第10話「紅の極限」
葵は宙に浮いたまま、静かに右手を前に差し出していた。
金色の瞳は完全に輝きを増し、瞳の奥で無数の赤黒い眼球が瞬きを繰り返す。
だが、今のそれは暴走ではない。
血脈のすべてを、覚醒の刃として研ぎ澄ました状態。
薄い、冷たい微笑みが唇に浮かぶ。
「……お母さん。お祖母さん。少し、下がって」
声は低く、抑揚がない。
いつもの「あらあら〜」は、どこにもない。
大ボスの触手が、一斉に葵へ殺到する。
百本を超える黒い鞭が、空間を切り裂きながら迫る。
葵は、動かない。
ただ、指先を軽く曲げるだけ。
その瞬間——
「圧縮封魔・五芒星崩壊」
空間が、歪んだ。
葵の周囲に、五芒星の光陣が瞬時に展開。
五つの頂点から、紅い光の鎖が無数に伸び、大ボスの触手を一本一本、根元から絡め取る。
触手が、びくりと硬直する。
次の瞬間——
鎖が一気に収縮。
「ぐぅ……ぅぅ……!」
大ボスの巨大眼球から、初めての苦悶の唸りが漏れた。
触手が、根元から引きちぎられ、黒い液体が噴き出す。
肉が裂ける音、骨が砕ける音が、部屋中に響き渡る。
だが、それで終わらない。
葵の左手が、ゆっくりと胸の前で交差する。
「浄界七曜陣・極」
七つの光点が、通常の七倍の輝きを放ち、巨大な円陣を形成。
円陣は部屋全体を覆い、大ボスの本体を完全に閉じ込める。
大ボスの表面に、無数の小さな瞳が恐怖に歪む。
「逃がさない」
葵の瞳が、さらに金色を濃くする。
両手を広げ、掌を合わせる。
「沸魂業湯・紅蓮極限」
紅蓮の炎が、掌から噴き出し——
一瞬で、液体化。
沸騰した血の湯が、津波のように大ボスを飲み込む。
じゅうじゅう……じゅわぁぁぁ……
溶ける音が、連続して響く。
仮面の顔が、次々と溶け落ち、赤黒い瞳が一つずつ潰れていく。
大ボスの巨大眼球が、激しく痙攣する。
本体が、内側から爆ぜようとする。
だが、葵は無表情で、さらに手を押し込む。
「これで……終わり」
最後の術。
「光針穿刺・極」
葵の指先から、無数の光の針が、無限に生まれる。
針は一本一本が、紅い線のように細く、しかし鋭く。
針の群れが、大ボスの眼球の中心——最も深い赤黒い瞳へ、一斉に突き刺さる。
「ぅ……ぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
大ボスの咆哮が、部屋を震わせる。
だが、それはすぐに途切れた。
眼球の表面が、ひび割れ。
無数の瞳が、一斉に光を失う。
黒い靄が、悲鳴を上げながら崩壊し、裂け目へと吸い込まれていく。
最後に残った一本の触手が、葵の足元へ伸びる。
だが、葵はただ、指を軽く振るだけ。
触手は、途中で粉々に砕け散った。
すべてが、静かになった。
裂け目が、ゆっくりと閉じる。
地下の脈動が——完全に、止まった。
葵の体が、ゆっくりと畳に降り立つ。
金色の瞳が、瞬時に元の柔らかい青に戻る。
紅い線が、急速に後退し、指先だけに残る。
葵は、ふらりとよろめき——
5秒もかからず、いつもの笑顔を浮かべた。
「……あらあら〜。みんな、ごめんなさいね……ふふっ、びっくりさせたわ」
弱々しい声。
だが、確かな笑み。
菫が、駆け寄り、葵を抱きしめる。
「葵……!」
菊乃も、静かに近づき、葵の頭を撫でる。
「よく……やったのう」
茂は、涙を流しながら、三人を抱きしめた。
「もう……もう、無理するなよ……」
葵は、茂の胸に顔を埋め、弱々しく笑う。
「えへへ……大丈夫よ。お父さん。お母さん。お祖母さん……みんなが、いるから」
部屋に、朝の光が満ちる。
地下は、もう静かだった。
だが——
遠く、東京の空の下で。
まだ、微かな地鳴りが、かすかに響いていた。




