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インテグレートワールド  作者: アールグレイ
幕間 融合世界の日常
20/49

未確認勇者、通過

 その頃、関門海峡防衛線。


 九州陥落以降、関門防衛線では、機動防御と陣地防御を併用した“混成戦術”が常態化していた。


 午前四時十二分。

 関門海峡沿岸、防衛区画C3。

 薄明かりの中で、第二分隊は冷えた缶コーヒーを分け合っていた。


「通信、異常なし。魔力探知もゼロ」

「昨日もそう言ってから、夜明けにドカンだったんだよな」


 隊長の樫村曹長が笑う。

 分隊は八名。臨時配備の魔導観測車と、陣地に据えられた重機関銃がひとつ。

 陣地転換が頻繁なため、設営は簡易塹壕ざんごうのみ。固定トーチカは存在しない。

 誰もが、もうすぐ夜明けが来ることを知っていた。


 海から吹く風が生ぬるい。

 その向こうで、潮の流れがざわめいた。

 いつもの波音に、金属を擦るような異音が混ざっている。


 ――なにか、くる。


 魔導観測車のセンサーが甲高い警告音を鳴らした。


「――反応ッ、海中、複数!」

「きたぞっ! 総員戦闘配置!」


 樫村が叫ぶより早く、後方の大隊本部から照明弾が連続して撃ち上がる。

 白光が海面を白昼のように照らし出し、黒い波がうごめいた。


 それは波ではなかった。

 甲殻と牙が密集した、おぞましい群れ――魔物群だ。


「射撃開始ッ!」


 ダダダダダッ!

