線路は続くよ
朝の運行は、いつも通り静かだった。
灰色の空。曇天の下を、鉄の列車が音もなく走っていく。
JDF-RT01型装甲列車。総重量二千トン近い“鉄の街”だが、その巨体は嘘みたいに滑らかに中立地帯を進んでいった。
この線は“日本鉄道”でも“王国線”でもない――どちらの国も所有権を主張できない。
ティレナと日本都市を結ぶ唯一の中立輸送路。
一本で三百トンの補給物資を運び、前線一個中隊を丸ごと動かす、命綱の鉄路だ。
運転席でハンドルを握る若い機関士・渡瀬は、軽くあくびを噛み殺した。
昨日も今日も、線路の向こうに待つのは同じ景色。
遠くに森、近くに雪解け水の川。ときどき、瓦礫の村跡が通り過ぎる。
後方の戦闘車庫には、機動戦闘車が静かに眠っている。
あれ一輌を降ろすだけで、魔物相手の局地戦をひっくり返せる――
……と訓練所では教えられたが、実際に出番が来ないに越したことはない。
護衛の歩兵たちも、朝のコーヒーを片手に気怠く笑っていた。
「どうせまた、ゴブリンが二、三匹出て逃げるパターンだろ」
「線路補修は工兵が三分で直すしな。楽な商売だぜ」
油と鉄の匂いの中、誰もがその“いつも通り”を疑っていなかった。
この“平穏”こそが、外交筋が何十億も払って買い取った幻想だった。
――昼を少し過ぎた頃、列車が急に減速した。
金属がきしむ音。やがて完全に停止する。
「……線路破損か?」
通信士が顔を上げる。モニターには、前方二百メートル地点での軌条断裂警告。
工兵班が即座に降車し、補修装備を展開した。
鉄路を“七分で繋ぎ直す”のが、この部隊の日常仕事だ。
「ワームか、あるいは寒波で地盤がやられたな」
渡瀬は計器を見つめながら、またあくびをした。
こんなことは珍しくない。この北方では、線路が“呼吸するように壊れる”のだ。
工兵が線路の下でスパナを鳴らしている。
その周囲を、歩兵小隊が散開して警戒していた。
風の音が強くなる。林の影が、少し揺れた。
「……足音?」
一人が小声で言った。
ガサリ。雪を踏む、重い音。
彼らは一瞬だけ身構える。
どうせ、ゴブリンが数匹だろう――そう思って。
――次の瞬間。
木々を割って出てきたのは、ゴブリンが跨ったトロールだった。
しかも複数。
五メートル級の巨体が、線路を挟むように突進してくる。
「おいおい、マジかよッ!」
渡瀬が警報スイッチを叩く。
列車側面が展開し、120mm砲塔が回転した。
二門合わせて百発の砲弾を積んだ、鉄路最大火力だ。
「主砲、前方! 撃て!」
滑腔砲が火を噴く。爆風が雪煙を巻き上げた。
前方のトロールが片脚を吹き飛ばされ、倒れる。
だが、他の二体がすぐに突っ込んでくる。
歩兵たちが無反動砲を構え、照準を合わせた。
「距離三十! 撃てぇっ!」
閃光。爆音。肉片と黒い血が雪を染める。
それでも止まらない。
砲撃の合間を縫って、ゴブリンの矢が雨のように飛ぶ。
歩兵の一人が肩を射抜かれ、雪上に倒れた。
「工兵班、あとどれくらいだ!」
「あと二分! 二分だけ持たせろ!」
渡瀬は歯を食いしばり、列車の出力を再調整した。
砲塔が熱を帯び、装填音が響く。
「発射!」
再び轟音。最後のトロールが倒れる。
残ったゴブリンたちは一斉に散開し、林の奥へ逃げていった。
工兵が線路上に合図旗を掲げる。
「修復完了! 発車可能!」
列車がゆっくりと動き出す。
鉄の車輪が再び命を取り戻す音がした。
静寂。
渡瀬は、濡れた額を拭いながら呟いた。
「……チョロい、なんて言って悪かったな」
雪原の向こう、林の奥では、さっきのゴブリンたちが何かを運んでいる影が見えた。
壊した線路の残骸。
きっと、次の罠の材料にするのだろう。
渡瀬は深く息を吐いた。
――ゴブリンも、それなりに賢い。
だが彼は知らない。
この鉄路を維持するのに、アーヴェリスの王都では都市派貴族や商業ギルドが「生き残るために必要な道だ」と血を吐くように訴え、東京では議員が“赤字覚悟の友好支援”を誇っていたことを。
一本で三百トンを運び、戦線を繋ぎ止める巨大な列車の裏側にあるのは、勇気でも技術でもない。
国境をまたぐ計算書と、誰かの見えない死だった。




