第二十九話・「いいですよ……すごくいい」
男の鼻骨が和臣の掌底で粉砕される。
骨の折れる感覚が和臣の手のひらに残り、それは肘を伝う衝撃に重なって男の身体を吹き飛ばした。地面に倒れ伏した男の身体を、あっけにとられた様子で見つめる周囲の男達。
しかし、それは数秒の思考で結論に至る。
平熱で保たれていた男達の温度が一気に沸点へと達し、雄叫びにも似た怒号を発する。
やぁやぁ我こそは、などという自己紹介もなく、互いに戦闘状態に突入する。
弘安四年、弘安の役で武将達がしたそれは現代の世にはナンセンス。身分など一介の人間の喧嘩には関係ない。拳と拳だけで語り合う場に身分の上下など関係ないからだ。
ただ、この喧嘩には拳で語り合うなどという青春じみた景色はない。
復讐と怒りと償いが和臣の行動を駆り立てる。
もしも、弘安の役と、和臣と男達の喧嘩に唯一の接点を見出すとすれば……田中和臣が蒙古襲来のように、男達の根城を襲撃したことぐらいであろう。
嚆矢濫觴。
和臣の先制攻撃が戦闘開始の合図となった。初撃で倒れ伏していた男が痛みに身体を起こせば、すでにそこは激しい動きと、苦痛が交互に繰り返される現場となり果てている。
和臣の髪の毛が振り乱れ、その髪の毛をかすめるように拳が通り抜ける。和臣はかすめた拳のすれ違いざまに膝をたたき込むと、くの字に折れ曲がった男の背中に追撃のエルボーをめり込ませる。強烈な威力に、男は口から言葉にならない苦悶を吐き出し、地面に顔をこすりつける。
そこに隙ありと断じたのか、背後から金髪の男が襲いかかってくる。
地面を蹴る男の気配を音で感じ取ると、回し蹴りの要領で敵を見ずに足を払う。目と目が合っていないと戦えないのは、三流の証拠である。
その意味で金髪の男は和臣の敵でなかった。
踏み出した足を簡単に払われる。金髪はうつぶせに転がり、辛酸と地面を同時に舐めた。つぶされた蛙のような悲鳴を上げると、防御も忘れ、焦って身体を起こそうとする。
敵が見ないと不安に陥り、平静でいられないようでは、すでに二流、三流……という判断すら必要がない。ただの素人。
慌てた金髪は片膝を付いて起ち上がろうとする。狙いすましたように、金髪が起ち上がるタイミングで地面を蹴る。金髪の表情が和臣の影で闇に落ちた。地面に付いた片膝を踏み台にして、もう片方の脚で膝蹴りをたたき込む。
膝が狙うは顔面。潰す。
悲鳴はない。上げられなかった。
骨と骨がぶつかる生々しい音が悲鳴を代弁した。
金髪の意識が刈り取られ、意識の失った身体はゴム鞠のように転がり、体育館の裏口の扉に激突。大音量が和臣の耳を叩いた。
一変の容赦のないシャイニング・ウィザード。まばたきすら許されない閃光魔術。
「これで三人……いや二人、ですね」
初撃で倒したはずの男がすでに起ち上がっているのを見、カウントから除外する。
体育館裏。戦場。
体育館裏に一陣の風が吹き、和臣の身体が空気を避けるように低い体勢で地面を流れる。
横様から跳び蹴りを放ってきた男を視界に収めると同時に、反対側から向かってくる別の男。二つの攻撃に反応しなければならない。和臣はとっさの判断で、身体を縦にする。跳び蹴りを最小動作で回避すると、もう一方の男の攻撃に備える。
敵の体格は一回り小さい。しかし、攻撃は素早い。
軽いステップの動作から繰り出される右の拳。
鋭い。
風切り音が頬をかすめる。続く左の拳が和臣の腹部を捕らえた。歯を食いしばる和臣。
反撃とばかりに手を出すが、スウェーして避けられると、次の瞬間には立て続けに二発の拳を身体にねじ込まれた。
リズム良くステップする動きを見て、和臣は敵がボクシングをかじっていることを知る。
一撃一撃に必殺の重さはないものの、確実に当ててくる。
「いいですよ……すごくいい」
