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朝の連続ホラー小説 大正あおい日和  作者: 泉水遊馬
第5章「闇の脈動」
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第9話「帰還の決意」

横浜の港、夜の海風が冷たく頰を撫でる。

波止場の古い倉庫街、潮の匂いと鉄の錆びた臭いが混じる一角。

菫は、ひとりで桟橋の端に立っていた。

黒いコートの裾が風に揺れ、

短刀の鞘が、腰で小さく音を立てる。

手には、菊乃から届いたばかりの電報。

短い文面。

葵の血が限界に近づいている。

家に封じ込めているが、持たぬ。

来い。

菫の指が、電報を強く握りしめる。

紙が、くしゃりと音を立てる。

「……葵」

名前を呟く声は、風に消えそうに小さかった。

だが、その瞳には、揺るぎない光があった。

菫は目を閉じる。

記憶が、蘇る。

数年前、渡辺清隆の最期の夜。

横浜の古い屋敷で、清隆は血を吐きながら、菫に言った。

「紅の娘が目覚めれば、闇は目覚める。

だが、抑えきれなければ……東京は終わる。

菫、お前が……守れ」

清隆の目は、すでに光を失っていた。

菫は、その手を握り、

「約束します」とだけ答えた。

今、娘の血が、同じ疼きを始めている。

菫は目を開く。

遠く、東京の方角の空。

夜空に、薄い黒い靄が広がっているのが、見える。

いや、見える気がする。

地鳴りが、微かに響く。

波の音に紛れて、

だが、確かに、胸に届く。

菫はコートのポケットから、

最後の手紙の原稿を取り出す。

筆を走らせ、

短く、しかし力強く書く。

葵へ。

もう、待てない。

私が帰る。

お前の血を、

私が封じる。

たとえ、それが……

私の命と引き換えになっても。

母として、

退魔師として。


封を閉じ、

菫はそれを、近くの郵便箱へ投函する。

最後の手紙は、

葵の元へ届くはずだ。

菫は振り返る。

倉庫街の奥、

闇が蠢いている。

異界の使者が、また現れようとしている気配。

だが、菫はもう、構わない。

「来るなら、来なさい」

声は低く、冷たい。

金色の瞳が、瞬時に現れる。

薄い微笑み。

菫は短刀を抜く。

刃に、紅い光が宿る。

使者が三体、

黒い靄を纏って現れる。

仮面の目元から、赤黒い光。

「……母よ……

娘の血は……すでに……」

菫は一歩踏み出す。

「沸魂業湯・紅蓮浄化」

紅い炎が、菫を中心に爆発する。

使者たちの体が、内側から煮えたぎる。

肉が溶ける音、骨が砕ける音、

悲鳴が夜の港に響く。

菫は動かない。

炎がすべてを焼き尽くすまで、

ただ見据える。

三体が、黒い靄となって散る。

戦闘は、十秒ほど。

菫の瞳が、青に戻る。

息一つ乱れていない。

「……これで、最後じゃないわね」

菫は短刀を収め、

コートの襟を直す。

東京へ向かう列車は、

夜明け前に出る。

菫は桟橋を歩き出す。

背中で、

海が静かに波打つ。

胸の奥で、

脈動が、

娘と同じリズムで響いている。

もう、

引き返せない。


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