最初で最後の百合の花
…………私は、黄泉 寂滅のことが好きだった。
でも、それは禁忌に触れることだった。何故なら、寂滅は私の妹だったから。彼女に恋をすること、それは二重の禁忌を犯すということだ。でも、私は彼女を好きで居ることをやめられなかった。それほど、彼女を愛していたから。彼女との距離を縮めるために、何度も何度もアプローチをした。でも、彼女は気づいてくれなかった。まるで、そんな感情を抱いていないかのように、まぁそれが当たり前なんだろうが……
…寂滅は本当に可愛くて、他人想いの良い子だった。バンドの中じゃ一番人気があった、握手会を開いてみた時はファンの量のあまりに近寄れなかったよ。姉妹という関係柄、私は彼女の一番近くの距離で常に接していた。何度も一緒に遊びに出かけた、そして……今日、私は告白する。
「寂滅。私は、貴方のことが好きだ」
そう、裏表のないただの台詞。
「ああ……あはは。うん、嬉しいよ」
返事は……くれなかった。でも、きっと……きっといつか返してくれる、そう思っていた。だけど………
次の日から、寂滅は学校に来なくなった。家に戻って部屋を確認しようとしても鍵が掛かって開かない。どうして、その言葉しか浮かばなかった。私に会いたくないからなのか、だから姿を消したのかと、そう考えてしまう。当たり前じゃないか、私が告白してから居なくなったんだよ?どう考えても私が原因じゃないか。
「………そんなに、私のことが…嫌なの…私と…話したくないの……」
この想いが届かなかった、恋が叶わなかった。それだけならば、まだ良かった。拒絶までされたのだ、あらゆる負の感情が私に襲いかかる。こんなにも苦しく、辛いというのに…
「お姉ちゃんは、貴方が愛おしい」
会話すらも出来なくなったのに、まだ彼女のことを諦めきれていなかった。
だから私は今日…禁忌を犯す。
…私は倉庫から一つの懐中時計を取り出した。ただの古臭い時計ではない……どうやら、昔に黄泉帰れる、つまり時を戻せるという代物。方法は簡単、ただ想いを込めれば良いだけ。でも、時を戻すなんて冒涜どう考えても許されない。それでも、私は想い人を振り向かせる為にその禁忌を犯す。
『…学校に入学する少し前までに戻してください』
叶うことなどありえない、その願い。
「………ははは、当たり前……だよね。馬鹿みたいだな……」
泣きたい。失恋故か、後悔故か、はたまたこんな物に縋った自分の愚かさ故か。
「……何も起きないし、ここから出るか」
……ん?おかしいな、学校から帰ってきたばかりだぞ?なのに、どうして空が明るい…?
「叡智姉!そんなとこに居てどうしたの?」
「幻…?」
もう一人の妹、黄泉 幻が呼んでいる。
「ほら、早く準備して!今日は入学式だよ!」
入学……式?そんなものはとっくのとうに終わって………いや、待てよ…
「幻、今は何月だっけ?」
「え?何言ってるんだよ―――」
―――四月だよ。
嘘……でしょ?ただの出来心だったのに、出来るわけがないと思っていたのに、本当に過去を遡ったと?
…幻の様子からに、本当のようだ。つまり、この懐中時計は本物というわけか…
準備を光速で済まして、妹二人と一緒に家を出る。少しだけ迷ったけれど、なんとか学校についた。
…………私は、彼女とやり直すためにここまで来た。
黄泉 寂滅。他人想いの優しい子。
「……貴方が振り向いてくれるまで、私は何度でもやり直す」
そう小さく宣言した。
面倒な入学式も終わって、ホームルームの時間がやってくる。先生が教壇に立ってうんぬんかんぬんどーたらこーたら言ってるけど私の耳には入りません残念でした。
それよりも、大事なのはどうやったら寂滅が振り向いてくれるかだ。私はひたすらに考えた。二人とは別々のクラスになってしまったから、どうしよう。ていうか別々のクラスにするんじゃねぇよ控えめに言ってふぁっくー。
…私は彼女のことはなんでも知っている、だが彼女は私のことをどれだけ知っているのだろうか。…結局は姉妹止まり、姉妹の先へと辿り着けなかった。
「………おい、大丈夫か」
考え事をしていると、隣の席の人に心配された。人っていうか、龍だけど。
「大丈夫大丈夫」
いや、どこが大丈夫なんだよ。
「それで、どうしたの?急に話しかけてきてさ」
ていうか、誰か寂滅がどんな風に私の事を思っているか教えてほしいな。ほら、こんな感じに。
『うん?寂滅はよく貴方のことを話してくるから好感度はこんな感じじゃないのかな』
