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第三十二話・「……負けられないんですよ」

 短めのエンジニアリングブーツが、スパイク状の靴底が、まるで掘削機のようにして地面を削り、コージの走り去った後方へ削った地面を跳ね上げる。


「さっきので、俺の必殺技ゲージ溜まってンだよ!」


 和臣にはそれが自らに襲いかかってくる猛獣のように思えた。前方から押し寄せてくる強風に、コージから発せられる鬼気に、後ずさりしてしまう。地面と靴の底がこすれる、じゃり、という音がなければ、和臣は自分が後ずさりをしたということすら気が付かなかっただろう。


「行くぞオラァ!」

 咆哮をとどろかせる猛獣は唇を歪める。

 獲物を目の前に舌なめずりをするように。実った果実を刈り取る喜び。満たされるように歓喜する。

 情熱の国スペインのバレンシア州ブニョールには、農作物の収穫を祝う祭りがある。トマト祭り。それは収穫を祝って赤々と実ったトマトを投げ合う祭り。人々が狂喜乱舞し、空にトマトを投げる。投げられ、地面に落ち、叩き付けられたトマトからは内包していた瑞々しさが飛び散り、地面は惨憺たる有様になる。

 和臣に食らいつこうとするコージはまさに収穫者であり、和臣はその収穫される対象でしかないようにさえ思えた。地面に落ち、ぐちゃぐちゃに潰れたトマトの液は、さながら血液の赤であり、人間の体内が潰れた時のそれと……。

 眉間に力を入れて、ふくらみ続ける悪推量と決別する和臣。

 身体が発する痛みと、第六感が発する警鐘が、ぎりぎりでコージに対して構えさせる。

 回復しつつある脳震盪。コージのぼやけた姿に輪郭が戻り始めた矢先。

 タバコが舞った。

 即座に回避する和臣。それが仇となった。

 ……スローモーションの世界。コンマのたもとで繰り広げられる駆け引き。

 コージは走りながらも、ニコチンを惜しむように、一つ大きく煙草を吸った。赤々と煙草の先端が燃え、フィルターに限りなく近くなる。そのまま走ってくるかと思いきや、コージは口元から煙草を取り、指で弾いた。

 コージに先んじて向かってきた煙草と、その赤く燃えた先端部。

 燃えているということは熱いことを意味する。それは誰にでも分かることだし、至極当然。

 ……その至極当然が、脊髄反射に近い反応を生むことになる。

 熱いものは触れば痛い。向かってくるものは、避けるべき。お手本通りの反応。

 しかし、和臣は避けるべきではなかった。コージの狙いは、一瞬でも和臣の意識を煙草に向けることだったのだから。クラウチングスタートから最高速に至ったコージが和臣の視界から消える。

 煙草は和臣の顔面に向かい、自ずと視界は上向きへ。

 コージは和臣の視界をくぐるように、飛び込みつつ前転に似た動き。横回転ではない。縦回転に近い。和臣に背面を見せる格好で回転し、右足のかかとを和臣に振り下ろす。背中から体当たりするように、勢いを全てかかとへ集約。乾坤一擲とも言える一撃が和臣に突き刺さる。浴びせ蹴り……または胴回し回転蹴りと言われるモーションの大きな技である。

 普通は当たらない。当たればダメージの大きな技であることは分かるが、とてもではないが当たる要素の薄い技だ。

 それを当てたのは、ひとえに和臣の疲弊、タバコという小道具……その他小さな要素と要素の組み合わせと、それを繋ぎ合せることの出来るコージの強さであった。

 肩口にエンジニアブーツの厚いかかとが炸裂する。

 ビルの屋上から落とした鉄球がたまたま肩にぶつかった。そんなあり得ない空想に匹敵する衝撃が、和臣の身体を破壊する。

 肩の破壊される音が身体を伝播して耳に届く。

 肩が外れたか、骨を砕かれたか、あるいは両方か。痛みの津波にのみ込まれるような感覚が和臣の表情を歪める。

 灼熱。激痛。灼熱。激痛。

 二つの言葉が混在したえもいわれぬ痛み。地面に顔の側面を着けるように倒れ込む。それでもなお完全には倒れない。身体を折るのみで、意識はいまだ痛みと罪の意識と共に身体の中にある。

