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昏い道連れ  作者: 風羽洸海
雷火之章
5/26

四 昏い影 (後)

 息が詰まる。恐怖は一瞬で黒く塗り潰された。


 ――憎い。憎い憎い憎い苦しい恨めしいおのれおのれよくも……


 支配された自覚はない。直前までのすべてを忘れ、彼は突如として、憎悪以外の感情を失った。憤怒でもない。ただ憎い。


 ――殺さねばならぬ、あれらは死なねばならぬ。死ね。死ね……


 具体的に誰がと思い浮かべられないまま、ただ冷たく暗い憎しみだけが渦を巻く。そこへ落ちていきかけた寸前、闇の縁に微かな異物の欠片が瞬いた。

 昔の記憶だ。渦に吸い込まれながらも、チカッ、と一瞬きらめく。弟と竹馬遊びをしたこと。母の形見の打ち掛け。父の死にざま。それらに持ち上げられて、ほんのつかのま、雷火の意識が浮上する。


(あぁやれやれ、親子揃って化け物にやられて頓死かよ。みっともねえなぁ)


 刹那、見えない手がそれを掬い上げた。

「やめろ!」

 少年の絶叫が響く。玻璃はりが砕け散ったように、雷火のまわりに数多あまたの星が弾けた。


「うわっ!? 何だ、こりゃいったい」

 思わず声が出た。我に返って瞬きすると、そこは元の往来だった。底無しの深い闇もなく、星の光もなく、ありがたいことに新しい傷も増えていない。立ったまま気絶していたようで、転ばなかったのは幸いだ。

「……何だぁ?」

 あまりにあっけなくて、雷火はぽかんと放心した。


 空もすっかり元通り、いや少し暗くはなっていたが、美しい薄桃色と深い藍色が睦まじく溶け合っている。明るい星がひとつ、ふたつ。どこかで虫の声がする。倒れたままの村人がいなければ、まるで何も起こらなかったかのようだ。いとも平和な夏の夕暮れ。


「おじさん、大丈夫?」

 真理が駆けつけ、二匹の犬もいささか面目なさそうに寄って来る。

「どうやら無事だよ。おまえ、あの影に何かしたのか? いきなり消えちまったぞ」

「俺は何もしてないよ。祓詞はちっとも効かなかったし、まさか、やめろって言ったから消えた、なんてわけもないだろうし。おじさん、お守りか何か持ってるんじゃないの?」

「あいにく、そんなものが買えるほど懐に余裕はねえよ。心当たりとしたら月華……この刀ぐらいだが、今までこんな事はなかったしなぁ」


 雷火はしげしげと刀を眺めた。たったひとつ譲り受けた、父の形見。一応は由緒ある刀らしいが、持ち主を救った逸話が残されているでもないし、神殿に清めに出した時も、何も言われなかった。結局、よく分からん、と肩を竦める。


「とにかく、今のうちにとっとと逃げようぜ。村の連中が戻ってきたら、ますますややこしいことになっちまう」

「でも、倒れてる人たちは?」

「さあね。死んだか、気を失ってんのか知らねえが、自業自得さ。そうか、分かったぞ。あの影はきっと天罰だ。性根の腐ったこの村の連中に、天罰が下ったのさ。俺は善人だから助かったんだ、きっとそうだ」

 うんうん、と雷火は腕組みしてうなずく。真理がもっともな突っ込みを入れた。

「善い人だって言うなら、このまま見捨てて行くのはひどいんじゃない?」

「うぬっ。可愛くねえな、おまえ。あのなぁ、俺たちを殺そうとした奴らだぞ。生きようが死のうが、知ったことかよ」

「駄目だよ」


 真理は妙にきっぱり言って、倒れた村人のかたわらに膝をついた。雷火は呆れ、次いでさてはと理解した。


「おまえのせいだから、か?」

 ささやくように問いかける。案の定、真理は小さな声で「多分」と答えた。

「多分?」

「後で話すよ」


 ちょうどそこで、足元に転がっていた村人がうーんと唸って目を開けた。若い男だ。怒りか恐怖で叫び出すかと思いきや、ぼうっとした様子で宙を見たまま口を半開きにしている。雷火はしばらく彼を観察してから、別の犠牲者を起こしに行った。もちろん優しくしてやる義理はないので、蹴飛ばしてやったわけだが。