「話しかけても何も答えない、まるで俺に興味がないみたいだね」
「だって興味がないからね」
「それは傷つくぜ?」
「それは悪かった」
「なんだか変な奴だな」
「変な奴ですから」
時を戻す前、私はこの龍とは友達だった。名前は……エルドラドだったっけ。私がこんな会話をしているのは、彼がこんなことでは怒らないとわかっているからだ。しかし、彼からしたら私は初対面な人なわけだが、よくもこんなにフレンドリーに話しかけられるものだ。だから友達でいられたのだが。
「何やら俺ら馬が合うみたいだな」
「こっちもそう思ってた」
「友達になるか」
「そうしようか」
友達が出来ました。いや、友達を作ることなんてクソゲー並みに簡単なものだよ。
「素っ気無いな」
「そういうものだよ」
「その言葉嫌いだ、なんていうか怖いんだ」
「よく言われる」
「ならどうして直さないんだか…」
「口癖なんだよ。よくあるでしょ、知らず知らずのうちに出しちゃうこと」
「個人的には直した方が良いと思うがな」
「善処はしてみる」
「よろしい」
こんな感じでエルドラドと会話した、良い気分転換にはなった。ホームルームが終わったら下校なんだけど、このあとどうしようかな。
「そういえばよ、隣のクラスに居るのお前の妹だろ?」
「よくわかったね」
「苗字が同じだから普通そう思うだろ」
「たしかに」
「お前だけはぶられてるのなんか草生える」
「自分でもそう思う」
姉妹一緒だと何気に不味いのかな。まぁ、シスコンの私が彼女達といたら何かしでかしそうな気がする、うん。
「………どうした」
「何が?」
「何か、泣きたそうな顔をしてるぜ」
「そうなの」
……また、振られるんじゃないかという恐怖。そして、もしかしたら他の人に取られるんじゃないかという恐怖。二つの恐怖が私の中に宿っている。
「流石はお前の妹だよな、どっちもすげぇ可愛い。誰かが告るかもしれないな。あ、お前はかっこいい側だから安心しろ」
エルドラドが私の心を見透かしたような言葉を発する。
「まぁ、姉であるお前は一番占領できるからな。それだけ関係が深いってわけだ。関係なんてものは簡単に崩れちまうからな、でもそんなことに一々ビビってたりしたら関係は発展しないわけだ」
「よくもまぁそこまで初対面の私に話せるね」
「は?もう俺たちは『友達』なんだ、『赤の他人』じゃねぇんだよ」
次の日、私は学校の廊下で考え事をしていた。
「……駄目だ、焦るな。焦ったら何かやらかすからな」
「……おはよう、早いんだな」
「これが普通だと思うけど、ていうか貴方はどうなのさ」
「優等生だからな」
「本当にそうなら自分から言わないものなんだよね」
「マジレスかよ面白くねぇなぁ」
「正しいことを言って何が悪い」
「ネタが通じないと害悪でしかないんだよ」
「ネタがわかりにくすぎる」
「そういえば、自己紹介はまだだったかな」
「してないね」
会話しただけだったもの。あれだけ会話してたのに自己紹介してないとかワロタ。
「俺の名前はエルドラド」
「かっこいいね」
「お前は?」
「黄泉 叡智」
「なんとなくお前の方がかっこよくね?」
「なんでよ、黄泉も叡智もそれなりにあるでしょ」
「そうかぁ…?」
「今馬鹿にしたな!?」
「馬鹿なの?」
「馬鹿じゃないよ、多分」
「そこは否定しろよな。それで、妹達とはうまくやってるか」
「いやまぁ、普通かな」
「妹達といるお前、すごく幸せそうだな」
「そりゃ、あの子達といるのが私の幸せだからね」
「変態だな」
「それの何が悪い!」
「隠さないところが高評価だな」
「恥じるべきことではないからね、誰かと一緒に居るっていうのはとても幸せなことだ。それを茶化すのは愚者のすること、まぁ私は茶化されても何も思わないがね」
「へぇ、俺にはそんな奴居ないなぁ」
「好きな人とかいないの」
「誰かを好きになったことがないからな」
……昔から、私は寂滅のことが好きだった。だから、やらなきゃいけないんだ、こうして過去まで戻ってきたんだから……
「それで、部活どこに入ろうか?」
「こういうのって入らないと駄目なの?」
私は二人と図書室で部活決めをしていた。
「まぁ、興味が湧かなかったら私は姉さん達と一緒の部活でいいよ」
正直、私も幻と同じ意見だ。ぶっちゃけ興味ある部活がない。だって今は寂滅のことで頭がいっぱいだもの。
「なんならもう帰宅部で良くない?」
「それは何かもったいなくない?」
「なら、どうするのさ」
