第6話「地獄門内部への突入」
大正12年9月2日、深夜。
雨は止み、代わりに腐臭が濃く立ち込める。
焼け野原の中心。
銀座と浅草の境目だった場所に、地獄門は完全に開いていた。
肉の裂け目が、縦に数十メートルも抉れ、縁は脈打つ血管のように蠢き、無数の口が開閉を繰り返す。
胎児肉塊が、門の表面を這い、落ちては再生し、黒い触手が空を覆う網のように広がる。
絶え間ない悲鳴が、重なり合い、頭蓋を直接叩く。
精神を溶かす黒い霧が、地面を這う。
青葉葵は、門の前に立つ。
着物は血と灰と雨で黒く固まり、紅い線は全身を覆い尽くし、皮膚はほぼ透け、血管と骨の影が浮かぶ。
傷口は塞がらず、血が足元に溜まる。
金色の瞳は、完全に常時点灯。
無表情。
薄い、冷たい微笑み。
言葉は、少ない。
「……入る」
低く、抑揚のない声。
家族が、背後に並ぶ。
菫は、古傷を押さえ、血を滴らせながら頷く。
菊乃は、老体を支え、血の指で九字を握りしめる。
茂は、魔法瓶と羊羹の包みを地面に置き、初めて「家」の外へ一歩踏み出す。
だが、葵は静かに首を振る。
「ここからは……私たち三人で」
茂の目が、揺れる。
「……待つ」
彼は、頷き、魔法瓶を握りしめる。
みーちゃんは、茂の足元で震えながら、弱く鳴く。
葵は、猫の頭を一度だけ撫でる。
「みーちゃん、お留守番ね」
柔らかな声は、もう出ない。
代わりに、冷たい視線。
三人は、門の裂け目へ歩み寄る。
触手が、即座に反応する。
一本が、葵の足を狙う。
彼女は、避けない。
右手を軽く振る。
光針穿刺。
針が、触手を貫き、爆ぜる。
肉片が飛び散り、黒い汁が霧に混じる。
臭い。腐敗と胎児の甘ったるい腐臭と、鉄の血の混じった、吐き気を催すもの。
菫が、横から援護。
「沸魂業湯・紅蓮浄化」
紅い湯気が、触手を溶かす。
グツグツ……煮立つ音が、門の悲鳴に混じる。
菊乃が、血の指で九字を地面に刻む。
光の結界が、三人を包む。
だが、門の内部は、違う。
三人が、裂け目へ踏み込む。
足元が、肉の床。
ぬるぬるした感触。
温かく、脈打つ。
胎児肉塊が、足に絡みつく。
小さな手が、無数に触れる。
悲鳴が、頭蓋に直接響く。
「葵……!」
菫の声が、歪む。
共有視界が、再び繋がる。
三世代の血の糸が、明確に視える。
切れかけている。
紅い線が、切断寸前。
葵の金色瞳が、深く輝く。
「……進む」
低く、宣告。
内部は、迷宮。
肉の壁が、蠢き、口が開いては閉じ、触手が天井から垂れ下がる。
黒い霧が、視界を奪う。
精神侵食。
幻視が、襲う。
家族の過去。
菊乃の最強時代、穢れに飲み込まれかけた瞬間。
菫の全国狩り、血の海に沈んだ日々。
葵のこれまでの戦い。
すべてが、重なり、歪む。
血の糸が、軋む。
菫が、膝をつく。
菊乃が、血を吐く。
葵は、動かない。
ただ、前へ。
「圧縮封魔・五芒星崩壊」
触手群が、内側から爆ぜる。
肉片が、壁に叩きつけられる。
内臓の破片が、足元に落ちる。
臭いが、濃くなる。
さらに奥へ。
肉の通路が、狭くなる。
口が、開き、歯のような突起が並ぶ。
葵の肩を、噛む。
ガリッ……骨が軋む音。
血が噴き出す。
彼女は、無表情。
冷たい微笑み。
「……まだ」
九字護身法。
光が、爆発的に広がる。
口が、炭化。
通路が、開く。
三人は、門の中心へ。
そこに、脈動する核。
地獄門の本体。
胎児肉塊の集合体。
無数の赤黒い瞳が、こちらを睨む。
悲鳴が、頂点に達する。
精神が、溶けかける。
葵の金色瞳が、燃える。
「ここで……終わらせる」
低く、宣告。
家族の血の糸が、最後の瞬間に、強く繋がる。
三人は、手を重ねる。
九字を、揃える。
光が、核を包む。
核が、激しく脈動。
触手が、最後の反撃。
葵の体を、貫く。
胸を、腹を、背中を。
ズブズブ……肉を裂く音。
血が、噴き出す。
だが、彼女は、動かない。
ただ、光を注ぎ続ける。
核が、収縮を始める。
悲鳴が、弱まる。
肉の裂け目が、ゆっくり閉じ始める。
だが、まだ。
完全には、閉じない。
葵の体が、崩れ落ちる。
金色の瞳が、揺らぐ。
次の瞬間。
戦闘の冷たさが、わずかに薄れる。
だが、言葉は出ない。
ただ、弱々しく、家族に視線を向ける。
菫が、葵を抱きかかえる。
菊乃が、血の指で葵の額に触れる。
外へ。
門の外へ、這い出る。
焼け野原の空気。
雨が、再び降り始める。
茂が、駆け寄る。
みーちゃんが、鳴きながら足に絡む。
葵は、地面に座り込む。
血まみれの体で。
金色の瞳が、ゆっくり日常に戻る。
「……まだ、終わっていない」
弱い声。
だが、微笑みは、冷たくない。
家族が、寄り添う。
地獄門は、半分閉じかけたまま、脈動を続ける。




