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昏い道連れ  作者: 風羽洸海
春陽之章
22/26

三 余所者のまなざし(前)

    三



 翌日、春陽は人目も構わず、村の外れに出て行く真理を追いかけた。

「桜には少し早いかも知れぬが、例の変若水の山に案内しよう。良いか」

 前置きもなくいきなり言い出した彼女に、真理は目をぱちくりさせたものの、理由は訊かず「もちろん」とうなずいた。


 実のところ春陽は、変若水の山――香具山に真理を連れて行くことについて、朱香の許しを得ていなかった。だが断りを入れようが入れまいが、結局は疑いを招くだろう。なぜならこの山には、巫師の耳目が届かないからだ。

 特別に清い山であって、しもべの妖ごときは入れないから、ということだが、理由はともかく、朱香に知られず話をするなら、里の中ではここしかない。


(ままよ、疑われたらその時のこと。白を切り通すしかあるまい)


 戦に臨むかのように腹を括った春陽と対照的に、真理はのんびりしたもので、道々山菜を摘んだりなどしていた。はじめは苛ついた春陽も、何か土産があったほうが言い訳がしやすいと思い直し、ワラビやウルイなど、目についたものを摘みながら登った。


 香具山は里のまわりではかなり低い山なので、頂に出るのも苦労はしなかった。

 不思議にぽかりと開けた草地があって、そこに立派な桜の巨木が枝を広げている。蕾が紅に色づいて、ぽつり、ぽつりとほころんでいる花が、名残雪のようだ。

 そして、その木のほど近くに、小さな石碑と祠が座していた。


「いい眺めだね」

 真理は谷を見渡して深呼吸してから、そこいらに腰を下ろした。黒鉄が隣に寝そべり、撫でてもらえるのを待っている。雪白は少し離れた場所に伏せて、どうやら見張りをしているらしかった。

 春陽が真理の近くに座ると、彼は心得た風情で「それで?」と促した。

「内緒話なんて、ばれたら怒られないかい」

「やましい事などない。由緒ある山に案内しただけだ。……おぬしには分かるか? ここいらに……」

「ああ、朱香様のしもべたちはいないよ。この山ではどうやら、佐伯の一族が嫌われているようだから」


 真理は意味ありげな調子で言って、皮肉っぽくにやりとした。どういう意味か、と春陽が疑念を顔に浮かべると、彼はとぼけて肩を竦めた。


「理由を知りたければ、あの屋敷の蔵でもひっくりかえしたら、何か見付かると思うけどね。君のほうは、俺に何の話があるんだい?」

「聡明なる貴君におかれては、既にお察しのことかと存じ上げるが」

 春陽は皮肉を返し、それから真顔になった。

「早くこの谷から出て行くが良い。朱香様は、おぬしに憑いている葦生彦の御霊を祓い清めるおつもりはないようだ。いや、鎮めはするのだが、おぬしから離れて隠り世にお帰り頂くのではなく、この地に守り神として留まって頂くおつもりらしい」

「俺が強力な御霊と一緒に里に根付くことを望んでいる、ってわけかい」

「いかにも。それで、その、要するにだ、手っ取り早くおぬしを……誰かと娶わせるおつもりなのだ」

「誰か、って」

 さすがに真理も面食らった顔をした。だがすぐに、様子を見て察したらしい。見る間に赤面し、目を丸くした。

「まさか! 君は若様の許婚だろう?」


「私もそう思った。だが朱香様は、若様のことなど、まるで気にかけられぬのだ」

「そんなはずが……いや待てよ、そうか。そういう事か」

 ふいに何か思い当たったらしく、真理は苦々しげに唇を噛んだ。

「何が『そういう事』なのだ?」

「朱香様は佐伯の一族よりも、本来の主の血筋を絶やすまいとしている、ってことだよ。確かにあの若様は、あまり体が丈夫そうにも見えないし、君の夫にするには不安があるんだろう。かと言って里の者だと、先祖をたどれば皆、目下の卑しい者ばかりだ。外から入ってきた新しい血、しかも葦生彦の裔とくれば、うってつけだろうさ」

