第2話「銀座のカフェーと四神の記憶」
大正12年8月29日。
午後の陽射しが、銀座の通りを優しく照らしていた。
青葉家一行は、浅草から電車で銀座へ。
葵は銘仙の単衣に、薄い羽織を羽織り、
小さな手提げ袋を提げて歩く。
菫は落ち着いた紺の着物、菊乃は上品な縞の着物。
茂さんはいつもの作業着の上に、羽織を着て。
みーちゃんは今日はお留守番——家でおとなしく待っているはず。
銀座の通りは、賑やかだった。
モガさんたちが、ひざ下のスカート丈の洋装で闊歩し、
ショートカットの髪を風に揺らし、
真紅の口紅を引いた唇で笑い合う。
クロッシェ帽をかぶった女性が、
ルージュの香りを漂わせながら通り過ぎる。
モボの青年たちは、山高帽子にロイド眼鏡、
細身のステッキを手に、颯爽と歩く。
葵は目を輝かせて、
「あらあら〜、まあ、素敵ですわね♪
みんな、とってもおしゃれ……えへへ」
菫が小さく微笑み、
「大正の華やかさですわね。
でも、私たちは……少し違う道を歩いているけれど」
家族は、銀座の有名なカフェー・パウリスタへ入った。
店内は、ブラジルコーヒーの香りが満ち、
木製のテーブルに、白いテーブルクロス。
窓からは、銀座の通りが見渡せる。
席に着くと、茂さんがメニューを広げ、
「今日は特別だ。みんな好きなものを頼めよ」
と優しく言う。
葵は紅茶と、ケーキを。
菫はブラジルコーヒー、菊乃は紅茶。
茂さんはコーヒーと、シンプルな菓子を。
紅茶が運ばれてくると、葵はカップを両手で包み、
「ふふっ、温かくておいしいですわ〜」
菊乃が静かに切り出した。
「……四神の記憶を、話しておきましょう」
菫が頷き、声を低くする。
「東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武。
東京の四方を守る楔です。
私たちの血で、門を抑え込む……
でも、代償は大きい。
葵、あなたの紅い線は、まだ広がっていないけれど……」
葵はカップを置いて、指先を見つめる。
紅い線は、今は薄く、静か。
でも、昨日の朝のように、時折疼く。
「……お母様、お祖母様。
私、ちゃんと覚えていますわ。
みんなでいれば、どんな朝も来ますもの。
えへへ、四神の楔、ちゃんと打ちましょうね」
茂さんは黙って聞いていた。
コーヒーを一口飲んで、
「……俺は何もできないけど、
帰ってきたら、温かい羊羹を作って待ってる。
それでいいか?」
葵が父の手を握る。
「お父様……それが、一番嬉しいですわ」
店内のBGMは、蓄音機から流れる軽やかなジャズ。
窓の外では、モガさんたちが笑いながら通り過ぎる。
銀座の空は、まだ青い。
だが——。
葵の指先が、ほんのり熱くなった。
紅い線が、一瞬だけ脈打つ。
外の通りで、瓦斯灯が——まだ昼なのに——
わずかに揺れた気がした。
遠くで、微かな地鳴り。
誰も気づかない、底知れぬ響き。
葵は、そっと指を握りしめ、
「あらあら〜、紅茶が冷めちゃいますわね♪」
と笑ってごまかす。
みーちゃんのいない膝が、少し寂しい。
菫が静かに言う。
「……明日から、東の青龍の楔を。
浅草周辺に、最初の封印を打ちます」
菊乃が頷き、
「準備はできているわ。
葵、あなたの力が必要よ」
葵は、いつもの柔らかな笑顔で。
「はい……がんばりますわ。
ふふっ、みんなでなら、きっと」
コーヒーの香りが、店内に漂う。
銀座の通りは、まだ穏やか。
でも、地の底から、微かな脈動が
ゆっくりと、近づいていた。




