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泥臭く

 ――その日の午前。


 鬼軍曹による「地獄の挨拶」が終わってから、ほんのわずかな休憩と朝食を挟んで。


「集合ぉぉ! スコップ持って外に出ろ、この軟弱ども!」


 武田の怒声が、また訓練所に響き渡った。


 演習場の端――いつもはあまり寄りつかない荒地に、訓練生たちは半ば引きずられるように集められる。

 そこは草もまばらで、土がむき出しになった斜面と、低い窪地が続いていた。


 整列した三十名の前に、武田がスコップを肩に担いで立つ。

 焼けただれた半面の皮膚が、朝の光を鈍く照り返した。


「――これより野戦築城訓練を行う!」


 その一言に、訓練生たちの顔には「?」が浮かぶ。


「やせん、ちくじょう……?」

 莉音が小声でつぶやく。

 隣の美月が首をかしげる。

「お城作るの? 白馬とドレスと舞踏会つきで?」

「そんな戦場ロマンスあるかよ」

 ユウが即座にツッコむ。


 武田は容赦なく怒鳴った。


「違う! 穴だ! まず穴を掘る! 話はそれからだ!」


「穴……?」

 戦闘班も医療班も研究班も、揃ってきょとんとする。


 武田は、足元の土をスコップでガンッと叩いた。


「魔王軍との戦いで、最も人間を殺したのは何だと思う!?」


「魔法……ですか?」

 直人が恐る恐る答える。


「不正解!」


「……銃火器?」

 鷹真が続く。


「不正解!!」


「え、じゃあ、魔物……?」

 美咲がおそるおそる口を開く。


「甘ぇ! 正解は“地形”だ! 高地、斜面、掩蔽、遮蔽物、そして――“穴を掘らなかったこと”だ!」


 武田の声が土を震わせる。


「弾も魔法も、空中でヒラヒラ踊るお前らの脳みそを狙っちゃくれねぇ。狙うのは“地面”だ! ならどうする!? 地面の中に隠れろ!」


 スコップを突き立て、砂を一塊、ユウたちの足元に投げる。


「今日お前らに教えるのは――“撃たれない技術”だ。銃の握り方より、まずスコップの握り方を覚えろ!」


 ざわ、と空気が揺れる。

 戦争アニメでもゲームでも見たことのない、現実の言葉だった。


「これより夕方まで、二人一組で“二人用たこつぼ”を掘る! 深さは胸の高さまで! 土嚢を積んで射線を確保! 排水溝も掘れ! 以上! ――動けぇぇ!」


 怒号とともに、一斉にスコップの音が鳴り始めた。


「……重っ……」


 ユウはスコップを握り直し、固い地面に刃を立てた。

 土の中に混じる小石がガリガリと嫌な感触を返してくる。


 隣では鷹真が黙々と土をすくい上げていた。

 筋肉の塊はここでも健在で、一度に持ち上げる量が明らかに多い。


「鷹真、ちょっと分けてくれない? その筋肉」

「じゃあユウの魔力と交換で」

「それ、今ゼロ判定なんだけど」

「在庫切れか……」


 くだらないやり取りをしながらも、スコップは止めない。

 止めると、すぐさま飛んでくるのは――


「そこで止まるな、化け物ども! 穴を掘らねえ魔法使いは的だ!」


 武田の怒声だ。


 少し離れたところでは、莉音と美月がペアで奮闘している。


「はぁっ、はぁっ……ねぇ、なんかこれ、筋トレってレベルじゃないんだけど!?」

「莉音ちゃん、スコップで地面殴ってるだけになってる……掘って、すくって……」

「意外とフォームうるさい!?」


 莉音のスコップは勢いが良すぎて、土を上に飛ばしてしまっていた。

 飛び散った土が、美月のツインテールにべったりと付く。


「ひゃぁぁ!? ツインテが埋まる!!」

「その“取っ手”は切れ!」

 即座に飛んでくる武田の怒号。

 美月は涙目で髪を押さえた。


 一方で――しずくは黙々と作業を進めていた。

 無駄がない。

 土を切り、すくい、横に卸す。その動きが機械のように一定だ。


 彼女の足元の穴は、すでに膝のあたりまで深くなっている。


 武田がふっと目を止めた。


「……雌猫。お前、前にもやったことがあるな?」


 しずくは、少しだけ視線を上げた。


「……救護隊の時に、弾薬庫の近くで」

「そうか」


 それ以上、武田は何も言わなかった。

 ただ、一瞬だけその焼けただれた左顔に、何かがよぎった気がした。


 午前の終わりには、地面には不揃いながらも、いくつもの穴が並び始めていた。


 汗と泥と、手のひらの痛み。

 ユウはスコップを握る手から、皮がずるりと剥けそうになるのを感じる。


「おい、“測定不能”」

 不意に背後から声をかけられた。武田だ。


「は、はいっ」


「魔法で楽してねえだろうな?」


 ユウは慌てて首を振る。


「いえ……つかってません!」

「測定不能だろうがなんだろうが、魔力は“切れる”。スコップは、壊れるまで働いてくれる。こいつを信用できねぇ奴は、部下にも信用されねえ」


 武田は、ユウの掘った穴を覗き込む。

 まだ浅いが、形は悪くない。


「……射線の意識はあるな」


「射線……?」


「敵が来る方向を見て掘ってるってことだ。穴は“真下に逃げる場所”じゃねえ。“撃ち返すための巣”だ」


 そう言って、武田は自分のスコップで地面に線を引いた。


「向きと深さ。土嚢の高さ。排水溝の位置。ただの穴と“陣地”の差は、こういう細けぇとこに出るんだよ」


 ユウは、思わず食い入るように見つめた。

 土の線が、射線のラインに重なっていく。


(ここで、戦うのか……)


