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朝の連続ホラー小説 大正あおい日和  作者: 泉水遊馬
第4章「瓦斯灯の揺らぎ」
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第10話 揺らぐ灯火


銀座の夜は、異様な静けさに包まれていた。

瓦斯灯の橙色の炎が、いつもより長く、激しく揺れている。

煉瓦の道に落ちる影が、まるで生き物のように蠢き、互いに絡み合う。

通りを歩く人影はもうなく、遠くの蓄音機の音すら途切れていた。

ただ、低い地鳴りが、地下から響いてくる。

青葉葵は、一人でその中心に立っていた。

麗子は菊乃の指示で家に残され、父・茂もみーちゃんも、すでに安全な場所へ。

葵だけが、銀座の闇に顔を向けた。

銘仙の袖が、夜風に軽く揺れる。

金色の瞳が、完全に覚醒していた。

「……来ましたわね」

声は低く、抑揚がない。

口元に、薄い冷たい微笑みが浮かぶ。

瓦斯灯の列が、一斉に揺らぐ。

炎が爆ぜるように伸び、橙色の光が黒く染まる。

影が集まり、巨大な形を成す。

人型ではない。

無数の瓦斯灯の炎を冠した、黒い霧の巨体。

頭部はなく、代わりに無数の揺らぐ灯火が蠢き、口のように開く。

「瓦斯灯の影の主」――中ボス級の使者。

東京の闇の胎動が、初めて明確な姿を取った。

影の主が、ゆっくりと腕を伸ばす。

長い黒い指が、葵を狙う。

葵は九字を切る。

「光針穿刺――」

無数の光針が、影を貫く。

ずしゅっ……ずしゅっ……という、肉が裂ける連続音。

影は悲鳴のようなうねりを上げ、一瞬後退する。

だが、すぐに再生する。

黒い霧が渦を巻き、傷口を埋めていく。

「――効きが、悪い」

葵の瞳が、わずかに細くなる。

影の主は反撃に転じた。

無数の瓦斯灯の炎が、黒く変色し、火の矢のように飛んでくる。

葵は浄界七曜陣を展開。

七つの光の星が地面に浮かび、火の矢を防ぐ。

だが、陣が揺らぐ。

炎の熱が、光を溶かすように侵食してくる。

葵は一歩後退した。

額に、汗が浮かぶ。

初めての、わずかな苦戦。

影の主が、低く唸る。

「東京……飲み込む……根の深い……ものが……」

声は、瓦斯灯の炎が爆ぜる音と混じり、耳障りな響きを帯びる。

葵は息を整え、再び九字を結ぶ。

「圧縮封魔・五芒星崩壊」

光の五芒星が影の主を包む。

内部から圧縮が始まる。

肉が潰れる音、骨が粉々になる音、絶望の悲鳴。

影の主が、身をよじりながら抵抗する。

黒い霧が爆発的に膨張し、五芒星を押し返す。

葵の体が、よろめいた。

胸の疼きが、激しくなる。

血が、掌から滴り落ちる。

代償が、すでに始まっていた。

「……まだ……終われない」

葵は低く宣告し、最後の術を放つ。

「沸魂業湯・紅蓮浄化」

赤い炎が、影の主を包む。

溶ける音、焼ける音、肉が炭化する音。

影の主は最後の悲鳴を上げ、巨大な体が崩れ始める。

無数の瓦斯灯の炎が、次々と消えていく。

黒い霧が、地面に溶け込み、最後にぱちんと弾けるように消滅した。

――戦いは、終わった。

葵の金色の瞳が、ゆっくりと青に戻る。

表情が、冷たい微笑みから、いつもの柔らかな笑顔へ。

5秒以内。

「……あらあら〜、びっくりしましたわね」

葵は膝をつき、息を吐く。

掌の傷が、ゆっくりと塞がっていく。

だが、胸の疼きは、まだ完全に消えていない。

周囲の瓦斯灯が、再び穏やかな橙色の光に戻る。

通りは静かで、遠くから汽笛の音が聞こえてくる。

葵は立ち上がり、ゆっくりと家の方へ歩き出す。

家では、菊乃が待っていた。

葵の顔を見るなり、静かに言った。

「よくやった。

だが、これで終わりではない。

次はもっと深く……東京そのものが飲み込まれる日が近い」

葵は優しく微笑んだ。

「はい……すぐそこまで、来ていますね」

遠くで、地鳴りが再び響く。

瓦斯灯の揺らぎは、終わった。

だが、東京の闇は、まだ揺らぎ続けている。


挿絵(By みてみん)


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