第八話・「人はなぜ過ちを繰り返すっ!」
右に藍子、左に和臣。それが誠一郎にとっての登校風景であった。
一部で話題になっているこの美男美女を両手に持つ登校風景は、最初こそ誠一郎にとって気後れする日課でしかなかった。まるで、トレンチコートを着た二人の人間に両手を握られている、かの有名な捕まった宇宙人の写真のようでさえあった。
二人とも極端な誠一郎主義でありながら、極めて完璧な美男美女であるためにあらぬ噂を呼んだりもしたが、結局はただ気が合う者同士がどういう因果か出会って仲良くなってしまった……というごくごく当たり前の理由に落着した。
人の噂もなんとやらとはよく言ったもので、今ではこの左から右へ背が小さくなる順に並んだ三人の登校風景を見れば周囲の人間は、この三人が歩いているということは朝の閉門まで五分の時間があるな……などといういわゆる判定基準の一種にさえなっている。それは嫌でも目立つ藍子と和臣のせいに他ならないのだが、引き立てられるように、誠一郎もいつのまにか多くの知られるようになっていた。
……それが良きにつけ悪きにつけ。
「あ、和臣君だー、おはよー」
「おはよ、和臣君」
「美由紀さんに真由さん、おはようございます」
「ねね、あとで宿題見せてー」
「いいですよ」
「さすがっ! イケメンは違うね!」
「そうそう、美由紀さん、いつか紹介していただいた『ウッディ』というパスタのお店、先日行ってみましたよ。冷製パスタがとても良かったです」
「あ、行ってくれたの? ね、言ったとおり美味しかったでしょ?」
「はい、美由紀さんはさすがです」
にっこりと微笑む和臣。十人が十人心穏やかにされる完璧な微笑みである。
「ちょっと美由紀、その店は私がアンタに教えたんじゃない。ねぇ、それって抜け駆けよね? 分かってる? 和臣君はみんなのものなんだからね、協定を破ったバツとして、和臣君は私にも宿題を見せること」
「……。真由さん、それって僕へのバツじゃないですか……?」
「あ、気が付いた? あはは」
「あはは、じゃないわよ真由。じゃ、和臣君、またねー」
最後に和臣の肩をとんと叩き、三人を追い抜いていく二人の女子生徒。
「……ねぇ、美由紀、今さりげなく和臣君触ったでしょ!」
「知らなーい! 知らなーい!」
追い抜いた先でなにやらきゃきゃうふふと騒ぎ会っている二人である。
「和臣……今の誰だ? 仲、いいのか? いや、お前が誰よりモテることは知ってるんだがな……」
誠一郎が難しい顔で考え込んでいる。
「おや、誠一郎君、嫉妬ですか? 嬉しいです」
「だ、断じて違うぞ」
「オウ、シット」
和臣が微笑みながら朗らかに何かを言った。
「……」
「……」
木の葉がくるりと一回転。三人の間を季節外れの木枯らしが拭く。
通学の途中で吹き荒ぶ寒風に身をさらしながら、三人の歩みが止まる。身を切るような寒さの中で、顔色一つ変えない藍子が誠一郎の袖をくいくいと引く。それはまるで雪山で遭難して眠ってしまいそうになる相棒を励ますような素振りに似ていた。
「誠一郎、誠一郎。……大変、誠一郎の動きが止まってる」
「……ハッ! ふぅ……死ぬかと思ったぜ……」
頭と肩に降り積もった雪を身震いで払い落とす。仮想雪は、どうやら誠一郎が空想から覚めると同時に溶けてしまったようだ。
「まさか、分かっていても絶対に言わないシャレを平然と言ってのけるとは……やるな和臣」
「Oops! I Did It Again……(おっと、またやってしまいましたか)」
「ブリトニー・スピアーズもびっくり」
「ああ、Toxic(毒性)なことこの上ないな……」
