彼知り己知れば
午後の講堂。
射撃訓練のときとは違い、今日は机が整然と並べられていた。
前方のスクリーンには、ぼんやりと黒いシルエットだけが映っている。
教壇に、迷彩服の男が立つ。
訓練生たちはもう知っている――武田教官だ。
「――静かにしろ。今日の科目は『敵性魔物分類基礎』だ」
チョークが黒板を叩く音が、乾いた銃声みたいに響いた。
武田は、板書を一気に並べていく。
【小型種】
【中型種】
【大型種】
【超大型種】
【魔将】
「まず、小型種」
武田は【小型種】の下に書き足した。
――ゴブリン/魔狼/インプ etc.
「ゴブリン、魔狼。ちっこいからと舐めるな。だが、こいつらは“十分、歩兵で対処できる”脅威だ」
スクリーンには、ヘルメットカメラの映像が映る。
夜の廃村を駆ける暗緑色の影。
短い叫び声と、5.56ミリ弾の連射音。
「分隊規模の火力と連携があれば、制圧できる。ライフル、魔導支援、手榴弾。手順通りやれば、教本通りに死ぬのはあっちだ」
「なんか、ゲームの雑魚敵みたいですね~」
莉音が小声で言う。
武田の視線が、すぐさま飛ぶ。
「そうやって“雑魚”と口にした一瞬で、喉笛を持っていかれるのが小型種だ。距離と数を見誤った分隊が、何度も袋叩きになっている」
空気が一段、冷たくなった。
「次。中型種」
【中型種】の欄に、武田は書き込む。
――オーク/魔猪/装甲熊種 etc.
「中型種は、二人組で対処するのが基本だ」
「二人組、ですか?」
直人が手を挙げる。
「ああ。一人が“動きを止める”役。もう一人が“確実に殺す”役だ。オークの突撃を止めるには、膝関節を潰すか、頭を撃ち抜くしかない。魔猪なら、突進のラインをずらしてやる。正面から受け止めようとするな。骨が粉々になる」
スクリーンには、雪原で魔猪を“引き付けてから横に飛ぶ”兵士と、その後ろから対戦車ライフルを撃ち込む兵士の映像が映った。
「二人で、一体を確実に落とす。これが中型種の基本戦術だ。単独行動は禁止。英雄気取りは、死因として最もポピュラーだ」
美月が小さく肩をすくめる。
「……小型までなら、まだギリ、現実味あるけどさ」
「問題はここからだ」
武田は【大型種】の欄を叩いた。
――トロール/魔像/飛行型魔獣(大型) etc.
「大型種。トロール、魔像。“基本的に、歩兵だけでは無理だ”。中隊規模で当たる」
「中隊……」
鷹真が、思わず呟く。
「対戦車火器、重機関銃、狙撃、魔導砲、支援魔術。全部まとめて叩き込んで、ようやく倒せる。分隊で正面から殴り合おうとした時点で、その分隊は存在しなかったことになる」
スクリーンには、谷間に突っ立つ巨体に、トレーサーと魔術光が雨のように降り注ぐ映像が再生される。
トロールの腕が吹き飛び、なお揺らがないシルエットに、教室が息を呑んだ。
「超大型種」
【超大型種】の欄に、ゆっくりと文字が並ぶ。
――デスワーム/大型ゴーレム/古龍級魔獣 etc.
「デスワーム。大型ゴーレム。古龍級の魔獣。“連隊クラス”だ。……地図が書き換わる相手だと思え」
「れ、連隊……!」
美咲の顔から血の気が引く。
「お前らが分隊や小隊でこいつらに遭遇した場合、“倒すこと”は任務じゃない。“発見報告して生き延びること”が任務だ」
武田ははっきりと言った。
「位置、進行方向、規模。その情報が、後方の砲兵と魔導師団と航空戦力を動かす。お前らが一分長く生き残るだけで、その後ろで救われる命が増える」
教室に沈黙が落ちる。
誰も、軽口を挟もうとはしなかった。
最後に、武田は【魔将】と書かれた欄に、丸をつけた。
「そして――魔将」
スクリーンが切り替わり、ローブをまとった人型のシルエットが映る。
顔は隠されているが、その周囲の魔力反応を示すゲージだけが真紅に振り切れていた。
「魔将が確認された瞬間、“軍団”級に連絡が飛ぶ。同時に、中央司令部にも打電が行く。前線が動く。戦線が書き換わる。――そういう敵だ」
「……倒せたり、するんですか?」
美咲が、不安そうに問う。
「倒してきたやつらがいるから、今ここに国がある」
武田はそう言って、訓練生たちを見回した。
「だが勘違いするな。今すぐに、“お前が一人で魔将を討て”なんて、誰も期待してねぇ。お前らの仕事は、まず生き延びて、“魔将がここにいる”と報告することだ。その上で、割り振られた任務を果たす」
ユウは、拳を机の下で握った。
魔将――その言葉だけが、胸の奥で重く響く。
「……さて」
武田は黒板の五つの分類を、チョークで一気になぞった。
「小型種、中型種、大型種、超大型種、魔将。お前らは、この“すべて”に対処できる兵士になることを期待されている」
ごくり、と誰かが唾を飲む音が聞こえた。
「だが、勘違いするな。今すぐ“倒せるようになれ”じゃない。今できるようになることは対処だ。“見て”“判断して”“報告して”“必要な火力を呼ぶ”。それを、生きたままやって帰ってくる兵士だ」
武田の視線が、ユウの列を通り過ぎる。
ユウは、その一瞬だけ呼吸を忘れた。
「行軍で鍛えた足は、小型種から逃げるためにも要る。射撃は、中型種の膝を撃ち抜くために要る。魔術の講義は、大型種を止める“手”を作るために要る」
武田は、黒板の下部に大きく書いた。
『分類は、戦術だ』
「分類を覚えろ。何と戦っているか分からない兵士は、ただの餌だ」
チャイムが鳴り始めても、誰も立ち上がろうとしなかった。
ただ、黒板の五つの文字と、自分の手のひらを見比べていた。
――いつか、この手で、あれと向き合う日が来るのかもしれない。
そんな予感だけが、静かに胸に積もっていった。