「うーん……」
しばらく悩んだ寂滅が、ひらめいた顔をする。
「何か思いついた?」
「興味がないなら、私たちだけの部活を作っちゃえば良いんだよ!」
「部活を…新しく作るの?」
「うん!」
「それはいいな、下手な部活決めて後悔するより断然マシだ。でも、何にする?」
「軽音楽!」
「…軽音部を作る…ってこと?」
「ほら私達家にそれぞれの楽器持ってるし丁度良くない?ここにも書いてないし」
「そうだな、そうしよう」
この姉妹三人だけの部活か、最高じゃないか。
私は思わずそう考えた。
…………先程の過程は、過去に戻る前も行った気がする。つまり…
「未来は……変えられるってことだよね」
違う行動の組み合わせで、未来はかなり変わる。
「つまり、付き合える可能性もあるよね?」
よし、俄然やる気が出てきた。
姉という関係柄、寂滅の秘密はいくつか知っている。その中の一つをついてみるとしよう。
「この時間だと……あの場所に居るかな?」
ワンワン
ニャーニャー
プープー
…いろんな動物の鳴き声が聞こえる。
「あ、見つけた」
私はくすりと笑いながら、その人の隣まで行ってこう言った。
「このワンちゃん可愛いよね」
「ぶふぉっ!!?」
「やぁ寂滅」
唐突すぎて思考が追いついていない様子。なにしろ、ここ…ペットショップでこっそり犬猫を眺めているのは彼女の秘密なのだ。
「な、え、どうして!?幻と一緒に帰ったんじゃないの!?」
「気分かな。お、あのミケちゃんも可愛い」
「むぐぅ…」
何やら秘密基地を暴かれたみたいにむすくれてる、可愛い。
「別に言わないよ、わざわざ言うことでもないし。あ、このワンちゃん真っ白だ、寂滅の髪みたいに綺麗」
「んぐ」
お、ちょっと照れた。
「寂滅は犬派と猫派どっちなの?」
「どっちかって言われれば、ワンちゃんかなぁ」
「へぇ、私は猫なんだけど」
「そうなの、姉さんらしいね」
「そっちも人懐こいところが貴方らしいよ」
そもそも、戻る前に何度か三人で動物を眺めてたものだけど。幻はコモドドラゴンが好きだったっけ。
「寂滅はワンちゃん飼いたい?」
「私は………狼が飼いたいな」
「狼!?」
「うん、狼ってかっこいいじゃん」
「あーうー……それは流石に難しいかな」
「そっかー、残念」
野獣は流石に厳しいと思う。
「そういえば、最近貴方クラスのみんなに人気みたいだね」
「うん、休み時間が来るたびにみんな私のところにやってくるんだ。おかげで幻がやきもち妬いちゃったよ」
「あはは、貴方は可愛いものね」
「えぁ…そんなに?」
「うん」
褒め殺したいほどに愛おしい。マジで。
「それにしても、私たち入学したてだから大変だね」
「そうだね」
「勉強とか追いつけるか不安だよ」
これは本当に無理、戻る前もちんぷんかんぷんなままだったし。
「そんなに心配なら教えてあげようか?」
「…え?」
寂滅と一緒に勉強だと?興奮で月までぶっ飛びそう。
「どうする?」
「お願いしますッ!!!」
「んじゃ、帰ってやろうか。あ、幻も呼ぼうか」
「幻は頭良いからやらないんじゃないかな」
幻は本当に頭が良い、先生の話と黒板の文字見てるだけで理解できるらしい、そのおかげでノートが真っ白だ。
「教材は…まぁ全く同じだしわざわざ持ってこなくていいか。苦手科目は?」
「現代文かな」
筆者の考えとかマジでわからない、私筆者じゃないもん。
「それじゃ、いこっか」
「うん」
「寂滅の教え方凄く上手くて草が生えそう」
「…いや、ただ姉さんの物覚えが早いだけだと思うんだけど。そこまでスラスラと覚えられるだなんて天才の所業じゃないかな」
「本当に貴方の教え方が上手なんだって」
「そういうものかなぁ…」
「そういうものだよ」
とても良い復習にはなった、未だにわからないとこあるけど。
「それで、お姉ちゃんここわからないんだ」
「ああ、この傍線部か。傍線部はすぐそばに答えがある場合が多いから、ここはね……」
…そうして、私は寂滅と一緒に勉強した。ふわふわとした感触に興奮するのを必死に抑えながら。
とても進展したとは思う。
そしてそれから、三ヶ月くらい経った。
「おはよう、姉さん達!」
「ああ、おはよう」
「おはよう…ふぁ〜」
こうして、私は寂滅の一番近くというポジションを得る。みんなが羨むだろうそんな場所に。いや、そもそも姉なんだから当たり前か。でも、これだけじゃだめだ。もっと先に行かなくちゃ。どうすればいい、もっとアプローチをすればいいのか?
