第8話. 再教育プログラム
「A-73様の作業パターンが逸脱しています。再教育を推奨します」
拒否権のない勧告。モニターの中で刻々と減っていく猶予時間。
組織はついに、ユンジェの唯一の弱点である「家族」にまで手を伸ばします。
知性を売る「作家」から、意思を持たない「資産」へ。
ユンジェが直面する、最も残酷な選択の24時間が始まります。
A-73様の作業パターンが逸脱しています。
再教育を推奨します。
しかし、すでに【拒否】ボタンは灰色に染まっていた。
ユンジェのノートパソコンの画面が、不気味に点滅した。
[システム通知]
A-73様の作業パターンが内部基準から逸脱しています。
再教育プログラムへの参加を推奨します。
文章の最後の一言が、鋭く目に留まった。
『推奨』。
しかし、そこに用意された選択肢は、事実上一つしかなかった。
[詳細を見る] ボタン:アクティブ
[拒否] ボタン:灰色、クリック不可
【2019年3月23日 午前4時40分】
【下宿 206号室】
ユンジェは再び溜息を呑み込みながら、マウスを動かした。
(ひとまず、中身を確認するしかない……)
[詳細を見る] を押すと、新しいウィンドウが静かに開いた。
[AS_RETRAIN_プログラム案内]
内容:
- 認知再構成教育
- 倫理・忠誠度強化セッション
- 不必要な感情反応の除去
- 作業パターンの最適化
期間: 三日間
場所: オフラインセンター(所在地非公開)
※参加前にオンラインオリエンテーション必須
選択可能な日程:
- オリエンテーション:三月二十三日 午前十時
- 入所:三月二十五日 または 三月二十六日(オフライン入所)
※再教育プログラム不参加の場合、追加の作業割り当てが制限されることがあります。
「三日間……?」
ユンジェは無意識にカレンダーを思い浮かべた。
父の手術予定日、四月五日。
残された時間は、あと十三日。
(再教育まで受けて、この汚れた仕事を続けなければならないのか……)
【午前4시 43分】
ユンジェはスクロールを最後まで下げた。一番下に、見えるか見えないかほどの薄い灰色の文字が隠されていた。
[付録:再教育履修者現況 – 内部閲覧用]
クリックすると、冷淡な警告ウィンドウが表示された。
[セキュリティ警告]
該当リストは上位権限専用です。
A-73様は閲覧が制限されています。
(制限、か……)
ユンジェはモニターを見つめ、しばし考えに耽った。
「制限がかかっているということは、『リスト自体はここに存在する』ということだ」
彼はUSBの構造を必死に思い出した。
AS_hidden_temp.
log_asset_3870.enc.
そして、まだ開けていない暗호... ではなく、暗号化されたファイルたち。
「なら、再教育に関するファイルもどこかにあるはずだ」
ユンジェはUSBのエクスプローラーを、指を震わせながら開いた。
[AS_hidden_temp] をクリック。
既存のファイルたちの間に、先ほどまではなかった新しいフォルダが一つ生成されていた。
[RE_TRAIN]
「やっぱりあったか……」
フォルダの中に隠されていた、一つのファイル。
[retrain_3870_log.enc]
拡張子は .enc。暗号化ファイルだ。
開くことはできないが、プレ뷰... ではなく、プレビューで最初の一行だけは見ることができた。
[再教育対象リスト – 3870プロジェクト]
状態分類:
- 完了(Completed)
- 離脱(Disconnected)
- 削除(Removed)
息が詰まるような感覚に襲われた。
「削除……(Removed)?」
再教育対象者のステータスは、完了、離脱、そして削除。
(削除は、人間に使う言葉じゃない。ファイルやシステムに付けられる単語だ……)
「これは……教育じゃない。整理だ」
脳裏を掠める犠牲者たちの顔ぶれ。ログに記されていた名前。
キム・ミンホ。パク・ソヒョン. イ・ジュニョク。そして、イ・ソジュン。
「まさか……」
ユンジェは、イ・ソジュン事件の記録を再び思い出した。
不起訴。執拗な民事訴訟。そして、自殺。
(『我々は反抗的な人間を長くは置かない』……どこかで聞いた言葉のように感じられた)
ピコン――。
新しいポップアップが現れた。
[リアルタイム相談リクエスト – 再教育プログラム担当者]
今すぐ相談を開始しますか?