 倒れた村人は全員生きてはいたが、魂が抜けたようにぽかんとして、何の反応も見せなかった。雷火は自分が落ちかけた暗い渦を思い出し、ぞくりと身震いする。もしあのまま呑み込まれていたら、きっと今頃、彼らと同じざまになっていただろう。


「こいつら、どうなるんだ?」

「分からない。今までに影が人を襲うことなんて、なかったから」

「とにかく生きてるんならいいさ。あとはこいつらの身内がどうにかするだろうよ。心配だってんなら、どこかで神殿に寄って事の次第を報告すりゃいいさ」


 行くぞ、と真理の腕を取って立たせる。地べたに座り込んだままの村人が、うつろな目でこちらを見上げて、しまりのない薄笑いを浮かべた。口元に力が入らなくて、勝手に顎が下がっただけかも知れないが。

 さすがに雷火も気持ち悪くて見ていられず、連れの一人と二匹を急き立てて村から逃げ出した。懐で小さな音を立てる銭が、どうにも重かった。




「で、結局また野宿なわけか……。はあ、布団が恋しいぜ」

 街道脇の太い樫の根元で、雷火は焚き火を熾し、ため息をついた。

「ごめん、おじさん」

「謝るこたぁねえよ。運が悪かったのさ。それに、おまえがいなきゃ俺はあの妖の肥やしにされておしまいだった。だから、無理にお前のせいにしようとは思わねえよ。理由を話したくなきゃ話さなくていい。俺も聞きたいわけじゃねえんだから」


 乾いた枝を火に食わせ、ごろんと横になる。銭はあれども飯はないので空きっ腹はどうしようもないし、散々走り回ってくたくただし、もう不貞寝するしかしょうがない。


「……あの影はね」

 ぽつ、と真理が話しだした。雷火が顔だけ振り向くと、少年は雪白の首を掻きながら、じっと地面を見つめていた。

「深谷を出た時からついて来てるんだ。あれは……きっと、『災い』なんだと思う」


 パチパチッ、と炎がはぜた。揺らぐ明かりに照らされた横顔が、急にただの無力な子供に見えて、雷火はいたたまれず目を逸らした。

 ようやく得心がいった。こんな子供が一人で旅をしている理由。妙に朗らかに振る舞うかと思えば、置いていかれる不安に泣きそうな顔をしたり。巫師を追い出すのが気に食わないと道義心を発揮したかと思えば、世の中そんなに簡単じゃないという擦れた忠告に、分かっていると応じたりしたのも。


「おまえ、押し付けられたんだな」


 確かめた一言が、重く沈む。深谷を襲った災いが何であれ、里の人々はそれを子供一人に負わせて追い払ったのだろう。

 だから真理は神殿に頼れなかった。おのれに穢れが憑いているから、拒絶されるのが怖かったのか、実際に拒絶されたのか。見知らぬ旅人との他愛ないふれあいに喜び、見捨てられることに怯え。不正義を見抜き憤る心を持ちながら、同時に人はそうしたことをするものだと我が身で知っている。

 雷火はつくづくと嘆息した。


「こんなちっせえ子供に問答無用で、ひでえ連中だな」

「違うよ」

 答えた真理の声は、泣き出しそうだった。本気で違うと言っているのか、違うと思いたくて否定しているだけなのか。雷火がじっと見つめていると、やがて彼は顔を上げ、悲しそうに微笑んだ。

「知ってたんだ」

「……そうか」

「うん」

 それきり言葉が続かない。雷火は何とも言えず、ちろちろと踊る炎を見つめた。


 谷の人々が何をどう言ったのか、それとも何も言わなかったのかは、知りようもない。どちらにせよ、可愛げなくも察しの良いこの少年が、進んであの影を引き受けたのだろうとは想像がつく。

 しばらく待ったが、話の続きはなかった。どうやら今は事情を明かす気がないらしい。雷火は勢いをつけて起き上がった。


「ま、済んじまった事はしょうがねえ。今さら、ああすりゃ良かったのどうのと言ったところで、何かが変わるわけでもねえしな。で、あいつはまだついて来ると思うか? 今んところは消えちまってるようだが」

