第三十八話・「負ける気がしない!」
「誠一郎君が……います」
「ああ、俺はここにいるぞ」
誠一郎も和臣も、目同様に真っ赤に腫れ上がった顔。顔の筋肉を動かすだけでも激痛が走るのに、二人は笑みが勝手にこぼれてしまう。
今、ここにいるということ。
今、そこにいてくれるということ。
誠一郎に至っては、和臣が目を覚ましてくれたことに嬉しさを隠しきれない。不自然に笑みを我慢しようとするから口の端が引きつってしまっている。
夢でつぶやいた言葉と、現実でつぶやいた言葉。
夢で答えてくれた言葉と、現実で答えてくれた言葉。
偶然のような必然の一致に、和臣は運命を感じざるを得なかった。
「誠一郎君なんですね」
「間違いない。俺だ」
「ええ……。ええ、そうですね……」
感激に声が震えていた。
「大丈夫か?」
誠一郎は、周囲の男達などには目もくれず、和臣の横に腰掛ける。まるで付き合い始めて間もないバカップルのように、二人だけの空間で声を交わす。
「……ええ、大丈夫です」
体を曲げて何とか上体だけを起こした和臣に、誠一郎は疑いの目を向ける。
「……。とてもそんな風には見えないんだが」
「誠一郎君が来る前までは大丈夫ではありませんでしたが、誠一郎君が来たからには大丈夫です」
「ずいぶん他力本願名ヒーローもいたもんだな」
投げたら投げ返す。ただそれだけの会話。休み時間にテストの答え合わせをするような気軽さ。すれ違う友人とおはようと朝の挨拶をする気軽さ。たわいもない会話だった。
「そうですね、僕にとって誠一郎君はヒーローですから。そのヒーローが来てくれたんです、こんなに嬉しいことはありませんよ」
「む、まぁ、俺だってお前はヒーローだって思ってるぞ」
首筋をポリポリとかく。
「ふふ、でしたらヒーローが複数……戦隊と言うことになるのでしょうか」
「よし、早速だが俺はブラック」
「誠一郎君はレッドです。異論は認めません。いつも真ん中で号令をかけて下さい、整列も真ん中、ロボット搭乗時も真ん中、レッドですから。武器は当然オーソドックスながら憧れの主人公の証、ソードです。だってレッドですからね。とにかく人一倍悩んで下さい、あなたの結論が戦隊の命運を握ります。レッドですから」
「お、同じヒーローの中でも平等不平等を感じる、世知辛い戦隊だな……。あれだろ、みんなでジャンプして画面が空に揺れたら、次の瞬間、採掘現場なんだろ?」
「はい。そして怪人による攻撃、その爆発はヒーローに危害が及ばないように少し離れた左右前方からです。もちろん、火薬の量も調節済みです」
「怪人もなかなか気遣いが大変だ」
苦笑いをこぼす。頬の筋肉が痛みを訴えたが、会話が鎮痛剤になった。
「男性は色選択に幅がありますが、その点では、藍子さんは安定のピンクですね」
「女の子はピンク……ジェンダーフリーの世にあって真っ向から対立してしまうな」
「そしてこの僕は、暗い過去を持つ皮肉屋ブラックと」
「ずるい! 俺がやりたかったのに! 暗い過去とか格好良い! 黄昏れながら髪の毛風にゆらしてみたい! でもって、仲間に心配されたところを冷たくあしらってみたかったのに! そして、いざとなったらクールにレッドのピンチを救ってキッズに大人気! ブラック、いいよ、ブラック……」
膝を叩いて悔しさを訴えたり、笑いながら空を仰いだりする。ああでもない、こうでもないと、妄想と空想のサンドイッチに二人で体を挟み込む。
部室でのやりとりに似た、心休まる空間。居心地の良い雰囲気。時の経過を加速させる楽しさ。
「サッカー親善試合、日本対ブラジル。サッカーの記者会見にてインタビュアーがブラジルの選手に聞いたそうです。日本で最も注目すべき選手は誰ですか? ブラジルの選手はこう答えたそうです。……そうだな、イチローだな」
「それはブラック、ジョーク!」
「1993年、ソマリア。米軍を中心とする多国籍軍とゲリラとの市街戦を描いた、後に『モガディシュの戦闘』と呼ばれ――RPG!」
「ブラックホークダウン! ブラックホークダウン!」
「会議での発言権がなく、残業してももちろん残業代は出ません」
「そんなブラック企業、もう辞めちまえ!」
「……」
「……」
不意に生まれた空白にどちらともなく笑いがこぼれた。
なぜ物語の主人公とその友人達が急に笑い出すのか、誠一郎は分かった気がした。
恋人同士が言葉なく見つめ合えるのか分かった気がした。
居心地の確認。生まれた感覚の共有。そこにいてくれるだけで楽しい。だから、鉛筆が転がっただけでも楽しいし、早口言葉をとちっただけでも大爆笑。もう、なんでもいい。
誠一郎と和臣は笑う。
「ふ……ふふふ」
「ははっ……あー、充電完了だ」
「僕もです、誠一郎君成分補給完了です」
先に立ち上がった誠一郎が、和臣に手を差し伸べる。
和臣は肩をやられているので、利き腕とは逆の腕で誠一郎の手を取る。
体重を支え、体を支え、心を支える。
「やるか」
誠一郎が拳を差し出す。
「はい」
和臣の拳が遅れて差し出される。
「和臣と一緒なら」
「誠一郎君と一緒なら」
二人で拳を軽く触れ合わせる。
「負ける気がしません!」
「負ける気がしない!」
コージとの死闘は、誠一郎と和臣の体をボロボロにした。立っているだけでも体は休養を要求してくる程に。二人とも限界だ。人数でも、残り体力でも、負けている。客観的に見れば絶望の淵に片足を滑らせているような状況。
けれど、誠一郎には感じられた。信じられた。赤子が母の言うことを盲信するように、ただただ純粋無垢に信じることが出来た。
親友と一緒なら、何回でも何十回でも何百回でも何千回でも、倒された数だけ立ち上がれる……と。
周囲をじりじりと囲み始めていた男達と真っ向から対立する。
「このくたばり損ないが……!」
満身創痍の二人に良いように言われておとなしく引き下がる男達ではなかった。
小さなプライドを極大の怒りに変えて突撃してくる。
怒号に囲まれる。暴力に阻まれる。
激昂して荒々しい言葉を口々に吐き出し、四方八方から襲いかかってくる。
「――そこまでよ」
切られた火ぶたの火を消したのは、天をつんざくような冷然とした声だった。