第9話「闇の胎動」
昼下がりの青葉家は、異様な静けさに包まれていた。
陽光が障子を透かし、畳に柔らかな光の帯を落としている。
葵はまだ深い眠りの中、紅い線が体を這いながらも、呼吸は穏やかだった。
茂は葵のそばで、そっと手を握り続けている。
菫と菊乃は、囲炉裏の前に座り、互いの指先の紅い線を見つめていた。
突然——
地鳴りが、爆発的に響いた。
今までとは比べものにならない、深い、低い、骨まで響く振動。
家全体が、ぐらぐらと揺れ、障子が破れ、茶碗が倒れて割れた。
茂が葵を抱きかかえる。
「何だ……!?」
地下から、黒い靄が噴き上がってきた。
畳を突き破り、部屋の中央に巨大な裂け目が開く。
裂け目から、ゆっくりと姿を現したのは——
脈動の核の本体。
これまで葵が倒したのは、ただの「眼球の集合体」だった。
今現れたのは、それより遥かに巨大で、禍々しい。
直径三メートルを超える、赤黒い巨大な眼球。
表面に、無数の小さな瞳が蠢き、重なり合い、瞬きを繰り返す。
眼球の周囲を、無数の黒い触手が取り巻き、触手の先端には、それぞれ小さな仮面のような顔が付いている。
触手は数十本、いや、百本を超え、部屋の壁、天井、床を這い回り、黒い液体を滴らせながら溶かしていく。
空気が、重く淀む。
菊乃が、立ち上がった。
「これが……本体じゃ」
菫も、即座に護符を構える。
「葵を……守るわ」
大ボス——「東京の闇」の胎児は、無言で触手を振り上げた。
一瞬で、十数本の触手が菫と菊乃へ襲いかかる。
菊乃が九字を切り、光の壁を展開。
「浄界七曜陣!」
七つの光点が円を描き、触手を押し返す。
だが、触手は光に触れた瞬間、溶けながらも再生し、数を増やしていく。
菫が沸魂業湯を放つ。
紅蓮の湯が触手を包み、じゅうじゅうと溶かす音が響く。
しかし、溶けた触手はすぐに新しい芽を出し、仮面の顔が嘲笑うように歪む。
「効かん……再生が早すぎる」
菊乃の額に、汗が浮かぶ。
大ボスの巨大眼球が、ゆっくりと瞬きをする。
その瞬間——
無数の小さな瞳が、一斉に金色に輝いた。
菫と菊乃の体が、びくりと震える。
紅い線が、激しく脈打ち、血脈が逆流するような痛みが走る。
「くっ……!」
菫が膝をつく。
菊乃も、片膝を折る。
触手が、二人の体を絡め取ろうと迫る。
茂が叫ぶ。
「菫! 母さん!」
だが、触手の一本が茂へも伸びる。
茂は葵を抱きしめ、動けない。
大ボスの眼球が、低く唸る。
まるで、笑っているように。
菫が、歯を食いしばる。
「まだ……終われない……!」
最後の力を振り絞り、紅蓮浄化を最大出力で放とうとする。
だが、手が震え、光が弱まる。
菊乃の九字も、途中で途切れる。
触手が、菫の首に巻きつき、菊乃の腕を締め上げる。
黒い液体が、二人の肌を焼く。
悲鳴が、漏れる。
「う……あぁ……!」
追いつめられた瞬間——
葵の指が、ぴくりと動いた。
金色の瞳が、ゆっくりと開く。
体が、熱くなる。
紅い線が、全身を駆け巡り、爆発的に輝き出す。
葵の体が、ゆっくりと浮き上がる。
髪が逆立ち、銘仙の裾が血に染まる。
金色の瞳の奥に、無数の赤黒い眼球が、重なり合う。
だが、今度は——違う。
それは、暴走ではない。
覚醒した、冷たい決意。
葵の唇が、薄く、冷たく微笑む。
「……お母さん。お祖母さん」
低く、抑揚のない声。
「私が……封じます」
葵が、宙に浮いたまま、右手を前に差し出す。
指先から、紅い光が奔流のように噴き出した。
部屋全体が、金色と紅の光に包まれる。
触手が、一瞬で硬直する。
葵の瞳が、完全に金色に輝く。
「紅の……限界を超えて」




