第3話「西の白虎、崩落の籠城」
大正12年9月1日、夕暮れ。
灰の雪が止まない。
焼け野原の西、かつて銀座の華やかな通りだった場所。
今は、崩落したビルの残骸が積み重なり、鉄骨がねじ曲がり、瓦礫の山が壁のようにそそり立つ。
その中央、半壊したデパートの地下階。
西の白虎の楔が、埋もれていた。
青葉葵は、瓦礫の隙間を這うように進む。
着物の裾が引きずられ、灰と血で黒ずむ。
腹の傷はまだ塞がらず、歩くたび血が滴る。
紅い線は、首筋まで這い上がり、頰に薄く血管が浮かぶ。
金色の瞳は、冷たく輝いている。
無表情。
薄い、冷たい微笑み。
「西の白虎……ここね」
低く呟く。
周囲の暗闇から、音。
ゴロゴロ……という、地響きのような。
いや、違う。
触手が、ビルの残骸を這い回る音。
黒い肉の腕が、無数に壁を叩き、鉄骨を曲げ、瓦礫を崩す。
仮面の使者が、群れを成して迫る。
胎児の泣き声が、反響する。
葵は、地下への階段を降りる。
背後で、菫の声。
「葵! 待ちなさい!」
母が、血まみれの体で追いつく。
古傷がさらに開き、足元に血の跡を残す。
「母さん……ここは、私一人で」
「駄目よ。籠城になるわ」
菫の瞳が、燃える。
二人は、地下階へ。
崩落した天井の隙間から、わずかな灰色の光が差し込む。
白虎の楔は、コンクリートの床に突き刺さった石碑。
だが、周囲を触手が取り囲み、肉の根が絡みついている。
葵は、楔の前に立つ。
「始めます」
両手を広げる。
浄界七曜陣。
光の輪郭が、床に描かれる。
だが、即座に。
触手が、天井から落ちてくる。
一本が、葵の肩を狙う。
彼女は、避けない。
左手で掴み、引き裂く。
ズルリ……という、肉が剥がれる音。
黒い汁が噴き、腕を焼く。
痛みなど、ない。
金色の瞳が、深く輝く。
「圧縮封魔・五芒星崩壊」
触手が、内側から爆ぜる。
肉片が飛び散り、壁に叩きつけられる。
骨のような破片が、床に転がる。
臭い。腐敗と鉄と、焼けた肉の混じった、吐き気を催すもの。
菫が、後ろから援護。
「光針穿刺」
無数の光の針が、触手群を貫く。
ジュウウ……焼ける音。
肉が溶け、灰に混じる。
だが、触手は尽きない。
次々と、天井の隙間から這い出てくる。
瓦礫が、さらに崩れる。
出口が、塞がれていく。
籠城。
二人は、楔を中心に背を合わせる。
葵の紅い線が、胸まで広がる。
皮膚が透け、心臓の鼓動が、血管越しに見える。
幻視。
三世代の血が、赤い糸となって繋がる。
切れかける。
菫の古傷が、一斉に裂け、血が噴き出す。
「母さん……!」
葵の声が、わずかに揺らぐ。
だが、次の瞬間。
冷たい微笑み。
「……まだ、終われないわ」
彼女は、両手を楔に押し当てる。
九字護身法。
光が、爆発的に広がる。
七曜の陣が、地下全体を包む。
触手が、激しく暴れる。
一本が、葵の背中を貫く。
グサッ……肉を抉る音。
血が、噴き出す。
彼女は、動かない。
ただ、陣を完成させる。
光が、白虎の楔を正位置に固定。
触手群が、一斉に炭化。
灰になる。
西の封印、修復完了。
葵の体が、崩れ落ちる。
金色の瞳が、揺らぐ。
菫が、抱きかかえる。
「葵……!」
戦闘の冷たさが、消える。
5秒以内。
「あらあら〜……終わりましたわね、母さん」
弱々しい笑顔。
血まみれの着物で、微笑む。
「ふふっ……お腹と背中が、ちょっと痛いですけど……えへへ」
菫は、涙を堪え、葵の髪を撫でる。
「馬鹿ね……無理しすぎよ」
遠く。
焼け跡の「家」の残骸。
茂が、魔法瓶を抱えて待つ。
菊乃が、血の指で地面を刻む。
みーちゃんが、灰の中から這い出て、弱く鳴く。
葵は、菫に支えられながら、崩落の隙間を這い上がる。
傷を押さえ、血を滴らせながら。
「次は、南の朱雀……行きましょうか」
灰の空が、赤く染まる。
地獄門の咆哮が、近づく。