[はい] / [いいえ]
しかし、やはり [いいえ] は灰色の死んだボタンだった。
「今度は何だ! 一体どうしろというんだ……」
選択肢は二つあったが、実質的には強要だった。
ユンジェはマウスを握りしめ、[はい] をクリックした。
画面が切り替わった。
微かにノイズの混じった灰色の背景。その前に、見覚えのあるあのシルエットが現れた。
黒いシルエットの男。
「A-73様。深夜に失礼いたします」
ユンジェは返答の代わりに、モニターをじっと凝視した。
「先ほど案内した『再教育プログラム』について、補足説明をさせていただきます」
「その前に一つ聞きたい」
ユンジェが先に口を割った。
「『削除(Removed)』とは、どういう意味だ?」
短い、不気味な沈黙。
「該当情報は、A-73様の権限範囲を超えています」
「人間に対して『削除』なんて言葉を使う組織が、まともだと言えるのか?」
シルエットの目が、少し細まったように見えた。
「誤解しないでください。再教育はA-73様を『保護』するための装置です」
「誰からだ?」
「ご自身からですよ」
男は淡々と答えた。
「現在、A-73様の感情コントロール指数は『下』。組織順応度は『中下』。この状態が続けば、致命的なエラーが発生します」
「エラー……?」
「不必要な罪悪感、過度な共感、そして非合理的な抵抗衝動」
一つひとつ指摘されるたび、その言葉が首を絞める鎖のように感じられた。
「これらの要素は、A-73様を苦しめるだけです。我々はその苦痛を軽減して差し上げたいのです」
「出鱈目な理屈で言いくるめるな。俺の考えとは全く違う」
ユンジェが低く、搾り出すように言った。
「論文の中で、判決文の中で、記録の中で、歴史の中で」
男は微かに笑いながら言った。
「再教育はチャンスですよ、A-73様」
「チャンスだと?」
「より高いランクの作業、より大きな報酬、より広い影響力を持てる」
男の声が、滑らかに続いた。
「そうすれば、お父様の費用の心配も、もうなさる必要はないでしょう」
心臓がどくんと大きく跳ねた。
「父さん……?」
「ソウル中央病院 八階。ハン・ギチョル氏」
男の声は氷のように冷たいが、どこか毒を含んだ鋭さが混じっていた。
「我々は家族まで責任を持ちます。A-73様が誠実にシステムに順応してくださるならば」
「再교육... ではなく、再教育を受ければ、俺をさらに都合の良い『道具』にするつもりだろう」
「道具ではなく、パートナーです」
「パートナーと言いながら、再教育を拒否すれば『作業割り当て制限』か?」
短い静寂。
「選択의... ではなく、選択の自由は尊重します、A-73様。ただし、選択には常に結果が伴うものです」
相談ウィンドウの上部に、新しい文章が浮かび上がった。
[再教育プログラム参加の有無を二十四時間以内に決定してください]
[残り時間:23:59:58]
赤いカウントダウンが、死の宣告のように始まった。
「決定を急かす必要はありません」
男が付け加えた。
「じっくりと考えてみてください。お父様のためにも、ご自身のためにも」
シルエットが消え、画面にはタイマーだけが虚しく数字を削っていた。
23:59:12
23:59:11
23:59:10 ...
ユンジェはノートパソコンを閉じることができなかった。
二十三時間五十九分。
(再教育を受ければ……父の手術費。追加の作業。さらに多くの金が手に入る……)
(だが、拒否した場合は……削除(Removed))
ユンジェは頭を抱え込んだ。
「再教育を受ければ……俺は、俺のままでいられるのか?」
検事として生きていた頃、起訴状の最後に自分の名前を記す時の感覚。
『これは俺の判断だ』と、己の魂に責任を負っていたあの瞬間。
(今の俺は、一体誰なんだ……?)
A-73。作家。資産。再教育対象。
そして、父を救いたいだけの、哀れな息子。
【午前5시... 10分】
廊下を誰かが通り過ぎる足音が、幽霊のように響いた。
今度は緊張しながらドアを注視したが、メモは入ってこなかった。
代わりに、ノートパソコンが勝手に起動し、新しいウィンドウが勝手に開いた。
[再教育センター – オリ엔... ではなく、オリエンテーション接続リンク]
入場可能時間: 三月二十三日 午前十時
出席対象: A-73 外 三名
ユンジェは、画面を再び睨みつけた。
「他の……三名? 彼らも再教育対象者なのか?」
(俺だけがこうして引きずり込まれたわけじゃないんだ……)
言いようのない奇妙な連帯感と、底知れない恐怖が、同時に押し寄せてきた。
ユンジェは手の甲で顔を拭いながら, 悩み抜いた。
「行くべきか。それとも……手遅れになる前に、すべてを断ち切るべきか」
今もタイマーは、刻々と時を削っている。
23:51:03
23:51:02
23:51:01...
ユンジェは予감... ではなく、予感していた。
この二十四時間が、これからの人生のすべてを分かつことになるだろうと。
次話予告
午前十時。
ユンジェはついに、再教育オリエンテーションに接続する。
そしてそこで、真っ暗な画面の向こう側から、
自分と同じコード名を持つ者たちの、微かな吐息を聞くことになる。
「ここに、A-73さんはいらっしゃいますか?」
見知らぬ声。
だが、妙に聞き覚えのある、震える声だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「削除(Removed)」という言葉が突きつける、逃れられない恐怖。
父の命と引き換えに、ユンジェは自らの魂を差し出すのでしょうか?
同じ境遇に置かれた、顔の見えない「3人の仲間」。
果たして彼らは敵か、味方か。
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