 重機関銃が咆哮した。

 12.7mmの大口径弾が海面を叩き割り、甲殻を貫いて火花を散らす。

 後方からは120mm迫撃砲の支援射が降り注ぎ、白い水柱が次々と立ち昇った。


「うひゃあ! 当たってやがる!」

 若い兵士が歓声を上げる。

「効いてる、効いてるぞ!」


 照明弾に照らされた群れは確かに混乱していた。

 砲弾の直撃で黒い体液を撒き散らし、機関銃弾に撃ち抜かれ、波間に沈む。

 波打ち際に届く前に、その八割が鉄の嵐に呑み込まれた。


「ははっ! 後方の砲兵、今日ノリノリじゃねえすか!」

 弾帯を交換しながら、兵士が笑う。

「このまま行けば、スコア稼いで臨時休暇っすね、曹長!」


「馬鹿野郎、油断するな!」

 樫村が怒鳴る。

「波が止まってねえ! センサー、次の波は!」

「だめです、数が多すぎて個体識別が……! まだ来ます!」


 フラグを立てた兵士の顔が引きつった。

 砲撃でできた水柱の向こうから、第二波、第三波が姿を現す。

 数が――多すぎた。


「弾幕張れ! 接近させるな!」


 仲間が叫び、誰かが祈る。

 それでも撃つ。

 それしかできない。


 迫撃砲の着弾が、急にまばらになった。

「本部! 砲撃支援、手が緩んでるぞ!」

 樫村が無線機に怒鳴るが、返ってくるのはノイズだけ。


 上空で、空気が歪んだ。――魔力乱流だ。

 電波も魔力も、空に吸い込まれていく。


「――こちら第二分隊、応答せよ! 本部、聞こえるか!」

「くそっ、通じねえ!」

「弾薬残り三割です! 撃ちすぎた!」


 答えはない。

 機関銃の銃身が赤く焼け、射撃速度が落ちる。

 ついに数体が波打ち際を突破し、簡易塹壕めがけて駆け上がって――


 ――その瞬間、魔物の群れが、一斉に動きを止めた。


「な……なんだ?」


 兵士たちの背筋を、砲弾の爆風とは比較にならない、異質な「圧力」が撫でた。

 音が、削がれた。風も止まる。

 まるで、世界が次に何をするか息を潜めているようだった。


 上空で歪んだ空気。あれは魔力乱流などではない。

 何かが、この空間の「法則」そのものを捻じ曲げながら浮上しようとしている。

 無線が死んだのも、砲撃が止んだのも、その「圧力」のせいだ。


「曹長……海が……」


 海面が、まるで巨大な何かに内側から押し上げられるように、不自然に盛り上がっていく。

 波が割れたのではない。海が、そこにある「何か」を避けている。


 息が詰まるような静けさが、塹壕を満たした。

 誰もが、息を吸うことを忘れた。

 視界の端が白く滲む。


 ――そして、兵士たちは見た。


 さきほど彼らが機関銃で撃ち殺し、波間に沈めたはずの魔物の「残骸」が、

 ゆっくりと、意志を持ったかのように、その盛り上がりの中心へと引き寄せられていく。


 黒い水面下から、おびただしい数の「腕」が突き出した。

 それは、撃ち抜かれた魔物たちの腕だ。


 海が、呻いた。


 甲殻が軋み、骨が組み合わさり、まだ動いている肉がゆっくりと融合していく。

 まるで“死”が、ひとつの生き物に戻ろうとしているかのようだった。


 それは「出現」ではなかった。

 それは「構築」だった。


 今、この場で、兵士たちの目の前で――

 彼らが撒き散らした死を材料にして、おぞましい何かが組み上げられていく。


 腐臭が、広がる霧のように染み出した。

 視界が滲む。目の奥が焼ける。

 その中心で、錆びた鉄の巨体が「生まれた」。


 「……あ、ああ……」


 「楽勝」と言った兵士が、その場で胃の中身を吐き出した。

 手が勝手に震え、引き金から指が離れない。


 その巨体を覆う「装甲」を見てしまったのだ。

 それは、錆びた鉄板ではなかった。

 無数の、引き延ばされ、苦悶に歪み、互いに溶け合いながら「装甲」という役割を強制されている――

 おびただしい数の人間の顔だった。


 樫村の喉から、吐息混じりに言葉が零れた。

 「……――魔将」


 兵士たちは息を呑んだ。

 銃を握る手が、誰のものでもないように感じた。


 魔将が「腕」を上げたのではない。

 その巨体の一部が変異し、触手のように、あるいは骨肉の津波のように伸び、機関銃陣地を叩き潰した。


 砂嚢が破裂し、鋼鉄が粘土のように引き裂かれる。


 耳鳴りの中で、誰かが泣いた。

 塹壕の底に落ちた涙が、泥に吸い込まれる。


 もう、終わりだ。


 ――その瞬間、空が裂けた。

 白い閃光。

 爆音よりも速く、海風が逆巻く。

 塹壕の前に、いつの間にかひとりの影が立っていた。


 長い外套がいとうには、異世界式の紋章。

 彼は魔将の威圧にも顔色一つ変えず、迷いもなく、背中にかけていた大剣を抜いた。


 次の瞬間――魔将の巨腕が、胴体が、閃光とともに切り裂かれる。


「なんだ……あれ……」


 誰かが呟いた。


 肩に剣をかけたまま、彼――S級冒険者はただ前へ進む。

 爆風。閃光。

 彼が通過するたびに、魔物が斬り伏せられていく。


 そして、静寂。


 気がつけば、海は赤く染まっていた。

 魔将の影は崩れ、潮に溶ける。


 彼は何も言わず、血振りもせずに剣を鞘に納めた。

 ただ一度だけ、こちらを見た。

 その目には、遠い世界の色があった。


 通信が回復した。

 ノイズの向こうから、必死の呼びかけが聞こえる。


「こちら小隊本部! 第二分隊、状況報告を! 巨大反応、消失! 生存者は――!」


 樫村は息を整え、泥まみれの無線機を掴んだ。


「……こちら第二分隊。戦線、維持。……勇者が通過した」


 無線の向こうで、一瞬だけ沈黙があった。


 夜が明ける。

 煙の向こう、燃える海峡の先に朝日が昇る。

 誰もが立ち上がれず、ただそれを見ていた。


 その日、関門防衛線は守られた。

 だが、第二分隊の報告書にはこう記された。


 『未確認勇者、通過』

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