第十三話・「冒頭からクライマックス」
「保健医である高木奈緒美先生が仕事に厳しい真面目な先生であることは、先程誠一郎君がおっしゃっていたとおりです。気まぐれな行動を起こすことはありませんし、言葉で言ってどうにかなるわけでもありません」
「じゃあ、どうするんだ?」
腕を組んで難しい顔をする。その誠一郎の顔を見て、和臣はうっすらと微笑んだ。
「真面目だからこそ……悪い言い方をすれば、仕事に忠実だからこそ、逆に予測しやすいのですよ。まず、昼休みが終わると同時に、女子生徒は更衣室へ。そこで着替えを済ませ、身体測定のために保健室へと移動を始めます。そうですね、藍子さん?」
「そう」
こくり。
よくよく考えれば誠一郎にのぞかれる側の女子生徒である藍子だが、彼女にとってそれは問題ではなかった。理由は、考えるまでもない。
……のぞかれる相手が誠一郎だからだ。
女子生徒達にとっては、獅子身中の虫……とんだ内通者なのである。
「女子生徒が更衣室から保健室へ移動をする時間、まさにそこを突きます」
うなずく藍子を見て、和臣は地図上の保健室に置かれた黒のクイーンの駒を再び手に取った。
「昼休みが終わる直前、僕が高木先生を呼び出します。理由は、まぁ、どうとでもなるでしょう。僕は存外、他人からの信頼があるようですから。普段からの行いのたまものですね」
にっこりと笑う。照れも、自慢も、意地悪さもない、知っているという気持ちのいい笑い。雨上がりの晴れ間を思わせるほどのすがすがしささえある。これが誠一郎や、他の生徒であれば雷雨前の曇天の如くに嫌味にも聞こえただろうが、そこが和臣のすごいところであった。ただの面が良いだけのイケメンではない、真にどこまでも、それこそ怖いくらいにイケてるメンズなのだ。
「保健室に常駐している高木先生が僕に呼び出され、保健室は当然無人。今日に限っては保健室のベッドは身体測定のために空にされていますから、闖入者の心配もありません」
黒のクイーンが保健室から外に出される。保健室はもぬけの空だ。
次に和臣は、白のポーンをいくつか手に取ると、保健室から離れた部分に並べ始める。
「その頃、僕たち男子生徒は視聴覚室にて社会倫理学のビデオ学習です。上映開始と同時に室内は暗闇に閉ざされ、滅多なことがない限りは教室から出てもばれることはないでしょう」
映画館の上映時、背後の観客をしきりにうかがう人間などいない。最奥の座席に座ってさえしまえば、前列の観客達の視界に入り込むことはない。和臣が並べた白のポーンはどうやら男子生徒を意味するらしい。そのうちの一つ――おそらくそれが誠一郎なのだろう――が、白のポーン達から離れたところに移動させられる。移動場所は、無人の保健室。
「ただ一つ、注意していただきたいのは、誠一郎君は必ず視聴覚室には上映開始まではいていただかなければならないことです。これを怠るといざというときにアリバイをつくることが出来ませんからね」
誠一郎の頬を汗が流れる。気温がそうさせたのではない。ミッションの難易度が自然と誠一郎の頬を強ばらせる。汗は頬の筋肉の上を、まるで堀に水を流すように次々と同じ筋をたどって流れていく。
誠一郎は先程から、藍子から借りっぱなしになっているハンカチで頬の汗を拭う。
血と汗がにじんだハンカチは、さながら戦場を生きる戦士のそれだ。
「分かった。俺はチャイムと同時に視聴覚室の一番後ろの座席に座って、上映開始になったら、抜け出して保健室へ向かうんだな」
「はい、その通りです。女子生徒が保健室に向かうまでに」
「かつ、高木先生が保健室へ戻るまで」
和臣の跡を継いで、藍子が条件を追加する。完全なる時間との勝負。
「誠一郎君には申し訳ありませんが、冒頭からクライマックスですよ。保健室に侵入できなければそこでジ・エンドです」
「ふふ……分かってるさ、映画にありがちなパターンだ」
引きつった笑みを浮かべる誠一郎。言葉とは裏腹に余裕はない。
それでも、誠一郎はおのが崇高な目的のため、挑まざるを得ない。
無茶でも、無謀でも、やるしかないのだ。
保健室に置かれた自分の化身とも言える一つの白いポーンを凝視する。
そそり立て。勃起しろ。起つんだ、起つんだ誠一郎。あの角度を取り戻すんだ。
誠一郎の心の中では、圧政に苦しむ民衆達が武器を持って蜂起していた。
――勃起! 勃起! 勃起!
民衆達の咆哮が誠一郎の逸物を奮い立たせようとする。
「『アルマゲドン』だったら、ニューヨークに隕石が落ちてくるところかな」
「はい。『ザ・ロック』なら、ハメル将軍の決意のシーンです」
「……『トランスフォーマー2』。冒頭の巨大なディセプティコンとの死闘」
共通するのは全てマイケル・ベイ監督。エンターテイメントの巨匠だった。三人の息がぴったりとかみ合わなければ、作戦の成功はない。