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朝の連続ホラー小説 大正あおい日和  作者: 泉水遊馬
第3章 ハイカラ狐 後編
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第9話「狐の微笑」


大正十一年の夏、銀座の夜はまだ熱を帯びていた。

ネオンと瓦斯灯が混在する路地裏、華やかなショーウィンドウの光が地面に長く伸び、まるで無数の金色の尾のように揺れている。

麗子を家に預け、葵は一人で銀座へ戻っていた。

着物の上に薄い羽織をかけ、髪はお団子にしたまま。

しかし、瞳の奥にはすでに金色の炎が灯り始めている。

みーちゃんは家で麗子を見守っている。

今日は、狐の本体を完全に封じるために、葵は一人で決着をつけに来た。

路地の奥、かつて『モンマルトル』の裏口だった場所。

今は誰もいないはずの闇の中に、金色の粒子がゆっくりと渦を巻いている。

「……来ましたわね」

葵の声は低く、抑揚がない。

闇の中から、麗子の姿が現れる。

いや、麗子だったもの。

黒いドレスはすでに破れ、短い髪が風に乱れ、瞳は完全に金色に染まっている。

背後から、九本の金色の尾がゆっくりと広がり、地面を這うように蠢く。

狐の本体が、麗子の体を完全に支配していた。

「葵さん……よく来てくれたわ」

声は麗子のものだが、響きが違う。

低く、甘く、獣の喉から漏れるような。

「もう、遊びは終わりよ。

あなたがどれだけ抵抗しても……東京の輝きは、私のもの」

尾の一本が、鞭のように葵に向かって振り下ろされる。

空気を切り裂く鋭い音。

葵は動かず、ただ指を閃かせる。

「光針穿刺」

金色の針が十数本、尾の軌道を正確に貫く。

尾は悲鳴のような音を上げて後退するが、すぐに再生し、形を変えて葵の足元を狙う。

葵の瞳が完全に金色に輝く。

表情が、無に落ちる。

薄い、冷たい微笑みが唇に浮かぶ。

「……穢れ」

低く宣告。

葵の指が複雑な印を結ぶ。

「浄界七曜陣——展開」

七つの光の柱が、路地全体を貫く。

柱はゆっくり回転し、陣を形成。

空気が重く歪み、金色の粒子が光に触れて溶け始める。

狐は喉の奥から低い唸りを上げる。

「無駄よ……!」

九尾が一斉に動き出す。

一本が地面を這い、瓦斯灯の影を操って葵の影を掴もうとする。

もう一本が空中を旋回し、鋭い爪で葵の肩を狙う。

残りの尾は、金色の霧となって葵の周囲を包み込み、視界を奪おうとする。

葵は動かない。

ただ、陣の中心に立ち、指をゆっくりと動かす。

「圧縮封魔」

光の柱が収束し、金色の霧を一点に押し込む。

霧の中から、狐の悲鳴が響く。

「ぎゃあああ……!」

尾の一本が、圧縮された衝撃で千切れ、黒い血のような粒子を撒き散らす。

だが、狐は諦めない。

麗子の体が前傾し、爪を伸ばして葵に飛びかかる。

葵の指が、再び閃く。

「沸魂業湯」

紅蓮の業火が、葵の掌から噴き上がる。

炎は狐の爪を焼き、麗子の体を包み込む。

肉が焦げる音。

毛皮が溶ける音。

狐の尾が一本、また一本と炎に飲み込まれ、灰のように散る。

狐は後退し、喉を震わせて笑う。

「まだ……七本残ってるわ……!」

残った尾が、地面を叩き、路地の瓦斯灯をすべて吹き飛ばす。

闇が一気に広がり、金色の粒子だけが浮かび上がる。

狐の姿が、闇の中で巨大化する。

九尾の影が、まるで東京の夜空を覆うように広がる。

葵は静かに息を吐く。

「……これで、最後ですわ」

指が、最後の印を結ぶ。

「五芒星崩壊」

陣の中心に、五芒星の光が浮かび上がる。

星の頂点から、光の鎖が狐の体を貫く。

鎖は尾を一本ずつ絡め取り、引き裂き、圧縮する。

狐の悲鳴が、銀座全体に響く。

「いやあああああ——!」

金色の粒子が爆発的に散らばり、路地を埋め尽くす。

尾がすべて千切れ、麗子の体が崩れ落ちる。

狐の本体は、粒子となって空に吸い込まれていく。

だが、最後の一粒が、葵の足元に落ちる。

小さな、金色の種のようなもの。

葵はそれをじっと見つめ、指でつまみ上げる。

「……種は、残りましたわね」

瞳がゆっくり元に戻る。

表情が、いつものほんわかした笑顔に変わる。

「ふぅ……疲れましたわ」

葵は種を掌で包み、そっと袖にしまう。

完全に消滅させたわけではない。

だが、今夜はこれで十分。

家に帰ると、麗子が縁側で待っていた。

みーちゃんを膝に乗せ、静かに空を見上げている。

葵は麗子の隣に座り、優しく微笑む。

「麗子さん……もう、大丈夫ですわ」

麗子は葵の手を握り、小さく頷く。

「……ありがとう……葵さん」

夜風が、銀座の方角から吹いてくる。

かすかなジャズの残響は、もう聞こえない。

ただ、遠くで、東京の闇が、静かに息を潜めているような気がした。

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