第8話「灰の中の最後の核」
大正12年9月3日、朝。
地獄門は閉ざされたはずだった。
だが、焼け野原の中心に、黒い霧が渦を巻き、地面が再び裂け始めた。
肉の裂け目は、閉じたはずの傷口のように、ゆっくりと開き直す。
そこから、巨大なものが這い出る。
脈動の核の本体。
第6章で一度撃破したはずのそれが、地獄門の最後の残滓として、再生・肥大化していた。
高さは数十メートル。
胎児肉塊が無数に融合した、歪んだ人型。
無数の赤黒い瞳が、全身に開き、口が裂け、黒い触手が無限に生え変わる。
悲鳴は、もはや合唱ではなく、単一の、宇宙的な絶望の咆哮。
精神を溶かす黒い霧が、焼け野原全体を覆い、灰を黒く染める。
青葉葵は、立ち上がる。
血まみれの着物は、ほとんど布切れ。
紅い線は、全身を覆い、皮膚は透け、骨と血管が剥き出しに近い。
金色の瞳は、燃える。
無表情。
薄い、冷たい微笑み。
「……まだ、いたのね」
低く、宣告。
菫が、葵の横に立つ。
母の体も限界。
古傷はすべて開き、血が絶えず流れ、足元に赤い川を作る。
だが、瞳は燃えている。
「葵……一緒に」
葵は、頷く。
言葉は少ない。
二人は、巨大な核へ向かう。
茂は、遠くでみーちゃんを抱き、地面に膝をつく。
「二人とも……!」
声は届かない。
核が、動く。
触手が、無数に降り注ぐ。
葵は、右手を掲げる。
浄界七曜陣。
光の輪郭が、焼け野原に広がる。
だが、核の咆哮が、光を歪ませる。
触手が、葵の体を貫く。
ズブズブ……複数本が、胸・腹・肩を同時に抉る。
血が、噴き出す。
彼女は、動かない。
ただ、光を注ぎ続ける。
菫が、横から。
「沸魂業湯・紅蓮浄化・極」
紅い湯気が、爆発的に広がる。
触手が、沸騰し、煮立つ。
グツグツ……肉が溶ける音が、響く。
内臓のような破片が、灰に落ちる。
だが、核は再生する。
胎児肉塊が、新たに生え、触手を増やす。
巨大な口が、開き、二人の体を飲み込もうとする。
菫が、前に出る。
「光針穿刺・極」
無数の光の針が、核の瞳を貫く。
ジュウウ……焼ける音。
瞳が、次々と爆ぜる。
だが、代償が来る。
菫の体が、崩れかける。
古傷が、すべて同時に裂け、血が噴水のように上がる。
「母さん……!」
葵の声が、わずかに揺らぐ。
共有視界。
二人の血の糸が、繋がる。
菊乃の分まで、赤く輝く。
だが、細く、切れかけている。
核の触手が、再び襲う。
一本が、葵の首を狙う。
彼女は、掴み、引きちぎる。
ズルリ……肉が剥がれる音。
黒い汁が、噴き出す。
菫が、葵を支えながら。
「葵……私が、囮になるわ」
葵の金色瞳が、深く輝く。
「……駄目」
低く、拒否。
二人は、手を重ねる。
九字護身法・極。
光が、二人の体を包む。
核の中心へ、突進。
巨大な口が、開く。
胎児肉塊が、渦を巻く。
二人は、口の中へ飛び込む。
内部は、肉の迷宮。
ぬるぬるした壁。
無数の小さな手が、這う。
悲鳴が、頭蓋を直接砕く。
葵は、核の最深部へ。
そこに、真の核。
赤黒い瞳の集合体。
脈動する、心臓のようなもの。
葵は、両手を押し当てる。
「圧縮封魔・五芒星崩壊・極」
光が、核を包む。
核が、激しく痙攣。
触手が、内側から二人の体を貫く。
ズブズブ……肉を裂く音。
血が、噴き出す。
菫の体が、限界を超える。
「葵……あなたは……生きて」
菫の声が、途切れかける。
葵は、首を振る。
「……一緒に」
光が、爆発。
核が、収縮を始める。
肉の迷宮が、崩壊。
二人は、外へ弾き出される。
焼け野原の地面に、倒れ込む。
核の咆哮が、弱まる。
だが、まだ。
完全に消えていない。
巨大な体が、ゆっくり崩れ落ちる。
胎児肉塊が、灰に溶ける。
触手が、炭化。
悲鳴が、遠ざかる。
葵は、菫を抱きかかえる。
金色の瞳が、揺らぐ。
戦闘の冷たさが、消える。
5秒以内。
「……母さん」
弱い声。
菫は、かすかに微笑む。
「えへへ……まだ、生きてるわよ」
血まみれの笑顔。
茂が、駆け寄る。
みーちゃんが、鳴きながら飛びつく。
灰の空に、かすかな青い光が差し込む。
だが、核の残滓は、まだ脈動を続けている。