 罪をあがなう痛み。贖罪の痛み。誠一郎に見せる誠意。

 まだ……まだ、倒れられない、倒れたくない、倒れるわけにはいかない。


「現実では、倒れたって無敵時間は無いんだぜ」


 地面に顔をこすりつけたままの和臣に、声と靴底が落ちてくる。

 爆発的な痛みを生む肩を狙ってのストンピング。確実に敵の弱点を狙う効率的な追撃。

 それを肌で感じた和臣は、肩を押さえたまま、身体を転がして難を逃れる。

 その際、地面に肩をこすりつけることになり、さらに顔を歪めた。噴き出してくる汗。

 サウナ発祥の地フィンランドもかくやという熱と汗。

 サウナストーンに水を掛けた直後から吹き出してくる蒸気を浴びるような熱と汗。

 発汗機能が馬鹿になってしまったのではという熱と汗。


「もちろん、ゲームオーバーからのクイックセーブ&ロードも不可能だ」


 コージの頭から流れる血と汗が頬で合流。唇に達したところを舌で舐め取る。仲間からは獲物を前にした舌なめずりに見えただろう。


「だが喜べ、俺の経験値にはなる」


 右肩は使用不能。視界も痛みに霞む。汗は吹き出すし、手は震える。ロボットアニメならモニタ全てにレッドアラートが表示されているような絶望的な状況。

 それでも。


「……負けられないんですよ、僕は」


 そのままタックルを敢行。


「クソが! まだ動くか……!」


 牽制のジャブも、身体ごとなぎ払う蹴りも、当てられる気がしなかった。視界に入る情報さえも自分の思い通りにならない以上、再接近して勝負を決める。逃げ場のないところでガチンコの殴り合い。狙いを定める必要のない零距離での勝負。

 その方が、いい。その方が痛めつけられる。傷つけられる。

 ……敵も自分も。

 それが――贖罪だ。

 猛進。猛然。猛攻。和臣のタックルがコージの腹部に激突する。


「ぐぬ、ぐあが……!」


 それを腹に受けたが倒れず、苦悶の声を上げつつも和臣を受け止めてみせるコージ。そして、蛇のように腕が首に絡みついてきたと思えば、コージが大きなうなり声を上げる。


「……ぬぅああぁああァああああッ!」


 瞬間、和臣の視界が捕らえたのは、天地が逆転した稀有な光景だった。

 空に大地。大地に空。

 足が地を離れ、重力はどこかへ消えた。和臣の首を小脇に抱え、もう一方の手はベルトをつかむ。腕の筋肉が膨れあがり、長身の和臣を力任せに持ち上げる。和臣を頭上に抱え上げる怪力。身体の血が逆流する。重力に血液が引かれ、顔に血が上ってくる。地上からゆうに一メートル以上。

 そのまま、和臣の脳天を地面にたたき落とす。垂直落下式ブレーンバスター。

 地面が加速する。自分が加速する。

 地面が向かってくるのか。自分が向かっていくのか。あるいは……。

 直後、和臣の視界が暗転。

 何かが身体を這い上がり、そして何かを奪っていった。

 痛みはなかった。衝撃だけが頭から入り込み、全身の自由を奪った。自身が機械ならば電源をオフにされたような。

 暗闇が身体を飲込んでいく感覚。

 暗澹たる深淵。底なしの落下。

 落ちていく。

 身体も、意識も……。


「ようやく終わったぜ……。……おい、お前等、行くぞ」


 和臣には、コージの声はまるで別の次元からの声に聞こえていた。


もうちょっとだけ、もうちょっとだけ、戦闘書かせて下さい……(汗

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