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昏い道連れ  作者: 風羽洸海
春陽之章
23/26

三 余所者のまなざし(後)

 真理と別れ、二人分の山菜を持って本家を訪ねると、あろうことか晴晶が庭をうろうろしていた。目を離さないほうが良い、などと言っていたくせに、雷火も綾女もどこにいるのだ? 春陽は土間に山菜を置くと、急いで晴晶に駆け寄った。


「何をしている」

 剣呑な口調になってしまったが、晴晶はこちらを振り向くと、例によって微笑んだ。

「ああ、春陽殿。良かった、兄上がどこにいるかご存じありませんか。朱香様に呼ばれて母屋に行っている間に、姿が見えなくなってしまいまして」

「私は知らぬが、里の衆に呼ばれて何ぞ手伝いに行っておるのではないか?」


 のんきな顔を見ていると、疑うべきことなど何もないようにも思われるのだが、綾女の言葉もある。彼を一人で勝手にうろつかせる気になれず、春陽は供を申し出た。


「道に迷うほどの里でもないが、何か間違いがあってはいかん。雷火を捜すなら、私も行こう」

「それはかたじけない。あ、いや、しかし……春陽殿は戻られたばかりなのでは? 少し休まれる必要はありませんか」

「気遣いは無用だ」


 短く答えて、春陽はさっさと歩き出した。あまり長くまともに向き合っていると、先刻の真理との話が思い出されて、どうにも落ち着かなくなる。

 晴晶はためらうそぶりを見せたが、すぐに後からやって来た。


 里への道を下りながら、春陽はつとめて平静に問うた。

「朱香様とは、どのような話をされたのだ」

「はあ。なんとか、敵意がないことを解って頂こうとしたんですが」

 晴晶はごまかすように苦笑した。

「やはり独力で里への道を見付けたというのが、どうにも怪しすぎるようで……参りましたね。あの盤を用いた占いを防ぐ術を教え、しかも『決して余人に里への道を知らさぬ、知らさばその場で命を取らるるとも安んじて祟らず』とする誓文を朱香様に預けること、というのが里を出る条件だと言われました」

「当然と言えば当然だが、厳しいな」

「ええ。誓文は、まぁ、いいんですよ。命を預けることになりますが、私が生涯とぼけていれば済みます。でも、行き方占いを防ぐ術のほうはねぇ。私も知らないので、教えたくとも教えられません」


 晴晶は頭を掻いた。あまりに飄然とした物言いが変わらないもので、春陽は不安に駆られた。この男、事の重大さを理解していないのではなかろうか。


「一生の間、知らぬふりを続ける、というのも難しかろう。うっかり口を滑らせることもあろうし、言わねば命を取ると脅されることがないとも限らぬであろうが」

「それもそうですね。でもそれは、里を出てから心配すればいい。弱ったな、せっかく兄上を見付けられたと思ったのに、帰れないなんて」


 そんなことを言いながらも、晴晶は物珍しげに辺りを見回している。兄はどこかと捜している様子でもない。

 少し歩いて、春陽はやれやれと足を止めた。


「晴晶殿、そんなにこの里が珍しいか? 雷火を捜しているのではなかったか」

 指摘され、晴晶は驚いて目をぱちくりさせた。そして、決まり悪げに頭を下げる。

「失礼しました。どうも私は、目先のことに気を取られがちで……たとえばほら、そこの田圃に踏み水車があるでしょう。あれなんか、都の近辺ではもうすっかり見られなくなった旧いものなんです。今ではもっと効率の良いものが使われていますよ」

「……そうなのか」


 晴晶が指差すほうを見やり、春陽は少々、傷つけられた気分になった。この里が世に取り残されているとは承知だが、外の者にそれを指摘されるのは、やはり嬉しくない。


「他にも色々なものについて、改良の余地があるだろうと思います。私は職人ではないので、具体的にどうすれば良いのか知りませんが、外から人を招いて……と、ああ。駄目なんでしたね」

 残念だ、と晴晶はうなだれる。春陽は追い討ちをくれた。

「里の者の多くは、余計なお世話だと言うだろうな。外の者の世話になるぐらいなら、時代遅れで不便であろうとも、自分たちの力でやって行く、と」

「でしょうね」


 晴晶は苦笑した。その声音はまるで、よくある事だ、と仄めかすかのようだ。春陽は眉を寄せた。

(どうもおかしい。やはりこの男は朝廷の役人で、今までにも隠れ里を探し当てては、外に知らせてきたのではなかろうか。あからさまに役人らしい身なりをしていないのも、行き方占いや雲隠れの札などを使えるのも、そのためでは?)

