表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/56

入場

 訓練所の門は、まるで古代の要塞を思わせる重厚な石造りだった。

 山間に抱かれたその場所は、朝霧に沈み、遠くの峰々が牙のように空を噛んでいる。

 門扉の上には、金属光沢のあるプレートが取り付けられていた。

 〈魔術士官学園・グレイライン課程〉。

 その名を見た瞬間、ユウの胸に冷たいものが走った。


 肩に食い込む荷物が、現実の重さを教える。

「……宿泊学習の合宿所みたいだな」

 軽口を言ったつもりだった。

 隣で美月がツインテールをきっちり結び直し、半ば呆れたように息をつく。

「も~、こんなときにボケるのはお兄ちゃんの悪い癖だよ! 私、我慢してたのに!」

 その声の裏に、わずかな震えがあった。

 彼女も緊張しているのだ。

 ユウは苦笑してうなずいた。

 笑っていないと、足が止まりそうだった。


 ここは、地球と異世界の技術を融合した防衛施設。

 魔王軍に対抗する“ハイブリッド兵士”を育てるための訓練所。

 志願とは名ばかりで、ほとんど徴用に近い。

 半年の訓練を終えれば正式な兵士――つまり、保証された寝床と食事、それから戦場への切符。

 それでも、仕事があるだけマシだ……

 そう思いかけて、胸の奥にざわめきが走る。

「取り込まれていく」感覚だけが、妙に生々しく残っていた。


 広場に整列した訓練生たちの前に、壇上の教官が姿を現す。

 軍服の襟元はピンと張り、灰色の髪は一本も乱れていない。

 五十代半ばの鋭い眼光。頬には古い傷跡が斜めに走っていた。


「――君たちは、未来の盾だ」


 一瞬の、間。

 息が凍る。


「ここで学び、生き残った者だけが兵士と呼ばれる」


 短い言葉。

 だが、鉄塊のように胸の底へ沈んだ。

 “生き残った者だけ”――その一言が、世界の温度を少し下げた。


 隣で、美月が靴の先を見つめながらぼそりと呟く。

「盾って、丸いのかな。角ばってるのかな。かわいいのがいいな」

 場違いすぎて、吹き出しそうになる。

 けれど、笑うことで緊張を誤魔化せた。

 同じように視線を泳がせる訓練生が何人もいた。

 “まだ現実だと思えていない”――そんな空気。


 壁一面に掲げられた銅板には、暫定育成兵たちの名前が刻まれている。

 その下には小さく、〈運用試験期 暫定育成兵名簿〉と刻まれていた。

 その上に、「新入生歓迎!」と紙のガーランド。

 祝福と弔いが同じ壁に並んでいる光景が、妙にまぶしかった。


「せっかくだし、自己紹介しようか」

 背の高い男子、藤堂鷹真が声を上げた。

 がっしりした体格に短く刈られた髪。だが声は穏やかだ。


「関西から来ました、藤堂鷹真です。みんなで力を合わせて卒業しよう」


「合理的ですね。早めに名前を覚えた方が、連携効率は高いですから。僕は三輪直人です」

 三輪直人が淡々と続ける。眼鏡の奥の瞳は冷静だ。


「えっと……わ、私は白石美咲。地方の大学から来ました。医療班志望です」

 少し噛みながらも柔らかい声が、空気を和らげた。


「はーい、莉音でーす! 魔法少女になれるって聞いてきました!」

 明るい色の茶髪が揺れる。

 唐突な元気に、全員が少しだけ救われた。


「神名ユウ、戦闘班志望です。こっちは妹の美月、医療班です」

「世界のヒロイン、美月ちゃんです、よろしくお願いしま~す!」

 小さな笑いが起きた。

 教官の眉がわずかに動いたが、何も言わない。

 笑い声は、この場所にまだ“人間の音”が残っている証のようだった。


 夕食はカレー。

 漂うスパイスの匂いが、緊張を一瞬だけ溶かした。


「やっぱ飯はカレーだよな。合宿の定番じゃん」

「も~、野菜も食べなよ、お兄ちゃん」


 美月が勝手にユウの皿へ野菜をよそう。

 (自分のをこっちによこすな)

 ユウは心の中で無言ツッコミを入れた。


 莉音はスマホを構え、美咲は「美味しそう!」と声を上げ、鷹真は「残さないようにね」と優しく促し、直人は「栄養バランスは悪くないですね」と分析する。

 まるでただの学生食堂――

 だが壁の一角には、黒く焼け焦げた跡が残っていた。


 通りかかった教官が低く言う。


「――ここは学校じゃない。戦場の前線だということを忘れるな」


 カレーの匂いが、冷たい空気に変わる。

 先月、魔物の侵入で死者五名。

 誰もが箸を止め、誰もが沈黙した。

 ユウはスプーンを握ったまま、その重さを噛みしめた。


 夜。

 寮のベッドに潜り込み、ユウは鷹真と直人と話をしていた。


「半年頑張れば、俺たちも兵士ですか。強くなれるかな」

 鷹真の声は静かで、どこか遠かった。


「あなたはもう十分強そうですがね。僕も……自分の役割を果たしたいです」

 直人の言葉もまた、固い決意の膜に包まれていた。


「……半年もあれば、十分だよな」

 ユウの呟きに、二人が小さくうなずく。

 それは希望というより、祈りの姿に近かった。


 ――その直後。

 基地外の闇から、警報が一瞬だけ鳴り響く。

 電子音が夜を裂き、続いて乾いた破裂音が数発。

 そして、静寂。

 遠くで誰かが笑う声。

 戦争が、この日常の“呼吸のリズム”の一部になっている。


 廊下を巡回する教官の声が落ちてくる。

「ここの日常だ。心配するな」

 そう言われても、心臓の鼓動はしばらく止まらなかった。


 ユウは天井を見つめたまま、まぶたを閉じる。

 魔王軍の影はすぐそこにある。

 この場所で過ごす日々が、何を奪い、何を与えるのか――誰にもわからない。


 ――それでも。

 彼はまだ、わずかな希望を信じていた。

 暗闇の中で、美月の笑い声が遠くに残っていた。

 その声は、戦場に落ちる星のように、微かに光っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