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朝の連続ホラー小説 大正あおい日和  作者: 泉水遊馬
第4章「瓦斯灯の揺らぎ」
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第9話 疼きの果て


夜の青葉家は、静寂に包まれていた。

父・茂はすでに寝室へ上がり、店先の灯りを消した。

みーちゃんは縁側で丸くなり、穏やかな寝息を立てている。

菊乃も自分の部屋で休んでいた。

残されたのは、葵の部屋だけ。

障子を閉め、灯りを落とした暗闇の中で、葵は一人座っていた。

胸の疼きが、もう抑えきれなくなっていた。

金色の瞳が、闇の中でぼんやりと光る。

それは、いつもの優しい青ではなく、冷たく、鋭い輝き。

心臓の鼓動が、耳元で響くほど速い。

血が、熱く、ざわめいている。

「……まだ、抑えられる……」

葵は小さく呟き、九字を切ろうとした。

だが、指先が震える。

光の針は生まれず、代わりに掌に赤い線が浮かぶ。

まるで、血が皮膚の下から滲み出ようとしているように。

疼きは、果てまで深まっていた。

葵は立ち上がり、窓を開けた。

外は銀座の夜。

瓦斯灯の列が、橙色の光を連ねている。

だが、その光は今夜、異様に揺らぐ。

炎が長く伸び、影が地面を這うように蠢く。

遠くから、低い地鳴りのような音が聞こえてくる。

それは、地下で何かが蠢く音だった。

葵の視界が、狭くなる。

金色の瞳が、完全に支配する。

表情が、無に近くなる。

口元に、薄い冷たい微笑みが浮かぶ。

「来るなら、来なさい」

声は、低く抑揚がない。

それは、日常の葵の声ではない。

極限冷酷魔女の、宣告する声。

部屋の隅で、みーちゃんがぴくりと耳を立てた。

尻尾がぴんと張り、瞳が警戒に輝く。

だが、葵は振り向かない。

彼女の視線は、外の闇に固定されていた。

疼きの果てで、葵は感じていた。

渡辺家の滅びは、ただの前触れ。

菊乃の伝説は、過去の残響。

モガたちの溜息は、闇の糧。

すべてが、繋がり、東京の闇の本体を呼び覚まそうとしている。

血脈の代償が、今、葵に迫っていた。

「寿命を削る呪い……

血で穢れを洗い流す……

それが、私たちの宿命」

葵の指が、ゆっくりと握りつぶされる。

掌に浮かんだ赤い線が、ぱちりと弾けるように消える。

だが、疼きは消えない。

むしろ、深く、根を張る。

突然、部屋の空気が重くなった。

窓の外から、黒い霧のようなものが、ゆっくりと忍び寄る。

それは、まだ形を持たない。

ただの予兆。

だが、葵の金色の瞳は、それを捉えていた。

「まだ、早い」

葵は低く宣告した。

九字を、ようやく結ぶ。

光の針が、弱々しく生まれる。

それを、霧に向かって放つ。

ずしゅっ……という、小さな音。

霧が、わずかに後退する。

だが、完全に消えない。

ただ、引いただけ。

葵の瞳が、ゆっくりと青に戻り始めた。

金色が、薄れていく。

表情が、冷たい微笑みから、いつもの柔らかなものへ。

5秒以内。

「……あらあら〜」

葵は息を吐き、窓を閉めた。

体が、ふらりと揺れる。

膝をつき、畳に手をつく。

額に、冷や汗が浮かぶ。

「ふふっ……危なかったですわね」

みーちゃんが駆け寄り、葵の膝に頭をすりつける。

温かさが、疼きを少しだけ和らげた。

葵はみーちゃんを抱き上げ、頰を寄せた。

「ごめんね、みーちゃん。

もう少し……我慢しますわ」

外では、瓦斯灯の光が、再び穏やかに揺れ始めた。

だが、葵は知っていた。

疼きの果ては、もうすぐ。

決壊の瞬間が、すぐそこまで来ている。

次にくるものは、もっと深く広く。

東京そのものを、飲み込むものが。




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