和臣の頬が狂気につり上がった。
「変態が……!」
前へプレッシャーを掛けてくる小柄な男。首に付けたシルバーのネックレスがステップと共に上下する。小柄な男が和臣の意味不明な笑みに悪態をつく。不安を打ち消すための悪態に、ジャブを加える。和臣は頬とボディにパンチをもらってしまう。
男は半ばサンドバッグ状態になっている和臣に気をよくしたのだろう。さらに一歩踏み込んで和臣の懐に潜り込む。脇を締めた鋭い拳が、地面から和臣の顎めがけて襲いかかった。
決めにかかったアッパー。勢いは十分。
男は顎を逸らして仰向けに倒れる和臣を想像した。
けれど、それは腕に走った衝撃で夢幻と化す。拳が顎に到達する直前、和臣の交差させた両肘が男の二の腕を押さえた。届かない拳を震わせ、露呈してしまった隙の大きさに和臣の顔を見る。
驚愕、絶望。
そう、夢幻は必ず覚める。
しかし、何度でも思い描くことが出来る。
男の視界には和臣の額が大写しになる。
頭突き一閃。間もなくブラックアウト。
男は夢幻の続きを、失った意識の底で見ることになるのだった。
ボクシング経験者がやられたことで男達に多少のたじろぎが見られるものの、戦意の喪失はない。初撃で倒された大柄な男も鼻を押さえて起ち上がっていた。シルバーのウォレットチェーンを財布から外すと、それをぐるぐると拳に巻き付けている。
何が一番効果的か、それを知っているような動きだ。
男の顔面に頭突きをたたき込んだ和臣が、不敵に笑う。
「もっと僕を痛めつけてくれませんか?」
「……あァン?」
「僕に痛みがなかったら、それは贖罪にはありませんから」
「ブッ殺してやる」
鼻血を垂らしながら拳にウォレットチェーンを巻き終える。
大柄の男の殺気が極限に達し、前傾姿勢になった。ラグビーで言うところのスクラムを組むような姿勢。正面から受けるには迫力がありすぎる。大柄の男に比べ身長と体重が下回っている和臣にとっては、動きを止められた瞬間に勝敗が決してもおかしくない危険な相手であった。
最も危険な相手と判断し、初撃で地面に沈めたかったのだが……それは失敗。
和臣は男の体重移動に意識を置きながら、周囲の男達にも気を配る。
多勢に無勢は承知の上。逃げの選択肢はない。やるかやられるか。単純で明解な結果だけでいい。それがきっと贖罪になるから。自分が傷つくことで、贖罪になるなら。
罪には罰を。失敗には報いを。自分自信を含むこの男達にそれ相応の制裁を。
「誠一郎君……それでいいですよね……?」
空を仰ぎ見るように、まるでそこに誠一郎がいるかのようにひとりごちる。
「……おい、うるさいぞ! 何してる!」
がらりと体育倉庫の開く音がして、そこから茶髪の男がのそりと顔を出す。耳や唇には金色のピアスが複数。制服は着ておらず、完全な私服であった。おそらく……卒業生だろう。
「コージさん! コイツが急に手を出してきやがッ!」
よそ見をしていた男に、待ったなしの回し蹴りをお見舞いする。後頭部にきれいに入った蹴りが、男を吹き飛ばす。コージと呼ばれた男の足下にひざまずくように倒れ込む。茶髪の男は面倒臭そうにボリボリと頭をかくと、
「クソが……クソクソクソ……!」
倒れ込んでいる男を助け起こそうともせず、舌打ちをしながら和臣にガンを飛ばす。
「せっかくの撮影はクソみたいな男のせいで失敗するわ、こっちじゃクソみたいな奴が乱入してくるわ、ッざけんなよクソが」
クソクソクソと馬鹿の一つ覚えのように繰り返す。
危険な目をした男。
町中でたむろする不良とは少し異なる雰囲気。
暴力の中で生きるような狂気が、その半眼から放たれていた。
戦闘描写は個人的にはいくらでも書きたいですが、やっぱり読む側ってきっと退屈なんですよね……。はぁ……。




