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第四十一話・「ごめんな」

 事件の翌日、和臣は肩の治療のために一時入院を余儀なくされた。

 怪我の原因は表向きには事故扱いとされている。事件当日は財閥の三男坊であり、社会的な事情による用事で一時的に早退する……ということになっていたからだ。風紀委員にとって和臣は利用できる存在ということらしく、箝口令を敷かれたように真実は闇に葬られた。それに伴って、誠一郎もこっそりと授業を抜け出した所を階段から転げ落ちる……などという馬鹿と間抜けを掛け合わせたような理由に落ち着いた。

 誠一郎達、勃起部員が実行しようとした作戦は、幸運なことに身体測定盗撮事件の裏に隠れてしまった格好になる。

 証拠も残っていない。壊れたヘッドセットも、もれなくコージ達のものだとされた。なぜ誠一郎と和臣があの場に居合わせたのかなんてことは、なんとでも理由が付くし、その疑問すらも箝口令の前には無力でしかなかった。

 勃起部全体でかんがみれば、骨折り損のくたびれもうけといったところだった。

 そんなこんなで、一応……日常は戻ってきたと言える。

 映画研究会改め、勃起部部室では、和臣を除いた部員二人の姿があった。


「わたしはあなたのおかずおになりたい」


 青空を音もなく滑っていくちぎれ雲。

 その雲と白と黒のコントラストを作りながら鳶が相も変わらずつまらなさそうに飛んでいる。ぴーひょろろ、ぴーひょろろ。テンプレートにも程がある鳴き声は今日も呑気に旋回する。

 部室の窓は開けっ放し。黙っているだけでも汗がじんわりとにじんでくる季節にそよぐ風は、とても涼しく感じられる。慣れたような仕草で眉間を押さえると、勃起部の部長である葉山誠一郎はため息を……少女の肩に落とした。

 堅い髪質のせいで、短い髪の毛は、感情と一緒でツンツンと逆立ったまま。


「分かった。お前の言いたいことは分かった」


 一連のやりとりにデジャビュを感じながら、誠一郎は顔を背ける。


「目をそらさないで。誠一郎は、わたしを見るの。わたしを見つめるの」


 がっしりと頬を両手で押さえつけられる。顔ごと逃げられないとなると、あとは視線だけで逃げるしかない。人間の視界は百六十度程度。まるで箱庭の中でする無謀な鬼ごっこのようなものに感じられた。


「とは言ってもだな、この体勢は色々と青少年の衛生教育上問題あるぞ」

「本来起つはずのものが起たないことの方が、性少年の衛生教育上問題」


 同じ発音なのに意味が違って聞こえる。


「それは、そうだけどな……藍子、膝の上に、こんな風に足を開いてまたがるのは、ちょっと乙女としていただけない、ぞ」


 下を見てしまえば、短いスカートからのぞく下着をのぞいてしまうことになる。それこそ藍子の思うつぼである。


「いただけなくない。むしろ、ぺろりとわたしという乙女をいただいて欲しい」

「乙女がぺろりとか言うなっての!」

「……。ぺろんぺろん」

「ぺろんぺろんも駄目だ!」

「ちろちろ」

「ちろちろも駄目だ」

「……」

「……」

「ぺ――」

「ぺろぺろも駄目だぞ」

「…………」


 藍子が少しだけ不満げに唇を尖らせたような気がした。基本無表情ではあるが、顔色の変化やわずかな表情筋の変化はあるのだ。藍子まで三十センチにも満たない至近距離ではそれが手に取るように分かった。もちろん、それ以外の感触的な部分も。


「何でも駄目駄目言っていたら、駄目。小さな子供のうちは失敗して、痛い思いをして覚えることも、大事」

「誰が小さい子供だって……?」

「わたし」

「お前は立派な女だろうが!」

「……!」


 藍子の頭の上に特大のびっくりマークが出現し、動きが止まる。


「あ、いや、確かにお前は……立派に……女だが、まぁ、嘘は言ってないし、否定はしないぞ。……うぐ」


 唐突に藍子を誉めてしまったことに気が付いて誠一郎は顔を赤らめる。それが伝染してしまったのか、藍子もほのかに肌を桃色に色づかせていった。


「誠一郎、ずるい」

「悪い……」


 何が悪くて、何が悪くないのかも分からないのに謝罪を口にする誠一郎。もしも、適当に謝罪の理由付けをするとしたら……この状況を引き起こしてしまったこと、だろうか。

 藍子の素肌は白磁器のように美しいくせに、張りと艶がある。パイプ椅子に座る誠一郎と向き合うように、膝の上に無防備に座っている。バラ色の時代のようなピカソでさえ表現をためらうような肌の色。白の中にほのかに流れる赤の色。その息をのむグラデーションに加え、鎖骨をなぞるようにかかるわずかな影。人間国宝級の美女が誠一郎の目の前にいて、さらには大胆に触れ合うことを求めている……この世のものとは思えないその構図。

 エロチシズムの巨匠グスタフ・クリムトが発表と同時に政府によって買い取られた接吻という絵画。黄金の絢爛を纏った女性の危うい足下。そこで男性に身を任せる女性の恍惚とした表情。口づけをする直前の男女。愛は死と共にあるという暗喩……。

