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朝の連続ホラー小説 大正あおい日和  作者: 泉水遊馬
第6章「血の絆と紅の代償」
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第1話「間に合わなかった…」

東京駅のホームは、汽笛の残響と人の波でざわめいていた。

大正の空はまだ青く、午後の陽光が瓦斯灯のガラスに反射してきらめく。

列車がようやく停車し、ドアが開くと同時に、一人の女性が飛び出すように降り立った。

菫だった。

髪は乱れ、銘仙の裾が埃で汚れている。手に握った小さな包み——護符の束と、葵への手紙——が、わずかに震えていた。

息を切らし、周囲を見回す。

「間に合わなかった……?」

呟きが、唇から零れる。

横浜での使者との死闘で負った傷が、まだ疼く。列車の遅延が、胸を抉るように悔やまれる。

ホームの喧騒の中、遠くから——誰にも聞こえないはずの——地鳴りが、低く響いた。

菫は唇を噛み、荷物を肩にかけ直す。

人力車を拾い、馭者に「浅草の青葉家まで、急いで」と告げた。

下町の通りを抜ける。

銘仙姿の女性たちが笑い合い、羊羹を売る露店の呼び声が響く。

カフェーから、蓄音機の軽やかな調べが漏れてくる。

「ふふっ、今日の水ようかんは上出来ですわね〜」

そんな声が、遠くで聞こえるはずの日常。

菫の胸は、焦燥で締め付けられる。

人力車が、ようやく青葉家の前に停まった。

玄関の引き戸が、わずかに開いている。

中から、血の匂いが漂う。

菫は車を降りるなり、駆け寄った。

そこに立っていたのは、菊乃だった。

腕に、血まみれの葵を抱えている。

葵の左肩は抉れ、包帯が赤黒く染まっている。左腕は力なく垂れ、右足は不自然に曲がっていた。

全身から血が滴り、畳にぽたぽたと落ちる。

菊乃の顔は疲弊しきっているが、目はまだ鋭く光っていた。

「……菫」

菊乃の声は、低い。

菫は、息を飲んだ。

「葵……!」

駆け寄り、膝をつく。

葵を抱き取ろうと手を伸ばすが、菊乃がわずかに身を引く。

「まだ、動かすな。脈が弱い」

菫の目から、涙が溢れた。

「間に合わなかった……私が、もっと早く……!」

嗚咽が、喉を詰まらせる。

その瞬間——

葵の瞼が、ゆっくりと開いた。

金色の瞳が、薄く光る。

「……お母さん」

弱々しい声。

そして、いつものように。

「あらあら〜……びっくりしたわ……ふふっ」

唇の端に、柔らかい笑みが浮かぶ。

重傷の体で、血を滴らせながら。

5秒もかからず、いつもの葵に戻っていた。

菫は、堪えきれず葵を抱きしめた。

「葵……葵ぅ……!」

号泣しながら、浄化の術を即座にかけ始める。

指先から淡い光が流れ、葵の傷口を包む。

菊乃は静かに二人を見下ろし、呟いた。

「よく、持ちこたえたのう……葵は」

家の中へ、三人を運び入れる。

囲炉裏の火が、ぱちぱちと音を立てる。

菫は葵を畳に横たえ、急いで応急処置を続ける。

包帯を巻き直し、薬草を塗り、九字を切る。

葵は、弱々しく目を細めて微笑む。

「えへへ……お母さんの匂い、懐かしい……」

菫の手が、止まった。

自分の指先を見下ろす。

そこに、細い紅い線が——

ゆっくりと、浮かび上がっていた。

「これは……」

菊乃が、静かに頷く。

「血脈の連鎖じゃ。葵だけでは、済まなくなった」

囲炉裏の火が、揺れる。

地下から、微かに——

脈動が、響いてくる。

まだ、終わっていない。

遠くで、地鳴りが、再び低く唸った。


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