第二十六話・「一番に見て欲しいから」
俺が思考の行き先を錯綜させている間にも、事態は徐々に引き返せないポイントへと移行しつつある。高木先生が測定を始めるという一言に、生徒達は同意し、身長を測るべく数名が歩を進めている。各クラスにいるクラスの委員長、副委員長が先生の測定を手伝うべく記入用紙と、測定器機の使い方を教示されていた。
時間はない。こくこくと過ぎていく。
考える時間すら残り少ない。阻止限界点は、確実に迫りつつある。
……測定が始まるまでだ。測定が始まるまでに何とかしなければいけない。
測定が始まり、体重を量る頃には彼女たちは下着だけになる。そして、最後の測定である胸囲は……ブラジャーを取る。
ホックの位置が前だろうと後ろだろうとなかろうと関係ない。
素材が綿だろうとサテンだろうとナイロンであろうと関係ない。
そんな表現すら関係なく、この学園では外されなければいけないのだ。普通の学校ならば身体測定時、特に胸囲の測定では女子はブラジャーを外さずに行うものだ。あるいはカーテンで四方を囲い、測定時のみカーテンの中に入るとか、そういったプライバシーを反映した測定を行う。しかし、前述したとおりこの学園は違う。上半身は包み隠さずに晒されなければいけない。まるで女子の胸囲には詰め物は御法度と言わんばかりに。
のぞく側としては最高の条件と言えるだろう。俺にとってもそれは好都合となり得るのだが、今の状況では素直にそれを……。
そこまで考えて、俺は自分を嘲った。
犯罪者がなぜ犯罪者を嫌悪している? 加えて、なぜここまで来て誠実さや、正義感を振りかざそうとしている? もしも、のぞきを素直に楽しめる状況だとしたらどうするのか。もちろん、素直に楽しんでいるはずだ。言い訳の余地無くただの変態だ。それ以上でも、それ以下でもない。
「けど……けどな……!」
何がしたいのか分からない。勃起したいという決意すらも揺らぎ始める。
防ぐ方法がないわけではない。むしろ簡単だ。カメラを取り除くか、カメラの前に遮蔽物を置けばいい。しかしながら、カメラを取り除くにはベッドを出、姿をさらさなければいけないし、カメラの前には残念ながら女子の姿を遮る物は何もない。つまり、俺は移動を許されない。
――最悪が思考を勝手に変更しようとする。
もしも、カメラが最新式の物ならば、女子達の姿はおろか、服の皺から、下着の色だって分かってしまう。高解像度で測定結果ですら読み取れるだろう。体重測定の時には上半身も裸になるから、乳房の先端にある隠されざる秘宝すら、惜しみなく記録されてしまうはず。最新式ならデータ化も容易。複製も容易。もしもそれがネットに流れれば……。
ネガティブばかり書き込み出す思考を、俺は慌てて閉じようとする。
――思考の内容は変更されています。変更を保存しますか? はい/いいえ
いいえに決まってんだろ!
「誠一郎君はとりあえずそのままで。僕が全力で探ります」
混乱する頭に冷静を呼び起こさせる声。
「時間がないんだ、俺にも何か……!」
「誠一郎君には誠一郎君の目的があります。僕はその達成のために全力で誠一郎君の期待に応えます。それに……藍子さんもいますから。清廉な彼女を汚そうとする輩を僕は許せません。どこまで逃げても追い詰めて制裁を与えます。決して殺さず、殺さずとも生かさず……あまりの苦痛に死を求めるほどの制裁を与えます」
「和臣、何をする気だ……?」
「探します、犯人を。知っていますか? 地球というのは案外狭いのですよ、僕にとってはね」
「……。……頼む」
「拝承です」
和臣が気合いを入れ直すように、凛々しい声で承諾する。同時に、ヘッドホンから聞こえる忙しい音。まるで某名人が連射パッドの連打世界記録を打ち立てたような音を立ててコンソールが打鍵されている。それを一本の指ではなく十指全てで。まるで引くことの知らないさざ波が浜辺に押し寄せているようだった。
「じゃあ、ウチの組みから始めるね、出席番号順だから……」
「委員長、お願いがある」
藍子が女子達の列から出てきて、無表情のまま委員長の前に立つ。委員長はその美人が形成する無言の迫力に気圧されるように、口の端をヒクヒクとさせている。
「く、国方さん? どうしたの?」
「私が最初に計る。計りたいの。どうしても」
白魚のような手を、ピンク色に透けるジャージの上着にあてがって、なぜかベッドの下の俺にちらりと視線を向ける。
あ、藍子!? 何を言ってる!?
俺は刮目することしかできない。
和臣はお前が盗撮されることを嫌がっているというのに、真っ先に測定されたいだと……!?
今の俺達にとっては血迷っているとしか思えない発言。
葉山誠一郎の驚愕……をどう受け取ったかは容易に想像できる。感動しているとでも妄想したのだろう。しかし、そうじゃない、そうじゃないんだ藍子!
「私の成長。一番に見て欲しいから」
凛とした口調で宣言した。
「は、はは……何を言っているのか分からないけれど、とりあえず誰にってツッコんでおくわね」
「私つっこまれた」
また俺をちらりと見てくる。頭痛メーターなるものがあったなら、きっとメーターは振り切れているに違いない。
「こらこら、そういう言い方は止めなさい」
委員長も少し困ったような顔をして、藍子の頭のてっぺんに軽く空手チョップをお見舞いした。
「相変わらず……下品な牝豚。養豚所の匂いがするわ」
その声の意思の強さに胸を締め付けられる。
矛先が自分ではないのに、それでいいのか、と詰問された気がした。
「養豚場の匂いが判別できるのは、七海も豚だから。早く測定を終わらせて風紀委員室改め豚小屋に帰って」
列の中程からわざと聞こえるように六條さんが挑発すると、間髪入れずに挑発を跳ね返す。肩越しに六條さんを見つめる目は絶対零度。迎え撃つ六條さんの目も煉獄灼熱。保健室の湿気が急激な冷気と熱気に蒸気化し、プレッシャーが風となって女子達の間を吹き荒ぶ……そんな感覚だった。
「あ、あはは……(誰か助けてよ!)」
委員長が板挟みになって泣いていた。




