表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朝の連続ホラー小説 大正あおい日和  作者: 泉水遊馬
第7章「四神の楔と震える大地」
62/79

第3話「浅草の夜店と黒い靄の影」

大正12年8月30日。

夕暮れが浅草の街を優しく染めていた。

青葉家は、家族揃って夜店へ。

葵は銘仙の単衣に、薄い帯を締め、

小さな扇子を手に提げている。

菫と菊乃は落ち着いた着物姿、茂さんはいつものように羽織を着て。

みーちゃんは今日はお留守番——家で丸くなって待っている。

浅草の仲見世から六区へ続く通りは、提灯の灯りで賑わっていた。

露店がずらりと並び、甘い匂いが漂う。

りんご飴の赤い光沢、金魚すくいの水音、

綿菓子の白い雲、焼きそばの鉄板のジュウジュウ音。

蓄音機から流れる軽やかな歌謡曲が、夜空に溶けていく。

葵は目を輝かせて、

「あらあら〜、なんて素敵な夜ですの♪

りんご飴、食べましょうか? えへへ」

茂さんが笑って、

「よし、みんな一つずつ買ってこい」

と財布を出す。

葵は赤いりんご飴を手に、

ぱくりと一口。

「ふふっ、甘酸っぱくておいしいですわ〜」

菫は金魚すくいの鉢を覗き込み、

「昔はよくやったわね……」

と懐かしげに微笑む。

菊乃は静かに周りを見回し、

「賑わいの中でも、気配は消えないわ」

と小さな声で呟く。

家族は夜店をゆっくり歩く。

子供たちが花火の棒を持って駆け回り、

モガさんたちがハイカラな洋装で笑い合う。

蓄音機の前に立つ青年が、レコードをかけ替える。

ジャズの調べが、夜の空気に混じる。

葵はみーちゃんの代わりに、

小さな金魚の袋を手に持って、

「この子、みーちゃんに似てるかしら? ふふっ」

そんな穏やかな夜だった。

だが——。

路地の奥、提灯の灯りが届かない暗がりで。

黒い靄が、ゆっくりと渦を巻いた。

最初は煙のように薄く、

だが、次第に人の形を成していく。

頭のない影。

肩から腕が長く伸び、指先が溶けたように垂れ下がる。

赤黒い瞳が、二つ——いや、三つ——瞬く。

葵の指先が、突然疼いた。

紅い線が、薄く光り始める。

彼女はそっと指を握りしめ、

「……あらあら〜、風が冷たくなったのかしら?」

と笑ってごまかす。

だが、金色の瞳が一瞬だけ輝いた。

家族は気づいていた。

菫が静かに葵の袖を引く。

「葵……感じる?」

葵は小さく頷き、

「はい……でも、まだ小さいですわ。

今は、みんなで楽しんで……」

茂さんが、家族を囲むように立つ。

「変な気配がするな……

早く帰ろうか」

菊乃が首を振り、

「まだ大丈夫。

でも、目を離さないで」

黒い靄の影は、路地の奥で揺らめき、

一瞬、家族の方を向いた。

赤黒い瞳が、無表情に光る。

そして——ゆっくりと、霧のように溶けて消えた。

夜店の賑わいは、まだ続いている。

蓄音機の音が、笑い声が、提灯の揺らめきが。

葵は、りんご飴をもう一口かじって、

「ふふっ……おいしいですわね。

帰ったら、みーちゃんに話してあげましょう」

帰り道。

浅草の外れの路地で、葵は立ち止まる。

指先の紅い線が、ほんのり熱い。

遠くで、地鳴りが——微かだが、確かに響いた。

葵は、家族を振り返って微笑む。

「あらあら〜、今日は楽しい夜でしたわね♪

明日から……東の青龍の楔、がんばりましょう」

菫と菊乃が頷く。

茂さんは、娘の頭を優しく撫でる。

「そうだな……みんな、無事で帰ってこいよ」

夜空に、提灯の灯りが揺れる。

だが、その下で、黒い靄の残り香が、

かすかに漂っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