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連続ホラー小説 大正あおい日和  作者: 泉水遊馬
桜餅と闇の臭い
4/9

第4話 ハイカラなおしゃべり

五月の終わり。

雨が上がった翌日の午後、青葉堂の店内は柔らかな陽光に満ちていた。

窓から入る光が、棚に並んだ羊羹や最中を優しく照らし、甘い小豆の香りがふんわりと漂う。

葵はカウンターでカステラ饅頭を丁寧に包みながら、今日も穏やかな笑顔を浮かべていた。


挿絵(By みてみん)


店が開いて間もなく、いつもの女学生グループがやってきた。

先頭は小雪。短くカットした髪に、ブラウスとスカートというモガ風の装い。

後ろには、髪をリボンで結んだ優等生タイプの美代子と、眼鏡をかけた少し内気な千代の三人組だ。

「あおいさん、こんにちは〜! 今日はミルク羊羹お願い!」

小雪が元気よく声を上げる。

葵はえくぼを深くして応じる。

「いらっしゃいませ、小雪ちゃんたち。ミルク羊羹は昨日仕込んだばかりよ。

温かいお茶もつけてあげるわね」

三人は座敷の隅に座り、すぐにハイカラなおしゃべりが始まる。

葵は作業の手を止めず、耳を傾けながらお茶を運ぶ。

「ねえねえ、聞いた? この前、銀座のカフェで新しいダンスホールができたんだって!」

小雪が目を輝かせる。

美代子が頷きながら続ける。

「うん、フォックストロットが流行ってるらしいわ。蓄音機でレコードかけて、みんなで踊るのよ」

千代は少し恥ずかしそうに眼鏡を直す。

「私、まだ行ったことないけど……憧れるわ。モダンで素敵よね」

葵は微笑みながら、羊羹を小さな皿に盛り付けて差し出す。

「ふふっ、みんな若くて素敵ね。ダンスホール、楽しそう」

小雪が急に身を乗り出す。

「あおいさんも行ってみない? あおいさんみたいな美人なら、すぐにモボに囲まれちゃうわよ!」

「まあ、小雪ちゃんったら」

葵は照れたように笑うが、内心では少しだけ胸がざわつく。

自分の「普通の日常」を守るためなら、どんな場所にも行ける——でも、今はまだ、この店とこの街がすべてだ。

話題はすぐに蓄音機のレコードへ移る。

小雪が小さな布袋からレコードを取り出す。

「これ、昨日買ったの! フランスのシャンソンよ。聞いてみて!」

葵は作業台の横に置いてあった小さな蓄音機を引っ張り出す。

針を落とすと、優雅で少し哀愁を帯びたメロディーが店内に広がった。

雨上がりの陽光と相まって、なんだか切ない。

美代子が目を閉じて聴き入る。

「素敵……この歌、恋の終わりを歌ってるみたい」

千代がぽつり。

「大正って、こんな風に西洋の文化が入ってきて……なんだか未来が明るい気がするわ」

葵は微笑みながらも、音の奥に微かな歪みを捉えていた。

レコードの溝が少し傷ついているのか、それとも……。

「本当に素敵ね。みんな、こんな素敵な音楽を聴きながら、毎日を楽しく過ごせたらいいわ」

三人は頷き、ますますおしゃべりが弾む。

学校の先生の噂、友達の恋バナ、将来の夢……。

葵は相槌を打ちながら、時々羊羹を追加で出したり、お茶を注いだりする。

午後三時を過ぎると、三人は名残惜しそうに立ち上がる。

「あおいさん、今日もありがとう! また来るね〜」

「ええ、いつでもいらっしゃい。新しいレコード持ってきてね」

小雪たちが去った後、店内は再び静かになる。

葵は蓄音機の針を上げ、レコードを丁寧に拭く。

その時、ふと針の跡に小さな黒い影のようなものが残っている気がした。

「……」

葵の指が止まる。

瞳に、冷たい光が一瞬宿る。

「まだ、小さいけど……近づいてきてるわね」

声は小さく、誰にも聞こえない。

だが、その言葉には、優しいヒロインの声とは別物の、静かな殺気が混じっていた。

夕方近く、父・茂が店に戻ってくる。

「あおい、女学生たち来てたのか? 賑やかだったな」

「ええ、みんな元気で楽しかったわ。お父さんもお茶飲む?」

葵はすぐにいつもの笑顔に戻る。

茂は新聞を広げながら、娘の背中を見つめる。

「あおいは、本当に優しいな……」

葵は振り返って微笑む。

「ふふっ、お父さんこそ。いつもありがとう」

外では、雨上がりの空が少しずつ夕焼けに染まり始める。

路地の瓦斯灯が、まだ点いていない時間帯に、影がゆっくりと伸びていく。

青葉堂の小さな灯りが、今日も街の片隅で優しく揺れていた。




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