 いまいましげに言って、彼は草をむしった。

「……なに? 待て、つまり、その言い方では……まさか、分家の方こそが本家だと言うのか?」

 思わず声を大きくした春陽に、真理は憎らしいほど平然と応じた。

「分家でさえない、と思うね。綾女さんたちとも、朱香様の君に対する扱いがおかしい、って話し合っていたんだ。君が聞かせてくれた言い伝えがあったろう? この山に登った男は二人いた。だが下りてきたのは一人。ここで何が行われたか、誰が知っているって言うんだ? 霊水を手土産に降りてきた者の言うことを信じるしかないじゃないか」

「そんな」


 春陽は短くそれだけつぶやき、呆然となった。あの言い伝えを、そんな風に解釈したことなどなかったのだ。あれは里の者にとっての真実。佐伯の先祖に感謝し、里の全員が結束を固めるための証であるのに。


 真理はどんどん話を膨らませていく。

「これは想像だけどね。変若水を独り占めしようとしたのは、佐伯の先祖だったかも知れない。本来首長になるべき人をここで殺し、その幼い跡取りたちの後見を引き受けて、結局は自分が首長の地位をものにした。佐伯と称したのは、己の所業を自覚していたのか、それとも秘密を嗅ぎつけた誰かに罵られでもしたのかな。まぁ、そんな事があったとしたって、不思議じゃないってことさ。ここに漂う気配からしてもね。あの祠は月神を祀るものじゃない。何かの祟りを鎮めるためのものだ、って感じがするよ」

 春陽は何とも答えられずにいたが、しばらくして深い吐息をつき、眉間を押さえた。

「おぬしらが来てからというもの、驚かされることばかりだ。この半月ほどで、寿命が一年は縮んだに違いないぞ」

 真面目なぼやきだったのだが、当の元凶は愉快げな笑い声を立てた。つられて春陽も苦笑する。それを見て、真理が言った。

「春陽はもっと笑うといいよ。そのほうが似合う」


 思いがけないことを言われて、春陽は驚いた。愛嬌がない、笑え、と叱られたことはあったが、似合うと言われたのは初めてだったのだ。

 彼女の当惑顔を、真理は違うように解釈し、慌てて続けた。


「ああ、違うよ。無理に笑えって言うんじゃなくてさ、君がもっと笑えるようになるといいな、ってこと」

「……それは、どうも」

 変な受け答えをした春陽に、真理は詫びるように首を竦め、それから谷のほうを眺めやって目を細めた。

「この里の人は皆、何かに遠慮してるような笑い方をするからさ。もっと、心から嬉しそうに笑えるようになればいいのにな」

 そう言う横顔には、あの、慈愛に満ちた表情が浮かんでいた。見る者の胸に沁み入る、優しく気高い笑み。それが里の皆に向けられていることが、たとえようもなくありがたく思われて、春陽は我知らず頭を下げていた。

「かたじけない。私もそう思う。いや、おぬしらが来て初めて、考えるようになったのだが……もう、この里も古い時代の怨念から抜け出すべきなのではないか、とな。そうすれば、我らも外の者のように、屈託なく笑うことができるやも知れぬ」


 真理は答えない。春陽も彼が見ているものを共に眺め、今までになく、それを愛しいと思った。

 暖かい風が吹き抜けてゆく。鳥がさえずり、木の葉がささやき、遠くで牛が鳴いて。

 そうだ、本来この谷は美しく、素晴らしいところなのだ。


「……晴晶さんはすごいね」

 いきなり真理が言ったので、春陽は不意を突かれ、頓狂な声を上げかけた。辛うじてそれを飲み込んだが、はずみで喉を詰まらせたかのように、顔が赤くなる。幸い真理は遠くを眺めたままだったので、春陽は自分の奇妙な反応を見られずにすんで、ほっとした。

