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第二十七話・「誠一郎!」

「全くもう、仕方がないわね、国方さんが最初って言うのなら最初にやりましょう」


 腕を組んでため息一つ。委員長が仕方なくといった感じで、藍子の意見を受け入れてしまう。

 渋々とはいえ、もっと抵抗して欲しかった。出席番号順でも、五十音順でもいい、測定したい者順でもなんでもいい、規則だとか何とか最もらしい理由を付けて藍子を引き留めて欲しかった。一分でも、一秒でも、身体測定が始まるのが遅れてしまえばいい。それが本音だった。学校に犬が紛れ込んだとき、生徒達が犬に気を取られて一時中断になってしまうように。


「……この展開は最悪ですね、僕にとっても誠一郎君にとっても」


 苦々しい口調が和臣の苦戦を物語る。


「この微弱なノイズ……やはり、デジタルビデオカメラのようです。最悪なことに録画も開始されています」


 言葉を発することがためらわれる。催促する言葉なんか出せるわけがなかった。和臣は全力を尽くしている。何もせず、自らのおかずのためにベッドの下でのうのうと待つだけの俺とは違う。


「どうやらカメラは無線で制御されているようです。その無線の発信源を特定します。問題はその候補となる数。学園内に小規模のノイズや電波、果ては携帯電話、スマートフォン等も発信源となりますから、それを手当たり次第にピックアップするしかありません。それをしらみつぶしにしていき……明らかに電波の発信源として不適当な場所があれば、そこが犯人のいる場所と見て間違いないでしょう。問題は、それがどのくらいあって、何個目でたぐり寄せられるか……!」


 状況を伝えながらもキーボードを打鍵する速度に陰りはない。むしろ加速しているくらいであった。迷いのない速度は和臣の本気をうかがわせるし、それだけ和臣の守ろうとしているものの大きさを思わせた。


「数が出ました! 数は……」


 ベッドの下、悔しさに拳を握る。爪が手のひらに食い込む痛み。痛み。痛み。

 大切なのは俺だって同じだ。しかし、何も出来ないでいる。待つしかない自分自身が情けない。


「――八十八カ所……!? 僕に遍路でもしろというのですか……! あいにくと霊山寺から大窪寺まで一つ一つ回るつもりはありません!」


 ……藍子は大切な友達だ。親友と言ってもいい。

 和臣と藍子を天秤に掛けろと言われたら、俺は迷い無く自決する。そんな選択肢迫られるぐらいなら、そしてその選択肢を選ぶほどの余裕があるのなら、俺は自分で自分の首を絞めてその選択肢なんか無かったことにしてやる。

 ……そうだ。そうなんだよ。

 命と絆があって、俺は当たり前のように絆を選ぶ人間。

 命はどんない無為でもただそこに存在すること出来る。だが、絆はそうじゃない。一人では作り上げることの出来ない強いつながり。命と命が互いに切磋琢磨して輝き、魂と魂を紡ぎあった者だけが得られる至上の関係。気持ちの良い関係。信じあえる関係。遠慮のない関係。それが絆なんだ。

 打算も、画策も、利害もない。純粋な一体感。

 俺が好きな……俺達が好きな関係。築いてきた関係。

 それが俺と、和臣と、藍子なんだ。

 和臣が部室で大仰に語った三人で一つの物語を思い出す。

 和臣も言っていたじゃないか。たしか共有結合がどうとか……。


 ――互いに放出し合う愛情という電子を互いが共有し、それが三人の心身を深々と強く結びつけるのです! そうして結合された僕たちはダイヤモンドのように強固に結ばれているのです! 結合は英語で言うとBond、Bondにはまたこういう意味もあります。


 分かってるんだ。和臣も。


 ――……絆です。


 だろ。やっぱり絆なんだ。


「じゃ、身長から。国方さん、靴下を脱いで身長計に背中を向けて立って下さい」


 身長を計り終えるまでが阻止限界点。その次が体重測定、上着を脱がなくてはいけない。藍子は下着を着ていないから、そこで終わりだ。

 数分なんて猶予はすでにない。秒単位で刻んだ方が分かりやすい距離。レースでいうなら最終コーナー。ホームストレート。最大加速で駆け抜けるだけの単純な一直線。どんでん返しの期待できない冷酷な最終局面。

 藍子がゆっくりと身長計に脚をのせる。すらりと伸びた背中が美しい。

 委員長と身長計に背中を向けた。


「わ、国方さん、髪すごく綺麗……さらさら……(ゴクリ)」

「委員長~、顔だらしなくなってるよ~」

「ええっと! えっと、えっと……し、身長は」


 慌てて測定バーを藍子の頂点に合せる。


「ちょうど百六十センチ……と」


 勃起したい。

 勃起部は文字通り俺の自慰行為で始めた部活だ。勃起することが至上命題。そのために部員である和臣と藍子は協力してくれた。だから俺は苦戦しながらも保健室のベッドの下にいるし、このままいれば勃起できるかも知れないという最終段階まで辿り着くことが出来た。やっていることは、ビデオカメラを設置した奴と変わらない。同じだ。

 下心から来る恥をかえりみない行為。最低の行為だ。

 だったら、毒を食らわば皿までも、ビデオカメラなど知ったことか。最後までのぞき続ければいい。そうすればきっと勃起できる……。

 身長を測り終えた藍子を見る。目があった。

 降りかかっている厄災に気が付いていない。降りかかる火の粉を払うことが出来ない。知らず足下から燃え上がっている。気が付いたときにはすでに火の手から抜け出せない。消火することも出来ない。画像は消せても、燃え上がってしまった欲望や性欲の心までは消せない。あとは複製されたデータが、まるで油に引火する火が如く、ネットという森林に燃え広がるだけ。ここにいる全ての女子達の心ごと燃やし尽くすまで……。


「もう少し、もう少しです……藍子さん! 誠一郎君!」


 和臣の必死の叫びのなかで、誠一郎は藍子の声を聞いた。作戦開始後、教室で別れたときの声。


 ――誠一郎はわたしの裸好き? わたしの身体好き?