「分からない。でも、あれは……弾かれたって感じで、消されたようには思えなかった。ちょっと遠くへ弾き飛ばされてるけど、また戻って来るって気がする」

「んじゃ、祓う方法は?」

 雷火が訊くと、真理はまた、分からない、と首を振った。

「祝詞や弦打つるうちがまったく効かないわけじゃないけど、祓い清めるには……何かもっと別の方法が必要なんだと思う。明師様が俺に『しるし』を探しに行けって言ったのは、そういう意味なのかもしれない」

「しかしその『しるし』ってのは何なのか、手掛かりひとつねえんだろ? そりゃ、随分と先が長そうだな」


 雷火はわざと素っ気なく言って、相手の反応を見た。案の定、真理は不安げな顔をしてこちらを振り返る。雷火はとぼけて手を振った。

「まぁ頑張れよ」

 真理は何か言おうとして口を開きかけたが、遠慮がはたらいたか、そのままうつむいて黙り込んだ。雷火は無言で眉を上げる。まったく、こいつときたら。子供らしくない事してっから、災いなんぞ押し付けられるんだ、馬鹿。

 キュゥン、と声がして目をやると、黒鉄が主人よりもよっぽど素直な目で、こちらを見つめていた。雷火は思わず苦笑し、真っ黒な頭を掻いて毛を逆立ててやった。それからおもむろに腕組みし、えへんと咳払いして切り出す。


「さて、お別れする前にひとつふたつ、片付けとかにゃならねえ問題があるな」

「問題?」

 真理がきょとんとして聞き返す。雷火は懐から銭束を取り出した。

「ひとつはこいつだ。仕事を請けたのは俺だし、とどめを刺したのも俺。周旋屋に交渉してこれだけの銭をもぎ取ったのも、俺」


 俺、俺、と数え上げていくと、さすがに真理も面白くなさそうな顔をした。雷火はにやにや笑っていたが、主人の横で雪白が剣呑に牙を剥いたので、慌てて「とは言え」とつなげた。


「おまえと白黒二匹がいなきゃ、そもそも俺は生きちゃいねえだろう。だからこいつは公平に折半といこう。それはいい。だがおまえがこの先も旅を続けるんなら、これっぽっちじゃ足りねえだろうよ。行く先々の神殿を頼るにしても、今回みたいに、次の神殿まで何日もかかる、ってなこともあるだろうし、かと言っておまえみたいな子供じゃ、周旋屋に行くわけにもいかねえしな。心優しい俺様としちゃ、胸が痛むわけだ」

 大袈裟に胸を押さえた雷火に、真理が胡散臭げなまなざしをくれた。

「何を言いたいのか、はっきりしてくれない?」

「まあ待てよ。問題のふたつめはだな、俺の稼ぎと将来についてだ」

「……は?」

「俺も今まで結構長いこと妖退治をしてきたが、腕前と稼ぎについちゃ――まぁ、おまえも見ての通りさ。今まではそれでも何とかなったがよ、いつまでもこれじゃあ困る。いずれどっかに落ち着くためには、ちっとは金を貯めとかねえとな。だから、もちょっと実入りの良い仕事をするためにも、腕を上げにゃなんねえだろ? たとえば、ナントカっておまえが言ってた法術を身につけるとかだな」


 そこまで話すと、やっと真理も結論が見えたらしく、だんだんと顔を明るくした。雷火もつられて笑顔になる。


「いっぺんに解決する方法がありますかね、真理様?」

「あるよ、もちろん! 俺がおじさんに法術を教えるよ。仕事も手伝う。それで稼ぎは折半。どう?」

「折半、ねえ。まあ、おまえにゃお供もいるこったし、それが妥当かね。だが今後一緒に行くんなら、もうひとつ条件がある」

 言葉尻で真顔になり、彼はずいと身を乗り出して真理を睨みつける。

「何だい?」

 やや怯んだ様子の少年に、人生の先輩はこれ以上ないほど苦々しく言った。

「俺を『おじさん』って呼ぶな!」


 ――もちろん、返事はけたたましい笑い声だった。



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