第7話 モガたちの溜息
銀座のカフェー「ル・プランタン」は、昼下がりの喧騒に満ちていた。
ガラス窓から差し込む陽射しが、白いテーブルクロスを明るく照らす。
ジャズのレコードが軽やかに流れ、煙草の煙が薄く漂う。
モガとモボたちがテーブルを囲み、笑い声を上げている。
青葉葵は、麗子を連れてその店に再び足を踏み入れた。
今日は父・茂の和菓子を少し持参し、カフェーのお客さんに差し入れようという気まぐれな訪問だった。
「あらあら〜、今日は賑やかですわね。
ふふっ、麗子ちゃんも、こんなところに来るの久しぶりかしら?」
麗子は少し緊張した様子で頷く。
「ええ……。人間の皆さんが、こんなに自由に笑ってるのを見ると、なんだか不思議です」
二人は窓際のテーブルに座った。
ウェイトレスがメニューを持ってくると、葵はいつものように目を輝かせる。
「水ようかんを二つと、アイスクリームソーダを。
えへへ、今日は贅沢しちゃいますわ♪」
隣のテーブルでは、モガらしい三人の女性が煙草をくゆらせながら話していた。
ショートカットに赤い口紅、膝丈のスカート。
大正の新しい風を体現したような姿だ。
「もう、男なんて信用できないわよね〜。
結局、みんな自分勝手なんだから」
一人がため息をつき、煙を吐く。
「そうよ。
仕事も遊びも、全部刹那的。
どうせ明日なんてわからないんだし……
溜息しか出ないわ」
もう一人が、ぽつりと呟いた。
「生きてる意味なんて、あるのかしら……
こんなに虚しいのに」
その言葉が、部屋の空気に溶け込んだ瞬間。
葵の胸の奥で、何かが小さくざわついた。
みーちゃんはお留守番だったが、葵の感覚は鋭く反応する。
隣のテーブルの影が、わずかに濃くなった。
煙草の煙が、奇妙に渦を巻き始める。
「……麗子ちゃん」
葵の声が、低くなる。
麗子も気づき、瞳を細めた。
「この溜息……負の想いが、形になりかけてる」
モガたちの溜息が、テーブルに溜まり、黒い霧のように立ち上る。
それはゆっくりと人の形を成し、影のモガのような姿になる。
赤い口紅の唇が歪み、虚ろな瞳で周囲を見回す。
指先が、隣の女性の肩に触れようとする。
女性が、ふと肩を震わせた。
「なんか……寒いわね」
葵は静かに立ち上がり、反物の包みを麗子に預けた。
「麗子ちゃん、ここにいてくださいね。
すぐ、片付けますわ」
次の瞬間――葵の金色の瞳が、冷たく輝いた。
口元に、薄い微笑みが浮かぶ。
「――溜息は、吐き出せばいい」
葵は九字を切る。
光の針が、無音で生まれる。
影のモガが、葵に向かって飛びかかる。
長い指が、彼女の心臓を狙う。
だが、光針が影を貫いた。
ずしゅっ……という、肉が裂ける音。
影は悲鳴のような溜息を上げ、黒い霧となって散る。
骨が砕ける乾いた音が響く。
核が溶けるように崩壊する。
もう一つの影が、モガたちを包もうとする。
葵は抑揚のない声で宣告した。
「浄界七曜陣――展開」
七つの光の星が地面に浮かぶ。
影が閉じ込められ、身動きが取れなくなる。
葵の指が、ゆっくりと握りつぶす。
圧縮封魔・五芒星崩壊。
影が内部から圧縮されていく。
肉が潰れる音、骨が粉々になる音、絶望の溜息が悲鳴に変わる。
黒い塊となって縮小し、ぱちんと弾けるように消えた。
残った影は、怯えて後退する。
葵は一歩踏み出し、最後の一撃を放つ。
「沸魂業湯・紅蓮浄化」
赤い炎が影を包む。
溶ける音、焼ける音、肉が炭化する音。
影は最後の溜息を上げ、完全に消滅した。
――戦いは、十数秒で終わった。
葵の瞳が、優しい青に戻る。
表情が、冷たい微笑みから、いつもの柔らかな笑顔へ。
5秒以内。
「あらあら〜、なんだか空気が重かったですわね。
ふふっ、麗子ちゃん、大丈夫?」
葵は席に戻り、運ばれてきた水ようかんをスプーンで掬う。
隣のモガたちは、何が起きたのかわからず、ただぼんやりと座っている。
溜息は、もう出ていない。
彼女たちの瞳に、わずかに光が戻っていた。
麗子は息を吐き、微笑んだ。
「……葵さん。
ありがとうございます。
あの溜息、消えてよかったです」
葵は優しく頷き、水ようかんを一口。
「ん〜……美味しいですわ。
えへへ、みんなで食べましょうか?
お父様の水ようかん、持ってきてよかったですの♪」
カフェーは、再び賑やかな笑い声に満ちた。
ジャズの調べが、優しく流れる。
けれど、葵の胸の奥で、予感は静かに強まっていた。




