第7話「門の中心、最後の供物」
大正12年9月3日、暁。
雨は止み、焼け野原に灰色の霧が立ち込める。
地獄門は半分閉じかけたまま、脈動を続けている。
肉の裂け目は、ゆっくり収縮しながらも、無数の口が開閉を繰り返し、黒い触手が外へ這い出そうとする。
胎児肉塊が、門の縁から零れ落ち、地面で蠢き、再生する。
悲鳴は、低く唸るような響きに変わっていた。
青葉葵は、再び門の前に立つ。
着物は血で固まり、ほとんど黒く見える。
紅い線は全身を覆い尽くし、皮膚は透け、心臓の鼓動が肉越しに視える。
傷口は無数に開き、血が足元に黒い水溜まりを作る。
金色の瞳は、冷たく燃える。
無表情。
薄い、冷たい微笑み。
「……最後の供物」
低く、宣告。
家族が、背後に立つ。
菫は、古傷から血を滴らせ、息を荒げながら。
菊乃は、老体を震わせ、血まみれの指を握りしめている。
茂は、魔法瓶を地面に置き、みーちゃんを抱き上げて、門から数メートル離れた場所で待つ。
みーちゃんは、震えながら弱く鳴く。
三人は、裂け目へ踏み込む。
内部は、前回より狭く、肉の壁が迫ってくる。
ぬるぬるした脈動。
胎児肉塊が、足に絡みつく。
小さな手が、無数に這う。
悲鳴が、頭蓋を直接叩く。
共有視界が、再び繋がる。
三世代の血の糸が、明確に視える。
赤い糸は、ほとんど切断寸前。
一本の細い線だけが、辛うじて繋がっている。
葵は、門の中心へ進む。
そこに、脈動する核。
胎児肉塊の集合体が、さらに巨大化し、無数の赤黒い瞳がこちらを睨む。
核の周囲を、触手が渦巻く。
葵は、核の前に立つ。
「……ここで」
低く、呟く。
菫が、葵の横に並ぶ。
菊乃が、もう一歩前へ。
老いた体が、よろめく。
「葵……菫……わしが、最後の楔になる」
菊乃の声は、弱いが、確か。
葵の金色瞳が、一瞬揺らぐ。
「……おばあちゃん」
菊乃は、ゆっくり微笑む。
皺だらけの顔に、優しい光。
「最強の退魔師は、こうして終わるものじゃ」
彼女は、血の指で九字を、自分の胸に刻む。
深く。
肉が裂け、骨が露わになる。
ガリッ……という、骨を削る音。
血が、噴き出す。
菊乃の体が、光に包まれる。
九字護身法の極。
光が、核を貫く。
核が、激しく脈動。
触手が、一斉に菊乃を狙う。
無数の一本が、老体を貫く。
ズブズブ……肉を裂く音。
内臓が、飛び散る。
血が、噴水のように上がる。
菊乃は、動かない。
ただ、光を注ぎ続ける。
「これで……四神の楔は、完全じゃ」
低く、宣告。
彼女の体が、ゆっくり崩れ落ちる。
血の糸が、一瞬強く輝き、核を縛る。
核が、収縮を加速させる。
肉の裂け目が、急速に閉じ始める。
触手が、炭化し、灰になる。
胎児肉塊が、溶け、悲鳴が弱まる。
菊乃の瞳が、ゆっくり閉じる。
最後に、葵に向かって、弱い微笑み。
「……葵……お前の笑顔を……守れ」
声は、途切れる。
菊乃、死す。
菫が、膝をつき、血を吐く。
葵の金色瞳が、深く輝く。
「……おばあちゃん」
低く、呟く。
だが、次の瞬間。
冷たい微笑み。
「……終わらせる」
彼女は、核に両手を押し当てる。
九字を、揃える。
菫が、立ち上がり、葵の横に立つ。
二人の血が、混じり合う。
紅い糸が、最後の輝きを放つ。
光が、爆発的に広がる。
核が、完全に収縮。
肉の裂け目が、閉じる。
最後の悲鳴が、空に響き、消える。
門は、完全に閉ざされる。
地獄門、封印。
葵の体が、崩れ落ちる。
金色の瞳が、揺らぐ。
戦闘の冷たさが、消える。
5秒以内。
彼女は、地面に座り込む。
血まみれの体で。
菫が、葵を抱きかかえる。
「……母さん……おばあちゃんが……」
弱い声。
菫は、涙を堪え、葵の髪を撫でる。
外へ。
門の外へ、這い出る。
焼け野原の空気。
灰色の霧が、薄れ始める。
茂が、駆け寄る。
みーちゃんが、鳴きながら飛びつく。
葵は、ゆっくり顔を上げる。
金色の瞳が、日常に戻る。
「……おかえりなさいませ……みんな」
弱々しい微笑み。
だが、そこに、いつもの「あらあら〜」はない。
ただ、静かな、儚い笑顔。
菊乃の亡骸は、光の粒子となって、灰に溶ける。
最後の羊羹の包みが、茂の手の中で、わずかに温かい。
家族は、寄り添う。
焼け野原に、かすかな青空が覗く。