「何があったのか詳しくは知らないけど、きっとあの人だって苦労したに違いないのに。あんな風に軽々と恨みを捨てられるなんて、俺には真似できそうにないや」


「どうだろうか。あれは、過去を捨てているのではないように思えるぞ。身軽くかわしているのか、あるいは……重荷を軽くする方法を知っているのだろう」

「ああ、そうかも知れない」

 真理はつぶやくように同意し、振り向いて、きょとんとなった。春陽の頬に火照りが残っていたのだ。彼は小首を傾げてつくづくとそれを観察し、悪戯っぽく笑った。

「なるほどね。それじゃ君としては、意に添わぬ婿には早く出て行って欲しいわけだ」

「わ、私は何も……!」

 反論しかけたものの、頭の中がいっぱいになってしまって、それきり絶句してしまう。

 真理はわざとらしく犬に話しかけた。

「不思議だねぇ、黒鉄。俺と知り合いになった女の人は皆、俺じゃない誰かを好きになるみたいだ。どうしてかな」


 これには春陽も堪らなかった。盛大にふきだし、慌てて口を押さえたものの、どうにもおさまらない。結局、のけぞって大笑いしてしまった。

 相談をもちかけられた黒鉄は、つぶらな目でじっと主人を見上げている。真理はその首に腕を回し、とぼけた口調でなおも続けた。

「別にいいんだけどさ。今は他に大事なことがいっぱいあるからね。でもこの先ずっとこの調子だと、ちょっと寂しいかもなぁ」

 途端に黒鉄が真理の鼻を舐めにかかる。

「うわっ、慰めてくれなくてもいいって!」


 真理が防ぐと余計に黒鉄は勢いづき、一人と一匹は転げ回ってじゃれ合った。そんな騒ぎを我関せずで見ていた雪白は、聞こえよがしに深いため息をつく。春陽はますますおかしくなって、笑いすぎて草の上に倒れてしまった。

 しばらくかかってようやく春陽が笑いやむと、真理は真面目な顔になって言った。


「どっちにしろ俺はここに留まるつもりはないよ。だから、葦生彦の御霊さえ送ることができたら、すぐにも出て行く。もし、どうしてもこの里では無理だとなったら……どこか別の隠れ里を探すしかないな。でもそうすると、君は結局、若様と結婚させられるんじゃないのかい」

「それは……」

 最前までの楽しさが、あっという間にしぼんでしまった。

「仕方がない。私のつとめだ」


 朱香様の言葉に逆らうことはできない。そんなことをすれば、里の皆に災いを招くことになる。稲が毎年きちんと実るのも、疫病が里を襲うことがないのも、すべて代々の巫師が祭を執り行い、ふさわしい縁組をしてきたから。それを崩せば、きっと里の暮らしそのものが壊れてしまう。


「朱香様が私と若様の縁組を善いとされたのなら、それに従うのが里の安寧につながる。おぬしの想像するように、私が本物の……新間の首長となるべき血筋なのだとしたら、尚のこと、危難を招くようなことをすべきではない」

 春陽は段々と、自分に言い訳をしているような気分になってきた。古い時代の怨念から抜け出すべきでは、などと言いながら、結局は自ら縛られ、あまつさえそれを良しとしているではないか。

「確かに、何かを変えねばならぬとは感じている。だが、そのために里の暮らしを脅かすようでは、本末転倒ではないか?」


 違う、と心の声が責める。おまえは恐れているだけだ。変化そのものが恐ろしく、新たな一歩を踏み出した時、そこに堅い足場がないのではと不安に囚われて、立ち竦んでいるだけの臆病者――


 真理は黙って聞いていたが、春陽がそれ以上続けられなくなって黙り込むと、静かに問いかけた。

「嫌じゃないのかい」

「そういう問題では……」

「俺が訊いたのは、君の心のことだよ。立場とか、できるできないとかじゃなく」

 その声には、ぎくりとするほどの強さがあった。春陽が怯んで真理を見つめると、彼はふっと気配を和らげ、寂しげに微笑んだ。


「俺もね、昔、里の皆のためだから、って……何も言わなかったことがあるんだ。皆のなすがままに任せて、人柱にされるところだった。助けられたのも、俺が助けてくれって頼んだからじゃない。結局それで、里を出て行くことになったんだけど」

 深呼吸をひとつ。草をむしって、膝の上でくしゃくしゃにする。

「後悔したよ。しつこく何度も思い出しては、どうして俺が、とか、勝手なこと言うな、とか、頭の中だけで抗議するんだ。でももちろん、済んでしまった事は何ひとつ変えられやしない。あの時ああ言えば良かった、って思いだけがどんどん溜まって、澱んで、腐っていくんだ。おじさんや綾女さんに出会わなかったら、本当に体の内側から腐っていたかもしれないな」

 だから、と言って、真理はまっすぐに春陽の目を見つめた。

「嫌なら嫌だと言ったほうがいいよ。たとえどうにもならないように思えても」


「……私は」

 ぽろり、と言葉がこぼれた。けれど、その先は喉につかえて出てこない。

 私は……。でも、やっぱり、駄目だ、無理、無駄。

 うつむいてしまった春陽の肩に、真理は黙ってそっと手を置いた。まるで、ずっと年上の大人がするように。



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