 胸の奥に、砂利を詰め込まれたような重さが広がった。


 ※


 昼休憩は、短かった。


 食堂でカレーを胃に押し込み、水筒を満たしてすぐに再招集。

 午後は――“答え合わせ”の時間だった。


 演習場の一角に、木で作られた人形が二体、立っていた。

 片方は、何もない平地にそのまま。

 もう片方は、訓練生たちが午前中に掘った穴と、積み上げた土嚢の陰に。


 その前に、エリュナが立つ。

 杖を構え、静かに詠唱した。


「――イグニス・」


 淡い光が、いくつも弾丸のような形を取り、空中に並ぶ。

 それが一斉に、木の人形へと放たれた。


 轟音。

 光の雨が降る。


 平地の人形は、一瞬でバラバラになった。

 木片が飛び散り、黒く焦げた破片が地面に転がる。


 一方、穴の方の人形は――土嚢の陰に半身を隠していた。

 土嚢はえぐれ、砕けたが、人形本体は、かろうじて形を留めている。


 武田が、二つの残骸の間に立った。


「これが、“穴を掘った奴”と“掘らなかった奴”の差だ」


 訓練生たちは言葉を失う。


「魔王軍の火球だろうが、砲撃だろうが、雨みてえに降ってくる。その時――走り回って悲鳴上げてる奴から死ぬ。頭を抱えてしゃがみ込んだ奴から死ぬ。生き残るのは、“先に下を掘った奴”だけだ」


 武田は、人形の頭を一つ持ち上げた。

 片方は炭の塊。

 もう片方は、土まみれだが、まだ元の形を留めている。


「お前らがこれから掘るのは、墓穴じゃねぇ。 “明日の朝、ここから立ち上がるための場所”だ。――その意味が分かったら、午後の分を掘れ」


 誰も、反論できなかった。

 スコップを握る手が、さっきより少しだけ強くなる。


 午後の訓練は、さらにきつかった。


 午前中に掘った穴を、今度は繋げていく。

 二人用のたこつぼを連結し、低い塹壕にする。

 排水溝を作り、土嚢を二段、三段と積んでいく。


「水は敵だ! 雨が降ったら溺れ死ぬ塹壕なんざ、ただの棺桶だ! 溝だ! 逃げ道だ! 頭上掩蔽だ! ――考えて掘れ!」


 武田の怒鳴り声が飛ぶたびに、スコップが深く土に食い込む。


 直人は、額に汗を滲ませながらも、どこか目が輝いていた。


「水は低い方に流れる……この傾斜なら、こっち側に排水を逃がして、反対側に集結壕を――」


「ただの水理学になってんぞ、ナード! いいから実際に水流して確かめろ!」


「はいっ!」


 バケツで水を流し込み、土の上にできる小さな流れを、真剣に追いかける直人。

 その姿を、医療班の美咲が苦笑混じりに見ている。


「……研究班の本能が出てますね」

「楽しそうだよね、直人さん」

 美月が肩で息をしながら笑う。

「私はもうスコップ見たくないけど……」


 莉音はといえば――


「はぁっ、はぁっ……この前の行軍の方がまだ優しかった気がする……!」

「莉音さん、土嚢の重さは筋トレに入らないんですか?」

「これはもう修行! というか罰ゲーム!!」


 それでも、彼女の積んだ土嚢の列は妙に綺麗だった。

 筋力特化型魔法少女は、重作業だけは誰よりも早い。


 夕方近く。

 空が赤く染まり始めるころには、斜面には粗削りながらも、“陣地”らしきものができあがっていた。


 地面が低くえぐられ、たこつぼが連結され、土嚢の列が波のように連なっている。

 見慣れた訓練場の一角が、知らない戦場の一片みたいに見えた。


 武田が、じっとその光景を見回した。


「――まあ、初日にしちゃ、上等だ」


 小さく、誰にも聞こえないくらいの声で言う。

 すぐに顔つきを変え、怒鳴り声を張り上げた。


「ただし! ここはまだ“見せ物”だ!本物の戦場じゃ、掘ってる最中に巨人の投げた岩が落ちる! 魔物が突っ込んでくる! それでも掘れ! 撃ち返すために掘れ! 生きて帰るために掘れ!」


 息が白く、夕闇に溶けていく。

 ユウは、土で汚れた手を見下ろした。


(この土の中に、俺たちは隠れるのか)


 昨日見た、武田の火傷痕が頭をよぎる。

 あの焼けただれた皮膚は、きっと――穴がなかった場所で受けた炎だ。


 武田が、最後に言った。


「いいか、覚えとけ。“撃つ奴”より、まず“掘る奴”が生き残る。派手な魔法に憧れるのは勝手だが――お前らの命を守るのは、こういう地味な仕事だ」


 スコップの柄を、コンと地面に叩きつける。


「今日覚えたことを笑い話にしたけりゃ、死ぬな。五年後、十年後――飲み屋で『あの鬼軍曹に穴ばっか掘らされた』って愚痴れるくらい、生き延びろ。それが、俺の“合格ライン”だ」


 誰も、笑わなかった。

 だけど、誰も目をそらさなかった。


 手は泥だらけで、肩は鉛みたいに重い。

 それでも、ユウはスコップを最後まで手放さなかった。


(穴掘りか……魔法使いって、もっとカッコいいもんだと思ってたけど)


 そう思った瞬間、胸の奥で、昨日の“別の命”がかすかに揺れた気がした。


 土の匂いと汗と、夕暮れの冷たい風。

 彼らの初めての「野戦築城編」は、こうして、ひたすら地味に――けれど確かに、“生きるための訓練”として終わった。

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