登校
装甲車が通学路を塞いでいる――そんな風景も、今では“いつものこと”になっていた。
八輪装甲車の側面には、「国防軍・第六方面混成防衛群」の白いマーキング。
銃口の代わりに、青白いコイルランチャーが無言で空を睨んでいる。
「うわ、マジで“本物”じゃん! 生で見れるなんてミリオタ冥利に尽きるな~」
「……朝から、テンション高いな」
「だってよ、これ実戦配備したばっかだろ? あの“魔導偏向シールド”付き! 光学迷彩なんて比じゃないって噂だぞ」
「ずいぶん詳しいな、将来は国防軍か異世界で冒険者にでもなるか?」
「やめろよ縁起でもねぇ。俺は平和に生きてぇ派」
ユウは苦笑した。
平和、という言葉が、もはや冗談にしか聞こえない時代だ。
ここは北海道の中部都市。元は温泉とスキーで知られた静かな地方だった。
だが今は、“前線の背中”──異世界との融合地点からわずか百数十キロ圏内。
つまり、いつ魔物が現れてもおかしくない土地だった。
そのせいか、通学路には監視ドローンが低空を滑って飛んでいるし、交差点には二重の検問と、実銃を持った警備員の姿。
「なあ、こういうの慣れちゃうのって、逆に怖くね?」
「慣れるしかないだろ」
隣の友人は「真面目か」と笑ったが、それ以上は何も言わなかった。
「……笑うしかねえな」
ユウはぼそっと呟いた。
登校途中の小学生が、ランドセルの脇に民間防御用の「魔導警棒」を差しているのが見える。
それは――ユウも、そしてその妹も同じだ。
(そういえば……)
ユウは、いつもは腰の右側あたりにある重みを感じないのに気が付いた。
(抜き打ち検査でもなければいいが、護身装備忘れると本気で怒られるからな)
「おにいちゃーん!」
遠くから叫ぶ声が聞こえる。
そのすぐ後、カランと小さな音がして、歩道橋の上から少女が飛び降りるように現れた。
「お兄ちゃん! これ、忘れてたよ」
神名美月――ユウの妹で、同じ学園の制服に身を包んだ少女。
襟足で結ばれた跳ね気味のツインテールが揺れ、光に透けた茶色の髪が赤みを帯びて見える。
彼女は無邪気に笑いながら、警棒をユウに突き出した。
「もう~、また魔導警棒忘れるとかありえないんだけど! 死にたいの?」
「……ありがと」
「うふふっ。私の方がしっかりしてるでしょ?」
「言ってろ」
美月は腰のホルダーを見せつけるように、制服のスカートごと、くるりと回る。
「見て見て、昨日のお手入れ完璧でしょ? ちゃんと“光の加護層”も均一になってるんだよ」
「そこまで詳しくなるのもどうかと思うけどな、魔法なんてまだまだ未知の技術だってのに」
「だからこそだよ! “マジカルネイティブ世代”代表としての誇りを語らせてもらうわけですよ~!」
「突然堅苦しいな」
薄紫色の円筒状の器具、それが今の民間人に許可されている魔導装備の最軽量モデルだった。
力の弱い子供や女性でも、正しく使えばゴブリン程度になら対抗できるというキャッチコピーだ。
「今朝のニュース見た? “護身銃所持資格”の合格率、また下がったんだって」
「民間訓練受けてない人にまで配り始めたからだろ」
「うーん、それもあるけど……私ももうちょっと上位モデルの警棒欲しいなぁ。これじゃ“デスワーム級”には対応できないでしょ?」
「対抗できたらきっとお前の銅像が駅前に立つぞ」
「美月ちゃん英雄譚来ちゃうか~、やはり時代ですな~」
デスワーム。あの名を日常の会話に織り交ぜられるあたり、美月も変わったのだと思う。
かつては病弱で、外に出ることすら難しかった彼女が――。
「何か出てきたら、お兄ちゃん盾にするから!」
「はいはい」
「ちゃんと守ってよ? お兄ちゃん、最近ちょっと鈍いんだから」
「お前に言われたくない」
本当にたくましくなった。その成長が怖いほどに。
そんなことを考えつつ、ユウは美月らと歩きながら、街の空を見上げた。
青空は広がっている。
だがその端、北の空の一点だけが、まるで“色を塗り忘れた”ように、滲んでいた。
それを見慣れてしまった自分が、少し嫌になる。
タイミングよく、遠くで、防災無線のようなアナウンスが流れてた。
「……異常気象ではありません。安全です。情報拡散はお控えください」
それは昨日も聞いた。先週も。先月も。昨年も。
そこが“融合地点”に近い領域の日常だった。
空気は現実と異世界の混じったものに書き換わり、雲すらも異形の曲線を描いている。
滲んだ空の下、雲がごく自然に“輪を描いて”回っていた。まるで、あの空にだけ、別の重力が働いているかのように。
その異常は、もはや“非日常”ではない。
ここでは、すべてが“日常”として受け入れられつつあるのだ。
(この街は、ゆっくりと壊れてる……誰も気づかないまま、フェードアウトするみたいに。でもそれを止める奴はいない――もちろん、俺もだ)
ユウは、声に出さずに思った。




