表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
昏い道連れ  作者: 風羽洸海
春陽之章
26/26

五 しるし

    五



 様子を見るため屋敷に戻った一同を出迎えたのは、憔悴した顔の若様だった。そして一言、朱香様は既にこときれておられる、と告げた。

 春陽たちは視線を交わしたが、何も言わなかった。恐らく、葦生彦に呑まれた御霊の中に朱香もいたのだろう。


「我々佐伯の者は、己らがかつての主を殺めて地位を奪ったものと承知していた。しかも分家と称して主の血筋を残し、御霊を鎮めるために都合よくそれを利用してきたのだ」

 若様、否、今はただの村人となった若者は、春陽の前に手をついて頭を下げた。

「もはやそれも今宵限り。春陽殿、この屋敷も土地も、すべてあなたにお返しする。代々の所業、なにとぞお赦し願いたい」

「およし下さい、若様。私はいまさら首長になりたいなどと思いませぬ。土地も屋敷も欲しくはない。ただ客人を休ませて頂けるのなら、ありがたく存じます」


 苦笑気味に応じた春陽に、若者は複雑な表情で沈黙した。本心では彼のほうこそが、この家から解放されたかったのかも知れない。

 ともあれほどなく、春陽たちは全員、母屋の広々とした客間で枕を並べて、泥のように眠り込んだ。変若水を口にした者たちも、傷は癒えたが心身の疲れまでは取れなかったらしい。走り通しだった春陽は、枕に頭がついたことさえ覚えていなかった。


 翌日には里の人々の間に噂が広がり、翌々日には佐伯の屋敷に村人が集められ、朱香の葬儀が執り行われる旨を知らされた。

 たとえ弔っても、その御霊は決して神々のもとへゆくことなく、祖霊の社に宿ることもないのだが、それでも一応、形式だけは守られた。

 春陽は辞退したにもかかわらず、結局、佐伯の家に代わって新間の長となることを求められ、叔母一家と共に屋敷へ移り住むことになった。


 慌ただしい数日が過ぎ、いつの間にか桜は満開から吹雪となって散りはじめていた。花鎮祭を行うことはできなかったが、春陽はあまり心配しなかった。あの御霊が、これからはもっと穏やかにのびやかに、この里を守ってくれるだろう。


「さて、と。そろそろ俺たちも、引き上げる潮時だな」

 誰もがためらっていた事を言い出したのは、やはりと言おうか、雷火だった。

 母屋の縁側に集まって、庭を眺めながらのんびりとひなたぼっこをしていたが、すぐには誰もそれに返事をしなかった。

 鴬が鳴き、応じる声が遠くから響く。

「そうだね。行かないと」

 真理が静かにうなずき、名残惜しげに青くけぶる山々を見やった。


「これからどうするのだ?」

 春陽が問うと、真理は振り返ってにこりとした。

「大楠の神殿に戻るよ。友達が待ってるんだ。その後は……どうなるかな。できれば位を授かって、どこかの神殿に居場所をもらいたいんだけど」

「あそこに戻るのか? それなら、密告屋を見付けて締め上げてやれよ」

 雷火が顔をしかめて唸る。真理は肩を竦めた。

「そこまでしなくても、経緯と結果を話して聞かせたら、今後は余計なことはしなくなるんじゃないかな。ねえ、晴晶さん」


「ああ、私のほうからも知らせておきますよ。これからは新間と楠本を行き来する者も、少しずつ増えるでしょうしね。新しい、もうちょっとましな道もつけないと」

 晴晶が言ったので、春陽はつい口を滑らせた。

「ならば、おぬしはここに留まるのか?」

 いささか期待が露骨だったかも知れない。綾女がこちらを見て、おやおやと目を丸くしたもので、春陽は真っ赤になってしまった。

「そうなると思いますよ」晴晶が笑って応じた。「今まではひとつの里を見付けたら、またよそへ遣わされたんですがね。これだけかかわっておいて、あとは事情に疎い別の役人に引き継ぐなんて、無責任ですから」

 そこで彼はおどけて首を竦め、もうあんな目には遭いたくないし、と付け足した。皆の口から、うつろな苦笑がこぼれる。恐怖の記憶はまだ薄れず、冗談にして笑い飛ばすことはできなかったのだ。

 雷火がうんと伸びをして、「俺はどうするかな」とぼんやり言った。途端に晴晶が身を乗り出す。


「とにかく一度は都に戻って下さいよ。安倍様も兄上の行方を気にかけてらっしゃいますし、ついでだから私からの文も届けて頂けると助かります」

「なんで俺が使い走りをしなきゃなんねえんだよ。いまさら宮仕えなんざ無理だっつってるだろう。おまえもしつこいな」

「何もそこまで嫌な顔をしなくてもいいじゃありませんか。安倍様だけでなく、ほかにも大勢の方が兄上を覚えていて、安否を気遣っていらっしゃるんですよ」

「だから、それが面倒くせえって言ってるんだ」

 雷火はしっしっと手を振り、わざとらしく綾女に話を振った。

「おまえはどうだ? どっか行きてえ場所があるんなら、言えよ。どこでも付き合うぜ」

「兄上!」


 晴晶が憤慨すると同時に、逃げ場にされた綾女はふきだした。くすくす笑いながら、綾女はおどけた口調で応じた。


「おやおや、懐かしいね。ずいぶん昔にも一度、そう訊かれたことがあるよ」

「へえ?」雷火がきょとんとする。

「思えばあれは、かどわかしだったんだろうけどね。お屋敷に買われたばかりの頃、往来で知らない男に、同じことを言われたんだよ。でもねぇ、その時のあたしには何にも望みなんてなかったからね。それで、『あの世』って答えたのさ」

