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第六話・「恋人同士が交わすそれの意味で」

「さすがは誠一郎君ですね、先頭を切って行ってしまわれました」


 鞄を肩に提げて真っ先に部室を出て行った誠一郎に遅れること数秒、和臣が微笑みのまま部室を出て行こうとする。誠一郎に蹴り開けられた反動でゆっくりと戻ってくるドアのノブを受け止めながら、和臣は振り返る。


「さて、僕たちも行きますか」


 夕焼けに色に変わりつつある部室の薄い橙の中には、黄昏色に染まった無表情の少女。暖色が少女の髪を丁寧に染め上げる。意識しなくとも、藍子の鞄を肩にかける一動作にも美は発生していた。

 まるで藍子につきまとうストーカーのように美さはどこからでもいつでも現れた。

 美さにストーカーのようにつきまとわれるというのは、女性にとっては究極の羨望となるだろう。


「……和臣?」


 じっと見られていることに気が付いた藍子が、夕焼けを背に首をかしげる。


「――藍子さん、僕はあなたが好きですよ。もちろん、恋人同士が交わすそれの意味で、です」


 にこやかに、和臣は告白した。


「……」


 夕焼けの中に残された二人。少女は淡いオレンジを背負い、白い肌は簡単に夕日の色の侵入を許す。少年はその少女の夕日に照らされた髪の美しさを見て、心の中で感嘆していた。

 たった一人の人間のために作られたただ一つの美しさを考えていた。

 いつもの微笑みを浮かべながら、和臣は親友の存在をほんの少しだけ疎ましく思ってしまう。決して外に出ることのないその思いは、即座に和臣の冷静に制御され、心の奥底に封印される。


「和臣の言っている意味で答えるのなら、わたしは誠一郎が好き。それ以外のことは考えられない」

「知っています。そう回答が返ってくることも一言一句予想できていました。そうだと分かっていても、言っておきたかったのです」

「……」


 ドラマの中かと見紛うばかりの美男美女の共演。あまりにも整えられた舞台の上では、まるでモンタギュー家の一人息子とキャピュレット家の一人娘がたどるかの有名な悲劇の物語のように、他人には非現実性を帯びてさえみえただろう。


「ならなぜって顔をしていますね」


 顔色の変わらない藍子の変化を読み取ることの出来るのは、二人だけ。藍子の思いを一心に浴びる誠一郎と、その親友である和臣だけ。


「おそらく僕が好きになる女性を挙げるしたら、まず藍子さんしかいないでしょうね。それぐらい藍子さんは素晴らしく美しい女性です。もちろん、外見だけではなく中身もです」

「わたしは常に美しくなければならないから」

「誠一郎君のために、ですね?」

「そう、誠一郎のために」


 部室の温度は徐々に下降線をたどっていく。まるで傾いていく夕日に連れ去られるように。


「だから、僕は藍子さんが好きなのです。誠一郎君に好かれようと、愛してもらおうと純粋に努力をする藍子さんが僕は好きなのです。しかしながら、誠一郎君はなかなかその好意に応えてはくれませんが……」

「誠一郎は、いつか応えてくれる」

「だといいですね。あ、いや、嫌味な気持ちなど含まれていませんよ。これは本心からです」

「分かってる」

「繰り返しますが、僕は誠一郎君を好きな藍子さんが好きなのです。なんともはや、難儀なものですよ。考えてみてください、誠一郎君至上主義な藍子さんは僕を好きになることはありませんし、僕は誠一郎君至上主義の藍子さんが好きであるために藍子さんを自分のものにすることが出来ない。これは参りました」


 困った顔を微笑みに重ねる。


「誠一郎君が勃起したいと望んでいるならば、僕はそれを全力で応援します。僕も誠一郎君は大好きですから。それともう一つ……誠一郎君を支える藍子さんも僕は支えて見せますよ」

「どうしてそんな確認するの」


 ドアを押し開けて、一人廊下を出る。藍子に問いかけられた質問を背中で受け、和臣は肩越しに首をひねってみせた。


「……さあ、なぜでしょうか。僕も分かりません。強いて言うなら、安心したいのではないでしょうか。藍子さんはお優しいですから。きっと僕を振ったりしないでしょう? だから、僕は藍子さんに自分の気持ちをさっさと伝えてしまうことで、優しさにつけいることに成功したのです。藍子さんが優しいことを良いことに、答えを先延ばしにしてしまおうと。あるいは、保険でしょうか。好き嫌いの疑心暗鬼に陥るよりは、はっきりしてしまったほうが身の振り方が単純で済みますし。ふむむ、僕は僕が思っている以上に卑怯者のようです」

「卑怯じゃない」


 音もなく部室の机に置かれた自らの鞄を肩にかけると、和臣の隣を通り過ぎる。


「それに、わたしは優しくなんかない」

「そうですか?」

「優しくなんかない」


 毅然とした歩みで藍子は歩き出す。


「先に行く。戸締まり、お願い」

「お先にどうぞ。僕も後から合流しますよ」


 ポケットから部室の鍵を取り出す和臣。親指で空中に弾くと、斜陽を受けてきらりと輝く。


「……結局、僕をこの場で振らなかった時点で、藍子さんは優しいですよ。そして、やはり僕は卑怯でした。誠一郎君、僕はこんな人間ですが、嫌わないでくださいね」


 廊下で独りごちながら、和臣は映研から勃起部へと改名した部室と、親友に隠している藍子への思いに鍵をかけた。


「そして、藍子さん。あなたの想い、残念ながら前途は多難のようです」


 背中から迫る甲高い足音を、和臣は背中で聞いていた。

 迷いの一切無い歩みは、軍靴の足音にも似ていて、身を固くしてしまう緊張感すら音に含ませる。音は徐々に接近し、やがて和臣の近くで止まった。


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