 春陽が疑惑のまなざしを注ぐと、晴晶はごまかすように、また歩きだした。


「この里は特に、入り込むのが難しい土地にありますから、反発も強いだろうと思いますよ。でも、なるべく早いうちに外へ開いたほうがいい。でないといずれ、言葉が通じなくなる恐れがあります」

「朱香様にも同じ話をされたのか?」

 春陽は皮肉をこめて問うてやったが、晴晶は真顔で首を振った。

「いいえ。そんなことを言えば殺されかねませんよ。あの方は長らく因習の上に胡座をかいてこられたわけですからね。今さらその地位を危うくしてまで、変化を望まれるとは思えません。話しても無駄でしょう。あの若様も、朱香様にすっかり搦めとられている様子だし、まともに話を聞いてもらえそうなのは、あなただけですよ」


 どきん、と春陽の胸が高鳴った。

 嬉しかったのではない。むしろ恐ろしくなったのだ。自分一人だけが手を取られ、馴染んだ世界から引き離されてしまいそうで、思わずその場に立ち竦む。

 晴晶も気付いて立ち止まり、向き直ってささやくように言った。


「今でも、この里の人は癖の強い話し方をしています。言葉が通じるうちなら、こうして話し合いもできますが、通じなくなって、しかも敵意だけは残ったままとなれば、この谷の行く末は結局、滅びだけですよ」

「そのような事……考えてみもしなかった」


 確かに、水神の社に参る外の人々は、谷の者とは話し方が違う。意味は分かるし、わずかな差異だと気にも留めていなかったが、まさかそんな事があろうとは……。そこまで考え、春陽は確信した。やはり晴晶は役人に違いない。だがそれを口にすれば、朱香のしもべに聞かれるだろう。春陽は彼の目をじっと見据え、うんと小声で遠回しに尋ねた。


「実際に、そういう例をご存じなのか」

 晴晶もまた、意図が通じたと察して鋭い微笑を浮かべた。頭の打ち所を心配するほどののんきぶりとは別人のようだ。彼は悪びれずに「ええ」とうなずいた。

「だから、これは本当に親切心からの助言です。そこまで事態が進んでしまったら、お互いにとって不幸なことですよ。どうか真剣に考えて頂きたい」


 その声音には間違いなく、使命を帯びた者ゆえの真摯さがあった。春陽はあくまで、この了解が成り立っていないふりで話を続けた。


「もし朝廷がここを見付けたとしたら、兵が攻め寄せるだろうか」

「さあ、どうですか」晴晶もとぼけて首を傾げる。「私は兵法については素人ですので。でも、ここに来るまではかなり大変でしたから、大軍を送り込もうなんて考えは、馬鹿げたことに思われますよ。あの崖は痛かった」

 言葉尻で苦笑し、彼は半ば無意識に頭へ手をやった。途端、怯んで顔をしかめる。春陽は思わずふきだしてしまった。

「まだ痛むか。大きなこぶが出来ていたからな」

「災難でしたよ。でもまぁ、命があっただけ良かった」

 晴晶はのんきな口調に戻って言い、ふと、来たほうを眺めやった。

「おや、あれは兄上かな? やっぱりそうだ」


 おぉい、と無邪気に手を振る。春陽もめをやり、雷火が鬼のような形相で駆けて来るのを見て、思わず少々のけぞった。

 二人に追いつくと、雷火は肩で息をしながら、切れ切れに怒鳴った。


「晴晶! おまえ、勝手にふらふらするなって、あれほど、言った、だろう!」


 ……なんだと? 春陽は眉を寄せ、晴晶に咎めるまなざしを向けた。しかし例によって例のごとく、悪意のないのんびりした笑顔がそれを受け流してしまう。


「あれ、おかしいなぁ。そう言われたから、私は兄上を捜していたんですよ。いったい、どこにいらしたんです?」

「離れに決まってるだろう! 婆さんの話が済んだら必ず戻れって言ったじゃねえか!」


 雷火がわめく。晴晶はとぼけるばかりで、のらりくらりと矛先をかわしている。なんともはや、呆れたものだ。

 この食わせ者め、と春陽は晴晶を睨みつけたが、長続きせず失笑してしまった。雷火が不機嫌に唸り、晴晶の腕を取って、引きずるように屋敷へ戻って行く。それを見送りながら、春陽はいつまでもくすくす笑い続けていた。


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