08060815
私は、広島に親戚が多い。
私の祖父は、原爆投下後に降った、いわゆる「黒い雨」を浴びた。
原爆症を発症した親戚もいた。
一方で、国に迷惑をかけたくない、恥だと考え、原爆症の給付金を受け取ることを拒否した親戚もいた。
原爆症によるがんを発症し、抗がん剤治療を受けた親戚がいた。その影響で、肝臓の近くの骨が緑色に変色していたことを、火葬場でその親は目にした。
海苔屋と写真屋を営んでいた親戚は、広島市に近い場所に住んでいた。
原爆投下から三日後、写真屋の親戚は、軍の命令で広島市内に入り、市内の状況を撮影した。
曾祖父の家の周囲には、服とただれた皮膚が癒着した人々が、列をなしてゆっくり歩いていたという。
そうした人々を風呂に入れた。
その風呂の水は、生活用水として再利用された。服も同じ水で洗われた。干して、また着た。
曾祖父の家には、塩も食べ物もなかった。
そのため、何でも食べた。芋、芋のつる、かぼちゃ。
柿は、皮ごと食べた。祖父は、今でも名残で皮ごと食べている。
いもやかぼちゃをふかして、学校に持って行った。主食がじゃがいもなのか、かぼちゃなのか、よくわからない弁当だったという。
味付けるものがないため、塩や醤油を使わない、よくわからないソースで食べたことがあったと聞いた。それは、まずかったという。これが、お好み焼きの由来ではないかと聞いた。
肉や魚は、祭りなどの行事以外で食べることはなかった。
戦後、豊かになり、食べ物を食べられるようになった。
祖父と祖母は、素晴らしい時代になったと言っていた。