 愛らしいつぶらな瞳。人を信じることを厭わない瞳。

 あの時も、俺は感じた。藍子もきっと感じたはずだ。


 ……絆。


 分かった。分かっていた。

 だからこそ、藍子は俺に対して常に無防備で、身には衣を纏っていても、いつも心は裸だった。心が裸だから、服なんてあってもなくても同じ。恐れることなく俺に手を伸ばしてくる。触れようとしてくる。身体ごと触れ合せようとする。すきま無くくっつこうとする。


「お前の裸を見ようとする奴は……俺が奈落の底に落としてやるよ……か」


 きっとそれが、藍子なりの絆なんだ。

 心を裸にして、両手を広げて、待っていてくれる。望めばそこに藍子がいる。そこにいてくれる。ずっとそこに。いつだってそこに。そばに。

 それが藍子の絆。

 藍子の台詞が情景ごとフラッシュバック。


 ――……うん。必ず落として。


 映ったのは頬を淡く染めた藍子だった。


「……そうだな」


 結論なんか出ていた。

 何回、自問自答した? わかりきっている答えを反芻した?


「大丈夫です、誠一郎君、あと五十カ所ほどです! 出来ます! 必ずやって見せます!」


 馬鹿だ、俺は。どうしようもなく変態で、愚かで、どうしようもない馬鹿だ。


「さ、次は体重ね。藍子さん上着を脱いで下さい」


 委員長の指示に、藍子の指が動く。ジャージをまくり上げようと裾をつかむ。

 間に合わない。リミットだ。無理だ。


「もう駄目だ、和臣、あきらめよう」


 ……悪い、和臣。残念ながら、もう手遅れなんだ。手段はない。


「何を言うんですか!? 出来ます! 僕と誠一郎君なら!」


 和臣の声と、誠一郎のため息と、藍子の姿。

 誠一郎の心が固まって、ほどける。


「もう駄目だ」


 俺の口があきらめにも似た言葉を紡ぐ。

 和臣が驚きに息をのむのが分かった。

 そうだ……もう駄目なんだ。

 それはあきらめの言葉。

 努力を放棄する言葉。

 絶望を受け入れる。

 確かに似ている。

 確かに同じだ。

 同じ意味だ。

 もう駄目。

 駄目だ。

 駄目。


「もう駄目だ……!」


 ――でも、似ているだけ。

 声質も、声量も。

 込められた意思も。

 意思の向かう先も。

 全てが全て異なる。

 もう一度繰り返す。

 ……悪い、和臣。残念ながら、もう手遅れなんだ。手段はない。


「……俺には耐えられない……!」


 ――ある一つをのぞいてな!


「お願いです、やめて下さい! 考え直して下さい!」


 俺の意図に気が付いた和臣が静止を叫ぶ。


「それをしては、誠一郎君は……っ!」


 お前達さえいてくれれば俺は何もいらない。

 この絆のためなら俺は犠牲になったっていい。

 ……六條さんには嫌われたくなかったけど。


「悪い、和臣」

「誠一郎君っ!」

「やっぱり俺さ――」

「誠一郎君っ!」

「――お前等が好きなんだ」


 笑ってみた。


「誠一郎!」


 初めて和臣は誠一郎を呼び捨てた。

 丁寧な自分をかなぐり捨ててでも止めたかった。

 悲痛な叫び。嘆願。 

 しかし、誠一郎は親友の願いを振り切った。

 命より絆。三人の絆。

 一番大切なものを守るため。

 顔すら隠さず、なりふり構わず。

 誠一郎はベッドの下から飛び出していった。



 ……直後、保健室は阿鼻叫喚の巷と化した。



 ◇◆◇◆◇◆



「……ああ……誠一郎君……。誠一郎君、誠一郎君、誠一郎君、誠一郎君、誠一郎君、誠一郎君、誠一郎君、誠一郎君、誠一郎君、誠一郎君……僕は……僕は……っ!」


 全身が小刻みに震える。

 悲愴と怒気に身体の震えが止まらない。親友の名前を何回も何回も連呼し、親友が下した悲壮な決意を思う。がくりと膝を突くと、頭からヘッドセットがずり落ちて転がった。

 足下に転がるヘッドセットからは、女子の悲鳴と怒号が聞こえてくる。絹を裂くような悲鳴が、和臣の冷静をずたずたに切り裂いていく。切り裂かれた冷静はぼろくずとなり、憎しみと怒りによって燃えあがった。合理的、理知的な思考は激情によって飲込まれ、すでに海の藻屑と化した。

 ぐちゃぐちゃになった。

 友の信頼に応えられなかった自分自身。

 引き起こされる偏頭痛。乱れる意識。霞む視界……。

 数瞬の後、頭を抱えるようにしてくずおれていた和臣の動きが止まる。

 パソコンに点滅する光点。六十個目にしてようやく突き止めた電波の発信源。ビデオカメラを操る犯人の位置が示される。

 場所は、体育館裏の倉庫。


「……」


 前髪のすきまからからのぞくのは、冷酷非道、残虐無比な獣の眼光。


「――許さない。誠一郎君に仇なすものを僕は許さない」


 立ち上がり、右手で顔を覆ったまま歩き出す。


「僕は、絶対に」


 その姿は幽鬼そのものだった。


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