってしまってる。それ以外だって至る所に小傷が出来てる、くそ。
狼野郎はと言えば、潰された片目からの出血はすでに収まってて、さっきまでの暴れようが嘘のように冷静さを取り戻してやがる。どうなってるんだよ、一体。
山崎から相当数の打撃を受けてるはずなのに毛皮に包まれた馬鹿でかい体に目立った傷とかはなく、逆に山崎は疲労もあるのか次第に追い込まれてるようで見ていると居たたまれない。奴の攻撃はさっきの熊公と違って一気に攻め込んでくるという物じゃなく、でかい図体の割にじわじわ細かく、まるでいたぶるようかのように嫌らしい攻撃をしてくるって感じでマジうざい。
しかし、こんな化け物相手で勝てるってなればもう人間やめちゃってるレベルだと思うし、そういう意味じゃ山崎は本当にすごい奴だ。マジ尊敬する、やっぱかっこいいぜ!
――それは兎も角。
「ああん、くそ。山崎危ないじゃん! 早く助太刀しなきゃ……、
って、なっ、ドアが開かない?」
勢い込んで表に出ようとしたものの、肝心のドアが開かない。どうやらさっき狼野郎がリムジンを凹してくれたおかげで、ドアのヒンジかロック、あるいは両方?が壊れてしまったらしい。くそぅ、何から何まで忌々しい奴だ。
運転席と後席の間にはやたら強力な防護ガラスの壁があっておいそれとは前にも移れない。ああもう面倒だな。こんなことしてる間にも山崎がやられちゃうかもしれない。
「めんどくさい。もうドアごと破って外へ出る! どうせガラスも割れちゃてるし、ボディだってぼこぼこなんだし……、いいよね」
俺はそう言って自分に気合を入れ、エニグマへ意識を注力する。
「……気にしないでやっちゃいなさい。どうせそれにも飽きて来たところだし、どうせやるなら派手になさいな……」
俺、ひとり言のはずだったんだけど……。
摩耶姉さんが、ヘッドフォンを通じてそんな返事を返してきた。お、俺の緊張感を返せ。
俺は無視して集中を続ける。
「あー、カナンちゃんが無視するー、カナンちゃーん、聞いてるー?」
無視する……つもりだったけど、ダメだった。
「あーもう、うるさい! 今こっちはめちゃくちゃやばいとこなの! 焦ってるの! 邪魔しないで」
俺はそう言ってヘッドフォンを頭からもぎ取り、シートの上に放り投げてやった。そこからは未だシャカシャカ音が聞こえて来る。うぜぇ。
「よし、静かになった」
ツインテールにしたせいか、隠されていた尖った耳が露出し、それと共に聴覚も元に戻る。摩耶姉の声は聞こえなくなったのはいいけど……今度は別の意味で色々な音が耳に入って来る――。
激しいながらも整った呼吸。荒々しい、唸り声を伴った呼吸。対照的な二つの息遣いが生々しいまでによく聞こえて来る。リムジンのエンジン音は山崎が切ったのか、それとも壊れてしまったのか……聞こえず、周囲はと言えば相変わらず何の気配もない。
救援遅ぇ!
俺が出ると色々山崎に見られてしまうけど仕方ない。つか、もしかして彼は知ってるのかな?
