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朝の連続ホラー小説 大正あおい日和  作者: 泉水遊馬
第4章「瓦斯灯の揺らぎ」
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第7話 モガたちの溜息

銀座のカフェー「ル・プランタン」は、昼下がりの喧騒に満ちていた。

ガラス窓から差し込む陽射しが、白いテーブルクロスを明るく照らす。

ジャズのレコードが軽やかに流れ、煙草の煙が薄く漂う。

モガとモボたちがテーブルを囲み、笑い声を上げている。

青葉葵は、麗子を連れてその店に再び足を踏み入れた。

今日は父・茂の和菓子を少し持参し、カフェーのお客さんに差し入れようという気まぐれな訪問だった。

「あらあら〜、今日は賑やかですわね。

ふふっ、麗子ちゃんも、こんなところに来るの久しぶりかしら?」

麗子は少し緊張した様子で頷く。

「ええ……。人間の皆さんが、こんなに自由に笑ってるのを見ると、なんだか不思議です」

二人は窓際のテーブルに座った。

ウェイトレスがメニューを持ってくると、葵はいつものように目を輝かせる。

「水ようかんを二つと、アイスクリームソーダを。

えへへ、今日は贅沢しちゃいますわ♪」

隣のテーブルでは、モガらしい三人の女性が煙草をくゆらせながら話していた。

ショートカットに赤い口紅、膝丈のスカート。

大正の新しい風を体現したような姿だ。

「もう、男なんて信用できないわよね〜。

結局、みんな自分勝手なんだから」

一人がため息をつき、煙を吐く。

「そうよ。

仕事も遊びも、全部刹那的。

どうせ明日なんてわからないんだし……

溜息しか出ないわ」

もう一人が、ぽつりと呟いた。

「生きてる意味なんて、あるのかしら……

こんなに虚しいのに」

その言葉が、部屋の空気に溶け込んだ瞬間。

葵の胸の奥で、何かが小さくざわついた。

みーちゃんはお留守番だったが、葵の感覚は鋭く反応する。

隣のテーブルの影が、わずかに濃くなった。

煙草の煙が、奇妙に渦を巻き始める。

「……麗子ちゃん」

葵の声が、低くなる。

麗子も気づき、瞳を細めた。

「この溜息……負の想いが、形になりかけてる」

モガたちの溜息が、テーブルに溜まり、黒い霧のように立ち上る。

それはゆっくりと人の形を成し、影のモガのような姿になる。

赤い口紅の唇が歪み、虚ろな瞳で周囲を見回す。

指先が、隣の女性の肩に触れようとする。

女性が、ふと肩を震わせた。

「なんか……寒いわね」

葵は静かに立ち上がり、反物の包みを麗子に預けた。

「麗子ちゃん、ここにいてくださいね。

すぐ、片付けますわ」

次の瞬間――葵の金色の瞳が、冷たく輝いた。

口元に、薄い微笑みが浮かぶ。

「――溜息は、吐き出せばいい」

葵は九字を切る。

光の針が、無音で生まれる。

影のモガが、葵に向かって飛びかかる。

長い指が、彼女の心臓を狙う。

だが、光針が影を貫いた。

ずしゅっ……という、肉が裂ける音。

影は悲鳴のような溜息を上げ、黒い霧となって散る。

骨が砕ける乾いた音が響く。

核が溶けるように崩壊する。

もう一つの影が、モガたちを包もうとする。

葵は抑揚のない声で宣告した。

「浄界七曜陣――展開」

七つの光の星が地面に浮かぶ。

影が閉じ込められ、身動きが取れなくなる。

葵の指が、ゆっくりと握りつぶす。

圧縮封魔・五芒星崩壊。

影が内部から圧縮されていく。

肉が潰れる音、骨が粉々になる音、絶望の溜息が悲鳴に変わる。

黒い塊となって縮小し、ぱちんと弾けるように消えた。

残った影は、怯えて後退する。

葵は一歩踏み出し、最後の一撃を放つ。

「沸魂業湯・紅蓮浄化」

赤い炎が影を包む。

溶ける音、焼ける音、肉が炭化する音。

影は最後の溜息を上げ、完全に消滅した。

――戦いは、十数秒で終わった。

葵の瞳が、優しい青に戻る。

表情が、冷たい微笑みから、いつもの柔らかな笑顔へ。

5秒以内。

「あらあら〜、なんだか空気が重かったですわね。

ふふっ、麗子ちゃん、大丈夫?」

葵は席に戻り、運ばれてきた水ようかんをスプーンで掬う。

隣のモガたちは、何が起きたのかわからず、ただぼんやりと座っている。

溜息は、もう出ていない。

彼女たちの瞳に、わずかに光が戻っていた。

麗子は息を吐き、微笑んだ。

「……葵さん。

ありがとうございます。

あの溜息、消えてよかったです」

葵は優しく頷き、水ようかんを一口。

「ん〜……美味しいですわ。

えへへ、みんなで食べましょうか?

お父様の水ようかん、持ってきてよかったですの♪」

カフェーは、再び賑やかな笑い声に満ちた。

ジャズの調べが、優しく流れる。

けれど、葵の胸の奥で、予感は静かに強まっていた。

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