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第二十話・「……ほら、触ってみろよ」

 保健室は校舎の隅にある。

 廊下を曲がり、さらに十メートルほど行けば、スライド式の扉がある。ドアの上には、当然の如く保健室と明朝体がかかげられている。平常ならば何の変哲もないその扉も、これから行う冒険の前では、虎児を手に入れるために飛び込む虎穴にしか感じられなかった。


「ついに来ましたね」


 声に出さずうなずく誠一郎の姿は和臣には見えない。それでも誠一郎は無意識のうちにうなずいていた。扉を開けようと手を伸ばした誠一郎の頬が強ばる。


「……鍵だ。和臣、指示をくれ」


 扉には南京錠ががっちりとかけられていた。構造としては単純なものである。扉の取っ手の上に輪、壁に掛け金がしてあり、スライド式の扉を閉めたときに掛け金を輪に通す。掛け金に輪を通した状態で南京錠を掛けることによって、扉の開閉を不可にさせる……というものだ。


「流石は真面目で通る高木奈緒美先生ですね、少しの時間保健室を離れるだけでも鍵をきちんと閉める。管理者の鏡です。朝遅刻しそうなとき、三割の確率でズボンのチャックを開けたままの誠一郎君とは大違いです」

「本人すら気が付いていなかった驚愕の事実を、今ここでカミングアウトされた……だと!?」


 三割という確率を導くには最低三回の過ちを要するわけで……。

 脳が自動的に算出した結果に、保健室の前でがくりとくずおれる誠一郎。


「あれ、気が付いてなかったのですか? 僕はてっきり誠一郎君が、僕と藍子さんに気が付いて欲しくてわざとしているのかと思っておりました。そのうち一回は、その……中からワイシャツすらまろび出ていて、誠一郎君が右の足を踏み出せば左に、左の足を踏み出せば右に揺れて……まるで黒雲立ちこめる中を颯爽と駆け抜けていく白馬のたてがみのように雄々しく凛々しいご様子でした」

「やめてっ……! そんな比喩をされればされるほど俺は惨めになって……っ!」

「一体どんな挑戦的なご褒美なのかと藍子さんと二人で興奮してしまいました。餌を目の前にぶら下げられた馬の心境がよく分かりました。ぶらぶら……そう、ぶらぶらなのです。まるで……ほら、触ってみろよ、と挑発するように。右に左に誘惑するのです! 好奇心をいかんなく刺激してくるのです! そして、私と藍子さんは……ついに耐えきれずに……始めてしまったのです」

「……一応聞いておこうか」


 誠一郎は羞恥心に息も絶え絶えである。


「あれは思い出すだけで大変刺激的なゲームでした。……どちらが早くワイシャツにタッチできるかを競い合ったのです。あれほどの世紀の一戦でありましたから……行き交う生徒達の羨望の的でした」

「心が犯された……っ! どうしようもなく……胸が……痛いから……」

「それはそうと、南京錠ですが」

「その切り替えの速さに突っ込まなければいけないんだな、俺は!」


 思わず小声で怒鳴ってしまう。


「はやくしないと高木先生が来てしまいますよ?」

「ぐぅ……なぁ、和臣」

「なんです?」


 少しだけ楽しそうな和臣の声に誠一郎は当たりを付けた。


「さっきの仕返しか?」

「ええ、そうです」


 すんなりと認める。


「……悪趣味だぞ」

「僕に何度も恥ずかしい言葉を言わせたのです、おあいこです」

「オーケー、悪かった。仕切り直しにしよう。それでいいか?」

「悪いですね」


 重苦しい声に遮られた。


「……」

「あ! 違います! おあいこにはもちろん同意です!」

「……。なら、何が悪いんだよ」


 すねるような誠一郎に、沈痛な謝罪が飛び込んでくる。


「…………すみません。どうやら話し込んだつけが、文字通り回ってきてしまったようです」

「だから、何が――」

「もう、嫌になっちゃう。至急の電話というから出てみれば切れてしまうし。勧誘の電話だったのかしら。だとしたら質が悪いわね」


 心臓が跳ね上がった。

 廊下の先から聞こえてくる足音と独り言。いつもの落ち着いた声が苛立ちにトーンを上げている。足音も比例するようにトーンを跳ね上げていた。上履きの音ではない、ヒールのようなかかとのある靴が鳴らす独特の音……ナースサンダルの音だ。

 間違いない。保健室の主、高木奈緒美先生その人だ。

 それは誠一郎と和臣にとって敵の襲来を告げる音。

 敵が本能寺にあるのならば、高木先生の足音はまるで本能寺の変で織田信長を討とうと武士達が境内を駆けた音。織田信長が誠一郎であるならば、森蘭丸は和臣で、明智光秀は高木先生ということになるだろうか。

 声は迫る。距離はあるが確実に迫る。

 聞こえる。高木先生が角を曲がった瞬間に全てが終わる。

 見つかったら即ジ・エンドだ。


「誠一郎君……!」

「分かってる……!」


 話し込んだのは誰のせいとか、会話に付き合ってしまったのが悪いとか。

 そんな追求は消えていた。

 些細な責任の所在などどこかへ吹き飛ぶほどの戦慄。

 噴き出してくる汗を拭う暇もなく、誠一郎は南京錠に取りかかる。


吾輩は猫である。サザエでございます。僕ドラえもん。これらは全部英語で言うと、「I'm ○○○」です。本当に日本人で良かったと思います。

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