「ははは、そりゃ傑作だ。そいつも尻尾を巻いて退散しただろうよ。……で? 今ならどう答えるんだ」

「そうさねぇ」

 綾女は顎をつまむようにして考える様子を見せ、それからふと、悪戯っぽく笑った。

「あんたの行くところ、かな」

「…………」


 雷火が絶句し、見る間に耳まで真っ赤になる。惚気に当てられた春陽たちも、それぞれ突っ伏したりのけぞったり、むせ返ったり。

 ややあって真理が、膝の間に落っことしていた頭をどうにか持ち上げ、低く唸った。

「ごちそうさま。胸焼けしそうだから、ちょっと水を飲んで、散歩してくるよ」

 ひらひら手を振って庭に降りると、二匹の犬を連れてすたすた歩きだす。雷火がうろたえ、慌てて腰を浮かせた。

「真理! あ、あのなぁ! こら、俺は別に……待てよ、おい!」

 わめきながら雷火も、草履をひっかけて走りだす。呆れる春陽の横で、晴晶と綾女がくすくす笑いだした。




 それからさらに数日の後、桜がそろそろ葉桜になってきた頃、春陽は彼らの出立を見送ることになった。晴晶も一度大楠に行くというので、総勢四人と二匹の大所帯だ。

「それじゃ、お春ちゃん、またね」

 綾女は明るく言って、手を振った。春陽は曖昧な苦笑を返す。都は遠いし、ふたたびまみえることがあるとは思えない。それでも、その言葉は嬉しかった。

「巡り合わせがあればな。道中の無事を祈っている」

 応じた春陽に、綾女は艶やかな笑顔を見せた。そうして、背を向けて歩きだす。


 真理はこれが見納めとてか、じっくりと里を眺めていた。二匹の犬も、主が動かないので、そこいらをのんびり嗅ぎ回っている。彼がいよいよ歩き出すかに見えた寸前、春陽は不意に思い出して、その袖をとらえた。


「待て。気になっていたのだが……あの夜、見付けたと言っていたのは、何のことだ?」


 唐突な話に、真理はやや驚いた顔を見せた。それから、ああ、とつぶやいて、あらぬ方を見やる。しばし考えてから、彼はゆっくりと答えた。

「自分にとって大切なもの……かな。神官として戦う力の源になるもの。本当はもうとっくに見付けていたのに、背後からついて来る暗がりにばかり気を取られて、ずっと掴み取れていなかったんだ」

「ふむ?」

 春陽が腑に落ちない相槌を打ったので、真理はちょっと苦笑した。

「前に少し話したよね。暗い雲と、星の光のたとえ話。あれみたいなものだよ」

「よく分からぬが……つまり、世の中に悪人や怨霊ばかり溢れているようでも、善人がいるから戦える、ということか?」

 あの日の会話を思い出しながら、春陽は自分なりに推測する。真理は少しばつが悪そうな顔で頬を掻いた。

「そうじゃないかと考えた時期もあったんだけど、違ったんだ。それだと結局『他人のせい』にしてしまうから。そうじゃなくて……変若水を汲んだ時に気付いたんだ。善悪も好き嫌いも関係ない、どんなに憎んでも恨んでも、それで暗い雲に呑まれてしまっても。何ひとつ赦せなくても。それでも俺は、人を助けたいと願う心がある、って」


 語る声は静かで力強い。春陽は圧倒され、言葉を失った。言われてみれば、あの変若水は他人を助けるためにだけ汲むことができるのだと、逸話が示していたではないか。

 放心している彼女に、真理は晴れやかな笑みを見せた。


「それが俺にとっての『あの星(しるし)』だったんだよ」

「おぬしはずっと、それを探していたのか」

「うん」

「ならば、見付かって良かったな」

 そう言った春陽に、真理は深くうなずいた。

「もう行かないと。雪白、黒鉄! 置いてかれるぞ、ほら」


 名を呼ばれ、二匹の犬は慌てて駆けてきた。真理はその頭を撫でて、最後に春陽に向かって一礼してから、さっと踵を返して歩き出した。

 あの夜と同じ、迷いのない確かな足取り。これからも彼は、そうして歩いていくのだろう。清々しい後ろ姿が小さくなり、木立の間に消えるまで、春陽はじっと見送っていた。

 さあ、私も帰ろう。

 歩きながら、真理の足取りを意識する。一歩一歩を踏みしめるように、愛しむように。そうして歩み続けたなら、いつかきっと彼のように、大切な何かを見出せるだろう。


 ――新しい風が吹き渡り、澄んだ青空に鳶が鳴く。それぞれの道を歩む誰の後ろにも、わだかまる影はなかった。



(了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 前話で「しるし」はなんだろうってずっと思ってたのですが、そうか……彼にとってはそうだったのですね。 彼らの道行に、幸福のあらんことを!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