1 発端
俺の名前は雫石 河南。
名前を聞いただけだと男か女かよくわからない名前だが、俺はれっきとした男である。
歳は今年で40を越え、世で言う「初老」ってものに足を突っ込んだおっさんである。しかも自分でどう贔屓目に見ても並以下の容姿であるのに加え、身長も160をどうにか越えた程度のチビ、中年太りに差し掛かり、止めに頭は薄くなる一方、それでいて体毛は濃く……髭は当然として、胸毛にすね毛、もういたるとこから剛毛と言えるほどの毛が生えていて、世の女性から好かれる要素など一つもないと自信を持って言えるくらいの見た目である。
名前から女だと勘違いされたことも数知れず、そういう奴らは俺をみて呆けた顔をしたあと、なんともバツの悪い表情を浮かべるというパターンを繰り返す。中には理不尽にも怒り出すやつもいたっけな。まぁ40年以上生きた今となってはそれももう慣れたものだし、今時新たな出会いが起きることだってそうはないから、どうでもいいことなんだが。
そんなことだから女性関係なんかは壊滅的だ。見た目にコンプレックスのある俺は、自分から積極的に何がしかの行動を起こすことも出来ず、未だ独身であり、あっちの経験も……お寒いばかり。
更には河南なんて変な名前を付けてくれた両親とは早くに死に別れ、親類縁者もいない俺はまさに天涯孤独の身の上であり、なんとも寂しい人生を歩んできていた。
ただ外見だけ見るとあまりにもパッとしない俺だが、取り柄がないわけじゃない。
こう見えて俺は頭が切れる。それはもう相当なもんである。自分で言うのもなんだが一度見たり聞いたりしたものは決して忘れないし、計算だって暗算で8桁の割り算程度なら楽勝で出来てしまう。まぁ、そんなもので女にもてることは出来なかったが……。
で、俺は見た目はともかく……その頭脳を認められ、国立のとある研究施設の研究員としての道に進み、努力の甲斐あってけっこう金の掛かった大がかりなプロジェクの一部を任されるまでには出世した。が、寂しいことにそんな立場になってからですら俺になびいてくれる奇特な女性は現れなかった。
ま、この歳になれば諦めもしてるし、女にもてたいとか彼女が欲しいだなんて幻想は口にするどころか考えることすらしなくなってしまったが……。(などと自分なりにカッコつけはしたものの……、実際のところは当然そんな達観したものではない。なけなしのプライドって奴がそうさせたまでだ)
そんな虚しい人生、日々を渇ききった研究生活で過ごしていた俺に、突然の災厄……というか、或は転機と言ったほうがいいかもしれない……、何しろとんでもない、一言ではとても言い表せない事件が降りかかってきた。いや、降りかかってしまった。
事件はある実験施設があるプラントで起こった。
そこには国が宇宙開発の一環で得た地球外の鉱石やガス、彗星の核の一部、果てはガスで構成されている惑星の組成物質など……、太陽系内で得られた様々な物質が存在していて、日夜それらの物質の可能性について研究を進めていた。そう、いたのだ――。
きかっけはたった一つの鉱石だった。
不思議な鉱石だった。
今まで随分と色々な鉱石や隕石、堆積物などを見てきたが今目の前にあるこの不思議な模様というか……、その、まるで化石のように見える……こんな不思議な鉱石を見るのは初めてのことだった。
大きさは両手で抱えれば持てるくらいのサイズで、全体的に深い青みがかった緑色をしていて、所々に雪のように輝きを帯びた白い斑点が見受けられるようなものだった。
味気ない暗灰色系がほとんどの鉱石の中で、そんなところでも異彩を放っていた。化石のように見えると言ったのは、その鉱石の表面に浮かぶ模様がまるで生物のように見えるからで、その形は海にいる、氷の妖精とも呼ばれるクリオネによく似ていた。
当初は、それでもまぁ……偶然表面に刻まれた模様がそう見えるだけだろうと研究チームのみなで冗談めかして話していたのだが、それもその鉱石を砕いて中の状態を確認するまでの間だけだった。
「ち、チーフ! これ、これを見てください! まじ本物ですよ、これ」
表面の調査を一通り終え、一歩進めて鉱石を砕くことになり、それを任せていた若手二人の内の一人がなんとも素っ頓狂な声を上げて俺を呼んだ。
「どうした君、なにが本物だって?」
俺はそう言いながらとりあえず二人の元へと駆け寄り、問題の鉱石を拝むこととした。
「なっ、こ、これはっ!」
俺はそれを見て絶句した。
大きく三つに分かれた鉱石。
その中でも大きめの破片の断面が見やすいように特殊なバイスで固定され、その断面は俺の目にいやというほどしっかりと……焼き付いた。
砕かれた鉱石の断面。
そこには表面に見られたクリオネ似の模様がまさに一面に刻まれていた。いや、それはもう模様というにはあまりにもはっきりとした形を見せていた。数十、数百、数えきれないほどの小さな、しかし間違いなく石の模様では在り得ない、確かな存在感を示すその形。
「こ、これってやっぱ化石……なんですかね?」
「う、うーん。確かに……これは模様というにはあまりにも……。
し、しかし、化石というにはこれは……」
俺ははっきりとした答えを口に出せないでいた。
俺たちが三人でうんうんうなっている間にも他のチームのメンバーが興味を示し、次々と集まって来る。そして皆はあーでもない、こーでもないと、得意の議論を始め出した。
で、とりあえずはこいつが作られた年代を調べてみようってことに落ちき、放射年代測定を行うこととなった。
結果からすればそれはとんだ悪手だった。
問題の鉱石から試料片を採取し、前処理を行った後に粒子加速器にセット、そして測定開始――。
それが起こったのはその時だった。
加速器の試料片ホルダーを中心にまともに正視することなどとてもできない、まばゆいばかりの光が放たれ、加速器のまん前で試験の様子を見ていた俺と、機器の操作をしていた助手君はその光の中にあっさりと飲み込まれた。
しかもそれはそこだけでは収まらず更にその範囲を広げ、結局のところ研究室のフロア全体にまで広がり、そこにいた総勢17名全員がその光に飲み込まれてしまったのだという。
そしてその日が、40年間生きて来た俺の、今までの俺の姿……での、最後の日となったのだった――。