誰か見つけてくれ
下から聞こえるドアの開けられる音、廊下を歩く足音、ベランダで聞こえる父の仕事の電話。全てが自分へ向けられた行動だと思う。階段に上がる音。僕に対しての負の言葉を心の中で綴りながら僕の部屋へ向かってくるように感じる。
全て僕の妄想だ、、、といえばそれは儚い作品として残るだろう。どうしても僕はそう思えなかった。自分が何か物事を図るとき使われる物差しになるのは自分の人生だろうが。自分の人生の苦しい記憶が多ければ多いほど物事全てを悪いことだと捉える事が出来てしまう
最終的には全て自分が悪いと捉えてしまうようになった。自分が悪いと思えば自分が変わればいいんだろう?じゃあ今理不尽に怒られてるのは最初からその結果もケアして行動しておけばこうならなかった。他人と話したいのに自分から離れるのは昔のトラウマができた時に特別になろうとするのがいけなかった。ゲームのイラつきも自分が今まで努力し続けていれば自分が好きになってこんなゲームのも楽しめなくならなかった。全部自分のせいd 父親が来た。父が頼んでいたプリントアウトがうまくいかないと言っている。そっけなく返したのはそのことに対して父に不満を持って意いるわけじゃなくてそのあと自分が動かなくちゃいけないことに対して、いや違う。これ客観的に見ればプリントアウトできないデータを送ってきた方のミスだがそれも自分のミスだと考える僕がいる。
あれからずっと逃げてきた。逃げてなんかいないさ。結果上手く喋れなかっただけなのに何故自分に当たる。最初だけだ。徐々に自分が閉じこもっていることがバレて、かといってもう素の出し方なんて忘れたからどんどん関われなくなる。人間関係をリセットしようなんて考えられるわけがないだろ。そんなこと0から人間家系を構築できる自信があるやつだから考えられる。ないからリセットしたいのにこんな自分に関わってくれる人たちが愛おしくて仕方がないんだろう?ただ自分がもう傷つかないように守っているだけなんだけどな。勘違いされるなんておこがましいか。
誰かが救われる漫画ばかり見ている。それに自分を重ねて、そして自分が救われることを想像して泣く。俺はヒーローじゃないことなんてわかるはずなのに、自己犠牲が止まらない。自己犠牲がもはやかっこよくて生きる理由だと思う時もある。自分が死んでしまえば養ってくれた親や友達が悲しむ姿が見えるというのは烏滸がましいだろうか。僕のせいで人が少しでも負の感情が溜まってしまわないようという理由をつけて死ぬのを拒む。死にたいなんて友達に言えば僕のマイナスな感情をわけてしまうだろうから。死んでしまえば支えていた貴方の痛みも全て返してしまうから。そんな死なない理由をこの文章を書きながら考える。
こんな苦しみを誰にも味わってほしくないんだ。この苦しみは全部俺のもんだ誰にも渡させるもんか。最初は助けたいと思って背負った人の苦しみが次第に自分の特別なものに変わっていった気がする。何も発展なんてしない。これはただの毒吐くだ誰かの悪口を書いても誰かを勝手に批評してもちっぽけな存在が他人を脅かしてしまうことなんてないだろう?好きに書かせてくれもいいじゃないか、そのくらい許せよ。自分