そういえば、夏に差し掛かるこの季節…過去の私達は……
「ねぇ、姉さん達」
「どうかした?」
「今度、遊びに行かない?」
「…え?」
またなのか、また……彼女は誘うのか。
「そうだねぇ、来週末…空いてる?」
来週末、前と同じだ。全く前と違うルートを通ってきたはずなのに、違うルートでこの場所を得られたというのに……
「場所は……遊園地にしようか」
「へぇ、楽しそうだね」
「ちょっとした思い出作りでもどうかなって、姉さんは?」
「ああ、行こう。一緒に……姉妹で遊園地に…
……この後の展開がわかってしまう。遊園地に行って、告白したら、振られた。いや、返事もくれずに失踪された。
どうする、告白するかそれともまだ待つべきなのか。でも、寂滅が失踪したら本末転倒じゃないか。
一体、何が一番の選択なんだ…
「姉さん、幻」
「っ…」
思わず身体を過剰に反応させる。
「……最高の想い出、作ろうね」
当日。
「やっひゃー、ついたついた!それじゃあどこから回ろうか?」
「私は姉さん達が回りたいところでいいよ」
「観覧車って楽しそうだと思う?」
「ああ、あの高所恐怖症の天敵か」
「そこまで言っちゃう?」
「だって高所恐怖症なんだもん」
「それじゃあ……どうしようか」
「ジェットコースター行こうか」
「…え」
困惑する寂滅。
「じぇ、ジェットコースターは……いいんじゃないかなぁ?」
「何を言っている!遊園地に来たらジェットコースターは当たり前じゃないか!」
寂滅は実は絶叫系が苦手なのである。
「きひひ、まさか寂滅姉ジェットコースター苦手だとか言わないよね?」
「こ、怖くないよそんなもの!」
「じゃけん行きましょうね〜」
「ふぁ!?」
「あ、後でお化け屋敷にも行こうか」
「は!?」
幻は怖いのが苦手なのである。
数十分後、寂滅の叫び声が木霊した。
「楽しかったね」
「まぁ散々な目に遭ったけど、楽しかった」
「………………」
幻が何か考え事をする素振りをする。
「どうしたの」
「…あっ、思い出した!今日見たいテレビがあるんだった!私先に帰ってるね!」
そうして走っていく幻、途中で一瞬私の方を見て小さくグッドサインを送った。
……なんだ、バレてたのか。
「んじゃ、私達はゆっくり帰ろうか」
……いいのだろうか、私が告白しなかったら寂滅は居なくならないはずだ。だというのに、なんだこの不安は。寂滅が……消えてしまいそうな気がする。怖い、もう会えなくなるのかってくらいに遠のいてしまいそうで。
だから……
「……え?」
私は寂滅の手を握って言う。
「……好きだ」
「え……」
「寂滅、私は、貴方のことが好きだ」
すると、寂滅はあの時のように………優しい顔で、寂しそうな顔で
「ああ……あはは。うん、嬉しいよ」
前回と全く同じ台詞を………そして、遠ざかっていく………
「どうして………どうして答えを言ってくれないの…?」
「また今度言うから、早ければ明日にでもね」
言わない。わかってる、そうしてはぐらかして貴方は消えてしまうんだ。だから、私は思わず
「本当に言ってくれるの!?答えをはぐらかすつもりじゃないよね!!?」
「そんな疑心暗鬼にならなくてもいいじゃん、考える時間くらい頂戴よ。姉さんのケチんぼ」
「嫌なら嫌だと言ってくれればそれで良い!また普通の姉妹として接するから……」
「だから言ったじゃん、考える時間を頂戴って」
逃したくない、逃したら…貴方は消えてしまうから。
時を戻してまでしてここまで来たんだろう?言え、心の底に積もった想いを。
想いを、紡げ。
「私は貴方が居なきゃ駄目なんだよ!!貴方がいなくなるのは嫌なんだよ!!貴方のことがずっと好きで……本当に貴方が居ないと何もできなくて……それで!」
「……ありがとう、姉さん」
………寂滅が、泣いていた。
「嬉しいよ、普通に嬉しいよ」
「……じゃあ」
希望の光が見えた気がした。
「…………ごめんね」
でも、寂滅は罠を抜け出す狼のように、その身を翻した。
………消えたのだ。
「どうして………うぅ…ぁぁ」
これまでの努力が、崩れて、沈んで、無へと溶けていく…
私は、失恋をした。全く、同じ相手に二度も……