「和臣……Baby One More Time(ねぇ、もう一回)」
「ではお言葉に甘えて――」
「やらせるかよっ!」
和臣の口を塞ぎにかかる。
「いいか、俺はお前に嫉妬したんじゃんじゃないぞ。嫉妬なんか……するかよ。ただ、その、なんだ……」
もぐもぐと口の中で言葉を噛み砕く。
「さっきのお二人は一組の長谷部美由紀さんと、三組の鈴木真由さんですよ。お二人は同じ演劇部に所属していて、とても仲がよろしいのです。よく部活動の帰りに駅前の喫茶店のケーキを頬張っている姿を見ますよ」
和臣の楽しそうなにこにこ顔に、誠一郎は一抹の不安を覚える。夏蝉の呑気な鳴き声が、熱さを余計に盛り上げた。
「……和臣」
「はい、なんでしょう?」
「お前、分かっててからかったな」
「はい。誠一郎君至上主義者としては、誠一郎君に嫉妬していただけるのはこの上ない喜びですから」
「だから俺は嫉妬なんかしてないってだな――」
「誠一郎が……嫉妬。誠一郎が……嫉妬。誠一郎が……嫉妬。……わたしも、嫉妬させる」
口の端をひくつかせる誠一郎の拳と、それを見て降参とばかりに両手を上げるポーズをする和臣。そして、誠一郎と和臣のやりとりを見ていた藍子が、口元に手を当ててぼそぼそとやんごとなき台詞をつぶやく。夜の神社で見かけたら、間違いなく五寸釘とわら人形を持っていそうなつぶやき方であった。
「お、藍子さんだ。チーッス!」
「……おはよう」
強面の男子生徒が、藍子を追い抜くと同時に深く頭を下げる。
「チッス、藍子さん」
「おはようございます、国方さん」
運動部とおぼしき屈強な男から、眼鏡をかけたインテリ風の男、果ては汗っかきな太った男からも、次々に声をかけられる。校門の近くになってからは余計にそのエンカウント率は増える。
藍子は頬の筋肉一つ動かさずに、ひとつひとつ律儀に挨拶を返す。
腹話術師の人形のようではあるが、唇が動いていることから、かろうじてその比喩からは逃れられている。
「オッス、国方さん、今日も相変わらずのクールビューティーっぷり、最高っす! では!」
「おはよう……。……!」
藍子はなにかを思いついたかのように人差し指を立ると、声をよく聞かせるために誠一郎により近付く。すでに袖と袖は触れあっており、身をとろけさせるような柑橘系の香りが、誠一郎の鼻先を一層くすぐった。
「誠一郎、誠一郎」
「ん、なんだ」
身体を寄せて、藍子が誠一郎の耳元でささやく。
「今の誰か、聞いて」
意図の分からない問いに怪訝そうに眉をひそめる誠一郎。
「は? 知るかよ。確か四組の奴と……もう一人は五組ので、あとは……分からん」
「誠一郎、嫉妬。……嬉しい」
「おい、今のどこに嫉妬するような要素があった」
「オウ、シット――」
「人はなぜ過ちを繰り返すっ!」
藍子の策略に気が付いた誠一郎が機先を制する。
藍子の美しい顔貌を左右から引っ張り、引き延ばす。まるで獲物に絡みつく大蛇のようである。白磁のような真っ白な頬が、つねられたところからみるみる赤みを帯びてくる。
「あらら、藍子さんのほっぺがまるで正月の焼き餅のように伸びて……むむ、焼き餅のように……? 焼き餅……やきもち……やきもち……嫉妬……オウ、シッ――」
「させるかああぁっ!」
藍子の頬を解放。
回転させた身体の速度そのままに、和臣の頬を強襲する二匹の大蛇。
「痛いです……誠一郎君」
両隣の美男美女は、もれなく頬が赤かった。
作者が楽しんで書いているせいで(横道に逸れているせいで)、これの二倍書けておりますが、とりあえずここまでで掲載します。
一話は3,000文字程度が理想だと思っています。
ではでは。