真相はともかく今は外に出て狼退治が先決。
いっちょ派手に……いや、だめだ。確実さが大事、慣れてる自然現象系で行こう。俺はドアに適当に手をかざし、ある物を心に描くとエニグマに気を通し(そんなイメージを俺がしてるってだけでそれが正しいのかなんてわからない。ただ、今のとこそれでうまくいってる。それが全てだ)、それを顕在化させる。
ドアが急激に膨張したかと思うと、ミシミシメリメリと軋み音をあげる。
それでも膨張は止まらず、ついには「ボン」と鈍い破裂音がし、砕けた氷の破片と共にドアのパネルの外側の部分が外に向けはじけ飛んだ。もちろん中には俺が居るから、内側にそれが向かないよう調整するのは忘れない。
予想外の大きな音と飛び散ったドアの破片に驚く狼野郎と山崎。ああっ、山崎ったら俺の方見て苦笑いしてる。ちぇ、あいつやっぱ姉さんから俺のこと聞いてるな? ったく摩耶姉さんのおしゃべりめ。
俺は愚痴りつつ、残った内貼りに手を添える。途端にそれは真っ白になり液化した空気が表面を濡らす。そこを俺がちょいと足蹴にしてやるとぽろぽろとあっさり崩れ落ちた。ぽっかりと空いたそのスペースを(不本意ながら)小さい体を生かしスルリと通り抜け、ようやく外に出る。
「お嬢様、危険です。いくら特別なお力を持っていようと、現場では何が起こるか分かりません。それ以上こちらに近づかないようにしてくださるとうれしいのですが……」
山崎がリムジンから出た俺の方をちらりと見ながら注意の言葉を発した。けどその言葉には先ほどまでの力強さがない。そんな余裕もないほど狼野郎に集中してるんだろう。怪我も思ったより酷そうだし……。だから俺はちらりと視線をやっただけで、後はあえて山崎の言葉、いや、山崎のことすら無視し、鬱陶しい狼野郎……双頭狼に集中する。
山崎が俺に気を取られ、ちょっとした隙が生じたんだろう……、それを切っ掛けに奴が巨体からは想像もつかない速さで山崎に襲い掛かった。むぅ、一気に片を付ける気か?
が、さすが山崎。
抜かりなくそれに反応し、体をそらしながら長い警棒で片目の方の狼の鼻面に向け叩き付けようとしたものの……、
「ぐっ」
そんな苦悶の声と共に山崎の動きが一瞬止まる。怪我か、怪我の痛みのせいか?
狼野郎はそんな隙を逃さない。
片目狼頭が鋭い歯がずらりと並ぶ凶悪な口を大きく開き、山崎をまさに体ごと噛み砕こうと肉薄した。
「させるかよ!」
俺は素の言葉でそう叫び、念じた。
「「ぎゃひんっ!」」
二つの頭がでかい図体に似合わない、子犬のような鳴き声を揃って発した。ふっ、情けないぜ。
そう、俺は奴と山崎の間に一瞬の間に分厚い氷の壁を出現させてやった。奴はその壁に勢いそのまま盛大に鼻頭ぶち当てたって訳だ。ざまぁ! そして尚も俺は手を休めない。このまま一気に決める。
燃やしちまおうかとも考えたが、それはきっと摩耶姉さんが残念がる。つか俺もサンプル欲しいし。
だからこうだ――。
「ぎゃひぃ……」
双頭狼の二つの口から苦悶の声が上がり、口を空に向け大きく開きながらの喘ぎ声がしばらく続く。よく見れば体も微妙に痙攣してる。
少しばかり罪悪感がわく。
でもこうしなきゃ山崎が殺られてた。悪く思うなよ。
勝負はまじほんの一瞬でついてしまった。我ながら恐ろしい……。
そしてついに喘ぎ声が聞こえなくなり……、長い舌が開かれたままの口からだらりと垂れさがった。
山崎が構えていた体からようやく緊張を解き、その口からはため込まれていた息が緩やかに吐き出された。
「お嬢様……、危険な真似はおやめくださいと申しましたのに」
先ほどから変わらず苦笑いの山崎が開口一番そう告げる。
「むぅ、だ、だって……」
俺は思わずむくれた表情を見せ、俯きながらそうこぼした。
――なんだよ、ちょっとくらい褒めてくれたって……。
はっ、まただよ俺。中身はいい年した男のくせしてなに子供みたいなことを考えてるんだよ。
……………。
はぁ、もう……いいや。
これが今の俺なんだし……、素直になろう。
「ごめんなさい……。心配だったから、つい……」
俯いた顔をもたげ、上目遣いで恐る恐るそう言った。ちょっとあざといか。
「ふっ、ほんとうに仕方のないお嬢様です。
――ですが、助かりました。お嬢様が介入していただいていなかったら、今頃は……」
山崎は苦笑いから一転破顔し、仕方ないというゼスチャーをした。良かった、作戦成功だ。
でもその後に続けた言葉と共に……、口を開け、立ったまま絶命している双頭狼を見つめた。山崎の顔は無表情で何を考えているかはわからない。きっと俺が口出していいことでもない……。
「それでお嬢様、どうやってこの化け物をお仕留めになられたのです? ある程度想像は出来るのですが、よろしくければ教えていただけませんか?」
気持ちを切り替えたのだろう山崎がリムジンの中からヘッドフォンをなぜか持ってきて、俺に手渡ししながら(つか無言の圧力で押し付けられた)そう聞いて来た。むう、よくよく見れば山崎の右耳には俺が医療施設に入ってた時に見た着用型端末が……。
摩耶姉さん……か。どこまでもウザいぞ、姉さん!
