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第十六話・「わたしの身体好き?」

「藍子ー、行こー」


 無言のままこくりとうなずく藍子。その絵里の声に触発されてか、藍子を含めた女子生徒達が教室から着替えの体操着を持ってぞろぞろと出て行く。その女子生徒の合間を縫うように、絵里に呼ばれた藍子がなぜか戻ってくる。

 誠一郎の袖を指でつまんでくいくいと引いた。


「ん、なんだ、藍子?」

「誠一郎はわたしの裸好き? わたしの身体好き?」


 撫でて欲しくてすり寄ってくる子猫のような、愛らしい瞳。無表情な分、藍子は瞳で語りかけてくる。そして、俺はなぜかそれが少しだけ分かってしまう。これが絆なんだろうか。


「……お前の裸見て嫌う奴なんか、俺が奈落の底に落として……いや」


 そこまで言いかけて、俺の心は勝手に否定を口にした。


「前提がおかしい。そもそもお前の裸を嫌う以前の問題だな」


 藍子の頭をぐりぐりと乱暴に撫でる。


「お前の裸を見ようとする奴は、俺が奈落の底に落としてやるよ」


 藍子は頬を少しだけ淡く染めるとぼそり。


「……うん。必ず落として」


 袖をつまんでいた手を放し、絵里に付いていく。藍子の芸術品のような身体を見たくない人間なんかこの世にいるはずがない。男女関係なく、美しいものは皆好きなはずだ。では、誠一郎にはそれを見る資格があるのかと言えば、誠一郎にはとてもそれがあるようには思えないのだった。ポケットに手を突っ込んで少し物思いにふける。

 と、指先にふわりとした感触。


「ハンカチ返すの忘れてた。……ま、洗って返してやるか」


 作戦説明の際に鼻血が出た時に、藍子が貸してくれたものだ。


「――と、女子は全員行ったみたいだな」


 教室を見回せば男子以外誰もいない。男子もちらほらと視聴覚室に向かっているようだった。誠一郎は最後部の座席を確保するために慌てて教室を出る。

 最初の段階から手間取ってはいられない。

 決して走らず、足早にクラスメイトを追い抜く誠一郎。最後方の座席は往々にして人気がある。席替えや自由席の集会、席の移動が自由な大学の講義などでは、まずやる気の無い生徒達が多い場合、後ろの座席から埋まっていくものだ。真面目な生徒は前の席、そうでない生徒は後ろの席といった具合に。

 女子が身体測定の時にもうけられた特別授業は、やる気の無い生徒が非常に多い。

 誰が好きこのんで教育ビデオなんて見るだろうか。

 ……そうなれば、一分一秒と無駄には出来ない。

 和臣が部室にいるときにオペレーション・スクール・ナース・オフィスの開始を宣言したのもあながち早すぎではない。すでに座席取りから始まっているのだ。走りたくなる衝動をこらえてずんずんと廊下を歩いていく。

 もうすぐ。もうすぐだ。


「あ、誠一郎」


 追い抜いたクラスメイトを置き去りにしようとしたところに声をかけられる。歩みに急ブレーキをかけられ、顔を強ばらせたまま後ろを振り返る。


「そういえば、今日の朝、六條さんに絡まれてたろ? 全く何したんだよ?」

「な、何もした覚えはないぞ!」


 それだけ言って去ろうとする。


「いつも一緒の和臣はどうしたんだ? いないようだけど」


 再度進もうとした足にブレーキを余儀なくされる。


「和臣は……あー、えー、後から来るんじゃないか? じゃ、俺は先に行くから」



 手を挙げて慌てて去ろうとする。


「……? 何を急いでるんだ? どうせ次の授業はほとんど寝て終わりみたいなものなのに」

「せ、席がだな」

「席なんか、どこに座ったって同じだろ? 暗くなれば前も後ろも関係ないさ。それよりも、藍子さんの話、少し聞かせろよ」


 誠一郎の肩に手を回してくる。いつもはそれほど親しくしていない生徒なのだが、藍子が近くにいないとばかりに話しかけてくる。藍子は誠一郎至上主義が故に、男女問わず誠一郎へのスキンシップに対し過剰な反応を見せる。クラスメイト達もそれを知っているから、藍子がいるときは誠一郎に対してあまり話しかけたりしないのだ。

 今は……その藍子はいない。


「藍子さんとはやっぱり付き合ってるんだろ? 付き合わないわけ無いよなー、あんなにかわいい……いや、綺麗……ちがうなその両方を併せ持った至高の存在なんだし」

「そ、そうだな……」


 肩を組まれて歩いているうちに抜かしたはずの男子生徒に抜き返されてしまう。一人、また一人と誠一郎を追い抜いていく。

 すでにクラスの男子の半分は視聴覚室に着いてしまっているだろう。

 一番後ろの席を確保するのは絶望的と言えた。それでも可能性はある。その芥子粒のような可能性を拾い上げるために、クラスメイトの腕を乱暴承知で振り払って行く……もはやそれしかない。

 誠一郎は覚悟を決めた。

 怪しまれるかも知れないが、最初からつまずくのだけは避けたかった。


「すまん! 間に合わなくなるから先に行くわ!」

「お、おい!」


 腕から首を抜き、廊下を疾走する。


「なんだ、あいつ……」


 後ろで首をひねるクラスメイトに肩越しで謝って、視聴覚室に飛び込んだ。肩で息をする誠一郎に視聴覚室の男子の視線が注がれる。

 誠一郎は気にせずに最後部の席を確認する。


(……空いてない……!)


 最後部の席はすでに満席。その一列前の席ですら残り一席という状況だった。誠一郎は、何もしないよりはと、最後部から一列前の席に腰を落とした。


(こ……これはさすがに不味いぞ)


 冒頭からクライマックスだった。それがいきなりの頓挫。こんな工作員で大丈夫なのだろうか。

 誠一郎は自分自身の実行力に肩をがっくりと落とす。

 昔プレイしたゲームに、武器が現地調達ばかりの工作員が登場するものがあった。誠一郎はそのゲームが不得意で、スニークミッションというよりは、敵に次々に見つかってはランボーの如く敵兵を次々となぎ倒してゲームを進めたものだった。ゲームオーバーも数知れず。それでも何とか最後はクリアできた。敵の配置を覚えて、やられては身体で覚えて、繰り返しプレイ。そうしてクリアした。

 しかし、今実行しているミッションにはリセットはない。

 一回きりのミッションだ。失敗は許されないはずだった。


「よーし、席付いてるな。ビデオかけるぞ」


 昼休み終了の鐘が鳴る。社会倫理学のビデオを持った教師が現れ、窓を閉め、黒い暗幕をかけていく。……間もなく、ピンポンパンポンと放送が鳴る。


 ――高木奈緒美先生、お電話が入っております、至急職員室までお越し下さい。繰り返します……高木奈緒美先生、お電話が入っております、至急職員室までお越し下さい。


 和臣はきちんと作戦を遂行している。

 藍子だってきっとのぞかれるのを分かっていて行動しているに違いない。

 照明の落とされた視聴覚室の中で、誠一郎は強く下唇をかんだ。


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