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08060815

作者: センカク
掲載日:2026/04/27

 私は、広島に親戚が多い。

 私の祖父は、原爆投下後に降った、いわゆる「黒い雨」を浴びた。

 原爆症を発症した親戚もいた。

 一方で、国に迷惑をかけたくない、恥だと考え、原爆症の給付金を受け取ることを拒否した親戚もいた。

 原爆症によるがんを発症し、抗がん剤治療を受けた親戚がいた。その影響で、肝臓の近くの骨が緑色に変色していたことを、火葬場でその親は目にした。

 海苔屋と写真屋を営んでいた親戚は、広島市に近い場所に住んでいた。

 原爆投下から三日後、写真屋の親戚は、軍の命令で広島市内に入り、市内の状況を撮影した。

 曾祖父の家の周囲には、服とただれた皮膚が癒着した人々が、列をなしてゆっくり歩いていたという。

 そうした人々を風呂に入れた。

 その風呂の水は、生活用水として再利用された。服も同じ水で洗われた。干して、また着た。

 曾祖父の家には、塩も食べ物もなかった。

 そのため、何でも食べた。芋、芋のつる、かぼちゃ。

 柿は、皮ごと食べた。祖父は、今でも名残で皮ごと食べている。

 いもやかぼちゃをふかして、学校に持って行った。主食がじゃがいもなのか、かぼちゃなのか、よくわからない弁当だったという。

 味付けるものがないため、塩や醤油を使わない、よくわからないソースで食べたことがあったと聞いた。それは、まずかったという。これが、お好み焼きの由来ではないかと聞いた。

 肉や魚は、祭りなどの行事以外で食べることはなかった。

 戦後、豊かになり、食べ物を食べられるようになった。

 祖父と祖母は、素晴らしい時代になったと言っていた。

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