とは言えせっかく山崎が持ってきてくれたんだ……、無碍に断れない。俺は観念して再びヘッドフォンを装着した。
途端、耳に飛び込んで来るのは聞きなれた声。
「……私も知りたい、どうしたの、どうやったのー? ねぇねぇ……」
う、うるさっ。
も一回外して、地面にでも叩き付けたくなってきた――。
「……大丈夫、山崎とは性転換したこと以外についての情報共有はしてるから。安心してお話してね?……」
それにこんなことまで言われるし……。
たく、しゃーないな。山崎も知りたがってることだし。
「えっとね。心臓、凍らせた――」
俺は背の高い山崎に視線をやるため小首を傾げまたも上目使いになりながら、簡素にそう答えた。
つうかまじ目線が違いすぎて笑えない。いやでも上目遣いなるってもんだ。決してわざとじゃないんだからな。
ちなみに心臓の位置ははっきりしないから、正確には心臓の辺りを全て凍らせたが正しい。ま、別にそこまで言わなくてもいいだろ? 如何なる動物であろうとも、心臓を潰されたならその命を維持することは不可能――。
「な……、なるほど。そういうことですか」
そう言いながら山崎は自分の胸に無事な方の手を当て、どこか微妙な表情を見せている。
……そりゃそうだろうさ。離れたところに居た俺が何も使わず、苦も無くあんなデカ物の息の根を止めたんだ。いくら可愛い子ぶって見せながら話したところで気味悪くもなるだろうさ。
俺は改めて自分の異常さを認識してしまった。
あーあ、うまくいかないな――。
俺はどんどん気分が滅入ってきて自然頭を垂れ、いつの間にやら目に熱いものが湧き上がってくることを自覚した。
そんな時だ。俺の頭にぽすんと何かが乗せられた。
そしてそれは優しく頭をなぞるような動きを見せた。俺は瞼からこぼれた涙を小さな手で慌てて拭いながら頭上を見上げた。
山崎がその大きな手で俺の頭を撫でてくれていた。
「お嬢様、泣かないでください。大丈夫です。私は変わりません。変わらずお嬢様の忠実な――、運転手です」
山崎はそう言いながら優しい笑顔をその顔に浮かべ、怪我をして痛いはずなのに右手に持ったハンカチで、俺の涙をぎこちない手つきで拭ってくれた。
なんだよそれ、運転手って。
け、けど、このイケメンめぇ、やることがそつなさ過ぎだ。
耳元からは摩耶姉さんの声が聞こえてるけど今は耳に入らない。
俺は収まるどころか更に涙を量産し、山崎を困らせた。
どうしちまったんだよ、俺。なんでこんなに涙もろくなっちまったんだ?
っていうか眠い。いつも以上に……、眠いな――。
そんな戸惑いと眠気に襲われている俺を他所に、上空からヘリコプター特有の音が聞こえて来た。
破壊され動けなくなったリムジンの周りにもいつの間にか数台のセダンが寄せられている。
ああ、救援が到着したんだな……。
と、俺は遠くなっていく意識の中で考えていた――。