 誠一郎と藍子の置かれている状況が、なぜか符合しているように思えてしまい、誠一郎は戸惑い続ける。頭も同時にくらくらする。甘ったるいミルクのような、懐かしさを感じる藍子の匂いすらも、麻薬のように誠一郎の男を責め立てるのだった。


「誠一郎、約束。これ」


 藍子がポケットから何かを取り出す。椅子に腰掛けた誠一郎に向かい合ってまたがっているせいで、藍子は誠一郎の首に両腕を回している格好だ。手を放したら後ろに倒れてしまう危ういバランス。そんな状態でポケットに手を突っ込むものだから、危うくバランスを崩しそうになり誠一郎は密かに慌てた。


「これは……メジャー?」

「うん」

「これがどうかしたか?」

「うまくいったら誠一郎が身体測定してくれるって言った」


 約束……。

 誠一郎は頭から記憶をひねり出す。


 ――分かった……待機する。でもその代りお願いがある。うまくいったら……誠一郎がわたしを身体測定して。

――ん……? あ? ああ、いいぞ、わかった。


 確かに。そんなことを作戦会議前に話した気がする。


「……いや、いやいやいやいや。だとしてもだ。違うぞ藍子。あの約束は、うまくいったら、だぞ? 結局の所、オペレーション・スクール・ナース・オフィスは失敗だった。俺の不良息子はいまだ引きこもったまま、ぴくりとも勃起できなかったわけだし、藍子にも和臣にも迷惑をかけたし、てんやわんや大変な思いをしただけで成功の影も形もなかったじゃないか。だから、残念ながら約束は無しだ! いやー、残念だったなー、藍子の身体測定してあげたかったなー」

「アンダーとトップ、どっちを先に」

「聞いてないな!」

「バストトップは、メジャーの目印が、ここ……」


 首につかまっていた両手を解いて胸元に持ってくる藍子。


「馬鹿! 倒れるだろうが!」


 仰向けに倒れていきそうになる藍子の体を、腰に右手を回すことによって何とか支える。制服の上から腰のくびれを抱くような形になり、気恥ずかしさは満点だ。社交ダンスでワルツを踊る際、あんなに大胆に女性の腰に手を添えられる世の紳士諸君に敬意を表したくなる。


「支えてくれると思ってた」

「お、お前じゃなくても普通支えるぞ」

「そこが、優しい。誠一郎の優しい」

「勃起するために身体測定をのぞきに行く奴が優しいかよ」

「優しい、よしよし」

「撫でてくれるのはありがたいが、撫でる場所間違っているからな」


 股間のあたりを撫でる藍子をたしなめる。


「……!」

「わざとらしく驚くな!」


 藍子を指してクールビューティーと言い始めたのは誰だったか。

 誠一郎にとって、藍子がクールビューティーと呼ばれるのは、不思議で不思議で仕方がない。藍子は誰にでも二度見三度見されるほどの美女であることは、皆が皆分かるのに、表情豊かな一面があることにはなかなか気がつけない。二度も三度も……いや、おそらく何十回と見ているのにだ。藍子は自分に入力される感情を、上手く、豊かに表情として出力できないだけ。

 そうだ。上手くできないだけで、出力はしている。

 あとは周囲の誰かが気がついてあげるだけ。

 分かってあげるだけ。


「聞いて、誠一郎。大事なこと。バストトップの計測は、メジャーの目印が、ここになる」


 藍子は誠一郎の余った左手を握ると、ちょうど谷間の部分に手を添えさせる。残念ながらふくよかとは言えない胸なので、その部分に谷間は存在しない。

 雪解け水が流れる多くの川、何百万年にもわたって南アルプスから砂利石を運ぶことで形成されたニュージーランドのカンタベリー平原のように、なだらかで起伏の少ない藍子の胸。

 それでもそこには女性らしいわずかなふくらみがあった。

 ドキドキさせる感触があった。


「乳頭と乳頭の、ちょうど中間。おっぱいの中央に来るようにして、おっぱいのふくらみの一番高いところに通るように測ります。誠一郎、リピートアフターミー」

「ノー、アイ、キャント!」


 羞恥心を煽るのにも程がある。


「タッチミー、イフユーキャン」

「マトリックスでローレンス・フィッシュバーン演じるモーフィアスがそんなことを言っていたな……」


 誠一郎は、考えるな感じろ、とブルース・リーばりの台詞を言おうとして止める。

 藍子が必要以上に一時的な接触を求めてくるときには、それなりに理由があることを分かっていたからだ。

 考えるな感じろ。そんなもの必要ない。

 感じるまでもなく、考えるまでもなく、知っている。


「藍子、ごめんな」


 頭を撫でてやる。さらさらと指の隙間を抜けていく髪が気持ちいい。


「……」


 藍子は誠一郎が何かを感じ取ったことに気が付いたのだろう。ぴたりと動くのを止める。しばらく誠一郎の瞳をのぞき込んだ後、握りしめたままの誠一郎の左手で遊び始める。


数えてみたら文字数が多かったので二分割します。すみません。

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