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洟たれこぞう

作者: 小野島ごろう

 むかしむかし、ある海辺に、貧しい男が住んでおりました。

 男は、ある時亀を助けました。

 すると亀がお礼にと竜宮城につれていってくれました。


 竜宮城で飲めや歌えの愉快な時を過ごしたのち、もう帰る日になりました。

 乙姫様が、男の子を一人連れてきて、言いました。

「この子はあなたの願いをかなえてくれるでしょう。どうか連れて帰ってください」

 男の子は、身なりはよいのですが、青洟(あおばな)を垂らして、にたにたと笑う、かわいげのない子どもでした。

 男はありがた迷惑と思いつつ、乙姫様の言う事なので、しかたなく連れて帰りました。


 さて、亀に乗ってもとの浜に着くと、男は傾きかけたみすぼらしい自分の小屋を眺めて、

「こんな小屋じゃあ、二人で住めんなあ」とつぶやきました。

 男の子が、それを聞くや否や、青洟をずるん、とすすり上げました。


 すると、ぼろい小屋があったところに、すごいお屋敷が建っていました。中から、こざっぱりした男や女が何人も出てきて、「ご主人様、お帰りなさいませ」と男の前に並んでひざまずきました。

 男は、たまげたのなんの。


 乙姫様の言う事は本当だったのです。

 それから、男は着るものも食べるものも、何不自由なく、毎日宴会騒ぎで楽しく暮らしました。


 ところが、裕福になると、(はな)たれこぞうのことが目に付いて気になってしかたがありません。

「にやにや笑うな」と言っても、「青洟を拭け」と言っても、洟たれこぞうはにやっとするだけで何も変えようとしません。


 ある時、男は本当にどうしても、洟たれこぞうに我慢ができなくなりました。

 つい、

「出ていけ、二度と帰ってくるな」

 洟たれこぞうに向かって、怒鳴ってしまいました。


 洟たれこぞうは、にやにや笑いをひっこめ、哀しそうな顔になって、男に背を向けると、屋敷から出て行きました。


 最後にひとつ、大きく洟をすすり上げました。


 そのとたん、屋敷も召使いたちもご馳走も、なにもかもが消えて、男はもとのおんぼろ小屋の前にぽつんと立っておりました。





 わたしが昔読んだ、『洟たれこぞう』の話は、だいたいこのようなものだったと思う。あちこちびみょうに違うかもしれないが、口伝の昔話の変遷はそうやって起こるのであろう。と思うことにする。


 長々と昔話をつづったのは、これがわたしにとっては、かめばかむほど味わいのある話になったからだ。

 なんだか汚いけれど、そういう表現しか思いつかない。


 まず、乙姫様がくれたのが、洟たれこぞうであったことが、なんともおかしい。

 『浦島太郎』では玉手箱をくれるが、乙姫様は人間に優しいのではなくて、なんだか人間がどうするか、実験しているようだ。

 すぐに役に立つ宝物をくれるのはわかりやすい。しかし、使いようによって毒にも薬にもなる、あるいはどちらになったかもわからないようなものをくれる。これは、神さまの感覚なのだろうか。


 洟たれこぞうは、いつも青洟を垂らしている。今の人は、青洟と言ってもわからないかもしれない。わたしが幼いころは、まだそういう子もいて、袖で洟を拭くものだから、袖がいつもてかてか光っていた。生活水準が低かった時代の事で、ひょっとしたらあれは、免疫を作るうえで重要な過程だったのかもしれない。


 話がそれた。

 青洟をずるん、とすすり上げるのは、欧米人でなくとも、気持ちのいいものではない。汚いし、そのずるずる具合を想像するとなんともいえぬ胸やけみたいな気がしてくる。


 裕福になった男にとって、青洟を垂らして締まらない顔でにやついている子どもは、いかにも目障りで、そばに置きたくない存在になったのだろうと思える。

 それは、貧しかったころの自分の横にいるなら、似合いだったろう子どもで、だからこそ、それを思い出させる洟たれこぞうは余計に気に障ったのだろう。


 ずるん、と洟をすすり上げることで欲望が満たされるという設定は、非常に含蓄に富んでいる。

 他人の力を当てにして得た富というものは、どこかしら不満や後ろめたさを秘めているのではないか。

 嫌だ嫌いだという自分の本心も耐えねば、その生活は維持できない。

 我慢して栄華を選ぶか、やせ我慢をして清貧を選ぶか。



 おとなは我慢せねばならないことがやたらに多くて、しかしなにもかも捨てて自由を選び取るには愛するしがらみが多すぎて。

 そのしがらみを振り捨てていけるほどに、自信も熱量もなくて。

 わたしは、洟たれこぞうを思い出しながら、自分を慰めた。




 乙姫様は、笑っただろうか。




 

 

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