入場
訓練所の門は、まるで古代の要塞を思わせる重厚な石造りだった。
山間に抱かれたその場所は、朝霧に沈み、遠くの峰々が牙のように空を噛んでいる。
門扉の上には、金属光沢のあるプレートが取り付けられていた。
〈魔術士官学園・グレイライン課程〉。
その名を見た瞬間、ユウの胸に冷たいものが走った。
肩に食い込む荷物が、現実の重さを教える。
「……宿泊学習の合宿所みたいだな」
軽口を言ったつもりだった。
隣で美月がツインテールをきっちり結び直し、半ば呆れたように息をつく。
「も~、こんなときにボケるのはお兄ちゃんの悪い癖だよ! 私、我慢してたのに!」
その声の裏に、わずかな震えがあった。
彼女も緊張しているのだ。
ユウは苦笑してうなずいた。
笑っていないと、足が止まりそうだった。
ここは、地球と異世界の技術を融合した防衛施設。
魔王軍に対抗する“ハイブリッド兵士”を育てるための訓練所。
志願とは名ばかりで、ほとんど徴用に近い。
半年の訓練を終えれば正式な兵士――つまり、保証された寝床と食事、それから戦場への切符。
それでも、仕事があるだけマシだ……
そう思いかけて、胸の奥にざわめきが走る。
「取り込まれていく」感覚だけが、妙に生々しく残っていた。
広場に整列した訓練生たちの前に、壇上の教官が姿を現す。
軍服の襟元はピンと張り、灰色の髪は一本も乱れていない。
五十代半ばの鋭い眼光。頬には古い傷跡が斜めに走っていた。
「――君たちは、未来の盾だ」
一瞬の、間。
息が凍る。
「ここで学び、生き残った者だけが兵士と呼ばれる」
短い言葉。
だが、鉄塊のように胸の底へ沈んだ。
“生き残った者だけ”――その一言が、世界の温度を少し下げた。
隣で、美月が靴の先を見つめながらぼそりと呟く。
「盾って、丸いのかな。角ばってるのかな。かわいいのがいいな」
場違いすぎて、吹き出しそうになる。
けれど、笑うことで緊張を誤魔化せた。
同じように視線を泳がせる訓練生が何人もいた。
“まだ現実だと思えていない”――そんな空気。
壁一面に掲げられた銅板には、暫定育成兵たちの名前が刻まれている。
その下には小さく、〈運用試験期 暫定育成兵名簿〉と刻まれていた。
その上に、「新入生歓迎!」と紙のガーランド。
祝福と弔いが同じ壁に並んでいる光景が、妙にまぶしかった。
「せっかくだし、自己紹介しようか」
背の高い男子、藤堂鷹真が声を上げた。
がっしりした体格に短く刈られた髪。だが声は穏やかだ。
「関西から来ました、藤堂鷹真です。みんなで力を合わせて卒業しよう」
「合理的ですね。早めに名前を覚えた方が、連携効率は高いですから。僕は三輪直人です」
三輪直人が淡々と続ける。眼鏡の奥の瞳は冷静だ。
「えっと……わ、私は白石美咲。地方の大学から来ました。医療班志望です」
少し噛みながらも柔らかい声が、空気を和らげた。
「はーい、莉音でーす! 魔法少女になれるって聞いてきました!」
明るい色の茶髪が揺れる。
唐突な元気に、全員が少しだけ救われた。
「神名ユウ、戦闘班志望です。こっちは妹の美月、医療班です」
「世界のヒロイン、美月ちゃんです、よろしくお願いしま~す!」
小さな笑いが起きた。
教官の眉がわずかに動いたが、何も言わない。
笑い声は、この場所にまだ“人間の音”が残っている証のようだった。
夕食はカレー。
漂うスパイスの匂いが、緊張を一瞬だけ溶かした。
「やっぱ飯はカレーだよな。合宿の定番じゃん」
「も~、野菜も食べなよ、お兄ちゃん」
美月が勝手にユウの皿へ野菜をよそう。
(自分のをこっちによこすな)
ユウは心の中で無言ツッコミを入れた。
莉音はスマホを構え、美咲は「美味しそう!」と声を上げ、鷹真は「残さないようにね」と優しく促し、直人は「栄養バランスは悪くないですね」と分析する。
まるでただの学生食堂――
だが壁の一角には、黒く焼け焦げた跡が残っていた。
通りかかった教官が低く言う。
「――ここは学校じゃない。戦場の前線だということを忘れるな」
カレーの匂いが、冷たい空気に変わる。
先月、魔物の侵入で死者五名。
誰もが箸を止め、誰もが沈黙した。
ユウはスプーンを握ったまま、その重さを噛みしめた。
夜。
寮のベッドに潜り込み、ユウは鷹真と直人と話をしていた。
「半年頑張れば、俺たちも兵士ですか。強くなれるかな」
鷹真の声は静かで、どこか遠かった。
「あなたはもう十分強そうですがね。僕も……自分の役割を果たしたいです」
直人の言葉もまた、固い決意の膜に包まれていた。
「……半年もあれば、十分だよな」
ユウの呟きに、二人が小さくうなずく。
それは希望というより、祈りの姿に近かった。
――その直後。
基地外の闇から、警報が一瞬だけ鳴り響く。
電子音が夜を裂き、続いて乾いた破裂音が数発。
そして、静寂。
遠くで誰かが笑う声。
戦争が、この日常の“呼吸のリズム”の一部になっている。
廊下を巡回する教官の声が落ちてくる。
「ここの日常だ。心配するな」
そう言われても、心臓の鼓動はしばらく止まらなかった。
ユウは天井を見つめたまま、まぶたを閉じる。
魔王軍の影はすぐそこにある。
この場所で過ごす日々が、何を奪い、何を与えるのか――誰にもわからない。
――それでも。
彼はまだ、わずかな希望を信じていた。
暗闇の中で、美月の笑い声が遠くに残っていた。
その声は、戦場に落ちる星のように、微かに光っていた。