……そして、思った。私の行動に、意味なんてあったのかと。
………寂滅はまた学校を休むようになった。部屋は鍵がかかって開かない、幻に聞いてもわからない。また、現れなくなった。私の前から姿を消した。
「もう一度……過去に……」
そうして再びあの懐中時計を手に取る、想いを込める………が、過去には戻れなかった。
「ははは………」
もう、あきらめてしまったのだろう。あんな振られ方をしたら、もう戻っても意味ないって思ってしまう……
それからというものの、時はダラダラと過ぎていった。今まで以上に怠惰に過ごした。もう、あの時から何年経っただろう。一年、二年と過ぎていった気がする。怠惰な生活には変わりないけれど…
あまりの心の冷たさに、周りに心配された。心は、完全に乾いていた。
ある日、幻との散歩帰りに
「……あ、叡智姉あれ見て」
満開の桜の木の下、一匹の狼が死んでいた。
「桜の下でその命を終わらすだなんて、なかなか洒落てるね」
「そうだね」
「……行こうか」
「うん」
家に着いた、幻はとてとてと自室に向かった。私も自室に向かおうとしたが…
「………え…あれ?」
…寂滅の部屋が、開いていたのだ。閉じ切っていたはずの扉、ドアノブがすーっと傾いていく。
「………」
私はゆっくりその部屋に入った。あの時から足を踏み入れていないというのに、部屋の中は綺麗なままだった。寂滅の机の上に、ぽつんと一つボイスレコーダーが置かれている。
私は、その声を聞いてみることにした。
『あー、あー、えっと、こんにちわで良いのかな?あはは、ごめんね。これを聞いてるってことは見てしまったんだよね。幻に頼んでおいたんだ、狼の死体を見つけたら私の部屋を開けておいてって』
「………え?」
どういうことだ?たしかに、狼の死体は見たが……
『そんな確率、ほとんどないのにね。幸運なのか、不運なのかはわからないけれど…それでさ、姉さんも知ってるよね、私が桜が大好きだってこと。死ぬ時は桜の下で死にたいなって話したっけ』
ああ、たしかに話してたような…………って、まさか
『えへへ、信じられないかもしれないけどさ、私ね結構前から病気なんだ。「月狼病」って言って身体が狼になっちゃう病気なんだって。それだけならまだ良いんだけどさ、遊園地行ったじゃん?その前日に言われたんだ、もう一ヶ月しか生きられないって。だからさ、びっくりしちゃった。まさか初めて告白してきた人が身内だったなんて。もちろん嬉しかったよ、姉さんのことは大好きだし……でも、無理だったんだ。私はもう生きられないから……だから、本心を伝えられなかった、答えを返せなかった。私も辛かったから、こうして録音してるわけなんだ。これが私の本心、あの時伝えられなくてごめんね。あ、後悔したくないならここで止めてね!』
私は一旦一時停止をする、心の準備をする。
「……はぁ、よし」
『………もう良いかな?聞いてくれているかわからないけど、言うね』
―――愛しています、大好きです。もし、許されることだったならば、付き合いたかった。いつも優しくしてくれる姉さんが私はとても大好きだった、ずっと一緒に居たかった。さようなら、私の大好きな人。もしも、生まれ変わったら…貴方の好きな猫になって会いに行きたいな。
涙が溢れた、机にポタポタと落ちていく。
「あぁ………私も…大好きだ……」
「よぅ、シスコン。姉妹仲良く登校か」
「うるせー」
私は登校時間、この龍と合流して登校する。
「ん、どうしたんだ」
「なにが?」
「表情が柔らかくなったな、何かあったのか」
「うーん、どうなんだろう?」
「何年もの付き合いの俺に言えぬと言うのか」
となりで幻がくすくすと笑っている。
「もう十年経ったら教えるよ」
「ならば待とう」
「姉さん、良い笑顔になったね」
「そう?」
「うん、とっても良い笑顔」
「ありがとう」
……あれが幸運か不運かと言われれば、幸運だろう。じゃなければ、私はこうして笑顔で居られるわけがないのだ。過去にはもう戻らない、全てを想い出として残すのだ。
「さて、行こうか」
「ごーごー!」
だから、今日も笑顔で歩く。この道を……